”(ひとしずく・ 弱い時にこそわたしは強い)故障したとき” | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

2年前の記事です

(抜粋)

~友人からのメール~

 

弱い時にこそわたしは強い  

 

ついにレイアウトされたひとしずくの原稿を印刷する段になりました。

しかし途中でプリンターのインクが切れたので、新しいインクを入れたのですが、

その後どうしたら開けたふたが閉まるのか、わかりませんでした。

 

 私は、いつもプリントをしていてプリンターのことを良く知っている妻を呼んで

聞いてみました。

しかし、新しいプリンターだったので、

彼女もどうして蓋が閉まらないのかわかりませんでした。

そして妻は「パパ、説明書読んだらいいのよ」と言って、

自分の用事をしに立ち去ってしまいました。

 

 私は説明書を探してみたのですが見つかりません。

インターネットで調べてみてもわかりませんでした。

翌日にはここ那須から秋田に帰らねばならないので、その日のうちに、

印刷を終えなければなりませんでした。

どうして妻は助けてくれないのか!??彼女の方が機械に強いのに・・・。

心の中で不平をつぶやいていました。

 

 その時、ちょうどトイレに行きたくなりました。

時々神様はこうした生理的現象をうまく使ってくれます。

トイレに入って静まり、真っ正面を見ると、いつもは別のところにかけられていた

詩篇二十三篇の掛け軸が目の前にあります。

見慣れた掛け軸ですが、今日は何か御言葉がスッーと入って来る感じがしました。

 

 妻がこの掛け軸の場所を変えてくれていたのです。

そして、ふと、 気づきました。

妻に、このようにあれやこれやトイレの飾りを変えたり、

掃除や料理をしてもらっているのに、自分が欲しい助けをもらえないとすぐボヤく自分・・・

感謝が足りないな・・・と。

私は反省して、気を取り直し、もう一度、落ち着いてプリンターの前に座りました。

すると、すぐにピンと来たのです。もしかして!

上の蓋についているもう一枚のカバーの蓋を大きく開いてから閉めて、 

それから上蓋を閉めてみました。

そうしたら、どうでしょう? 

あれほど閉まらなかったふたがやっと閉まったのです。

 

 これは御霊が示してくれたことでした。

落ち着いて主と波長を合わせさえしていたなら、

こんなにも簡単なことだったのです。

とても簡単なことなのですが、気づくのが難しいのです。

 

もし、どうして自分を助けてくれないんだ

という憤慨した気持ちを持ってしまったら、

とんだ醜い罠にハマってしまうところでした。

こんな時には、まず静まって、不平不満という自分の間違った霊を改め

感謝の内に主に耳を傾けるべきなのです。

そうするなら、主のささやきがもっと容易に聞こえてくるのです。

 

 私は機械に弱いです。

弱いというよりも、苦手意識が強すぎて、少し恐怖さえ持っています。

しかし、どんな恐れにも言えることですが、静まって主と交信し始めるなら、

小さな主のささやきがでっかい障害物と恐れを取り除いてくれるのです。

 

 人の助けを受けることができず、これは困ったという非常事態は、

主がその力を見せてくれるチャンスの時です。

そうです。

そんな時にこそ、私たちは「弱い時にこそ強い」ということを思い知るのです。

 

 すぐに不平を持ち、身勝手なことを口走る自分に気づかせて下さり、

そして助けて下さった主に感謝!

主に助けてもらうチャンスを与えてくれた妻にも感謝!

機械音痴である自分に感謝! 

しかし、こんな私を愛し、いつも助けてくれる主に感謝します!

 

 主は、

 『わたしの恵みは、あなたに十分である。

 というのは、わたしの力は、弱さのうちに 完全に現われるからである。』

 と言われたのです。

 ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、

 むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

 ですから、私は、キリストのために、

   弱さ、侮辱、苦痛、迫 害、困難に甘んじています。

 なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

 (第二コリント人への手紙十二章九、十節)

 

 

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。

 わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。

(詩篇四十六篇十節)

 

 

 イスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。

(詩篇二十二篇三節)

 

 

 主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、

 「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、

   穏やかにして信頼しているならば力を得る」。

 しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。

(イザヤ書三十章十五節)

 

(抜粋おわり)

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日々のデボーションの為に右差し休息と癒し】のサイトに毎日掲載されている

過去記事の「ひとしずく」も、どうぞお役立てくださることをおすすめします

 

右差しはじめての方へ | 休息と癒し (kyusokutoiyashi.jp)

 

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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。

また、ご意見、ご感想、またオーディオクラスに関心のある方、

shizuku365@proton.me までご連絡ください。

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主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
 

 主はわたしの魂をいきかえらせ、

み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
 

 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。

あなたがわたしと共におられるからです。

あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
 

 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、

わたしのこうべに油をそそがれる。

わたしの杯はあふれます。
 

 わたしの生きているかぎりは

必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。

わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

(詩編23篇1-6)

 

感謝します

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毎日、あるものの材料をうまく工夫して食事を作ってくれている長女さんですが、

夕べのおかずは干ししいたけを使って、筍と鶏肉と厚揚げの美味しい煮物でした

台所は長女さんにお任せなので、殆ど何でも作ってくれるのですが

煮物の時だけは、私にアドバイスしてくれるように頼みます

そして、本当に美味しく出来たのです

自分が苦手だったり、好きでないものも作ってくれるので、本当にありがたいです

 

そんな時、兄から突然電話がかかってきて

「今どこにいる?」と聞かれました

「家にいるけど?」と答えると、

「相撲見ていたら、そっくりな人が写ったから国技館に居るのかと思った」と言うのです

そして、「桟敷で贅沢なごちそうでも食べてるのかと思ったよ」と言われたので

反射的に、「とんでもない、家で質素にご飯食べてるよ」と答え

何でもない話をして電話を切りました

 

後から長女さんが「別に”質素なご飯”って言わなくてもいいでしょ」

気分を害している様子・・・それから

「それに、相撲を見に行って、贅沢なごちそうを食べていたとしても

 好きでそうしているなら、それでいいじゃない」・・・・と

 

夜ウォーキングしながら、私の発した言葉と、

それを聞いていた長女さんの気持ちを想い返しながら、祈っているうちに、

はっきりと見えてくるものがあった

最初は、質素であることは、私は悪いこととは思っていなかったので

長女さんにそんな風に言われてもすぐに返答出来なかったし

謝ることも出来なかったのだけど、

兄と話しているときは、馴れ合いのガードが下がった会話であったことや

思いやりや感謝に欠ける言葉だったことを気づかせてもらった

すぐに謝れない弱さがあったのです

 

”わたしの力は、弱さのうちに 完全に現われる”

 

私の内にある弱さを明るみに出されたことを感謝し、

主の御言葉に心から従えるようになりたいと

祈り求めますお願い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       クロちゃん、待っててくれたのね音符

       足音を聞きつけて走り寄ってきてくれます

       ヾ(・ω・*)なでなで、ごろごろごろにゃんピンク音符

 

 

      もう分っているから、これ以上ついてきません      

       黒猫しっぽしっぽでバイバイ黒猫あたま

       また来るねバイバイ

      

       今日もありがとう~ラブラブ