からの続きです
来たる艱難期黙示録の歴史 第3部B: パート27
反キリストとその王国 ロバート・D・ルギンビル博士著より
II.反キリストの起源、性格、台頭
- 反キリストの台頭
b. その動きについて :
先に述べたように、その逆のこともあり得ますが、
艱難期の前にはかなりの平和と繁栄の時期があり、第七の封印が解かれると同時に、
その状況は急速に激変するという可能性もあります。
第二の封印とその象徴である赤い馬の乗り手(2B参照)については、
艱難期は前例のない内紛、内戦、社会的動乱の時代となり、
法と秩序の崩壊が世界中で驚くほどの速さで進行することも見てきました。
このコントラストは、犯罪、革命、一般的な社会の崩壊を加速させる傾向とともに、
これらの新しく増大する恐怖に対して決定的な行動をして解放を約束する指導者と
運動に対して、世間一般は非常に受容的になることでしょう。
世界の商業資本であるバビロンにとって、世界的な不安定さは、
革命や独裁政権によって海外のビジネスによる利益が脅かされ、
(特に後述の南方同盟の台頭を参照)さらなる懸念材料となるでしょう。
その中で、キリストに似た風貌を持ち、奇跡的な能力を持つ人物の出現は、
どんな状況下でも注目を集めるでしょう。
艱難期の到来という危機の中で、反キリストはより熱狂的に迎えられるでしょう。
しかし、政治的な権力を握るには、運動を造り出す必要があり、
そのような組織は、少なくとも綱領のようなものが必要となります。
彼は、約束したことを実行するつもりはなく、(この失敗の責任を問われることもない)
彼の実際の政策と、政権に就く前の宣言との間に類似性があるとしても、
それは単なる偶然でしょう。
反キリストの最初の権力の基盤が宗教的であることを考えると、
彼の運動もまた、外観上は政治的というよりも宗教的である可能性が高いです。
(実際には、明確な政治的野心を持っているのですが)
従って、獣の政策公約は、現代の民主主義国家の市民が慣れ親しんでいるものよりも、
さらに大まかなものになることが予想されます。
「偉大な宗教指導者」として、また少なくとも彼の側近にとっては「真のメシア」として、
彼に身を委ねる人々には、彼が権力を握った後すべての問題を解決することを
「信頼」することが期待されるでしょう。
攻撃の対象となる具体的な政策案がほとんどない中、
反キリストは巧妙かつ欺瞞に満ちた手口で、なるべく人々を疎外させないように、
政策を練り上げ、同時に大多数には、
詩的で曖昧な彼の言葉に彼らの野生的な夢を投影させるでしょう。
欺きの達人として、
(ダニエル8章23-25節,11章21節,11章27節;第二テサロニケ2章9-12節;
黙示録19章20節参照)
獣は、右翼と左翼の両極に訴え、取り込みながら、
中間の人々も取り込む広報戦略を立てるでしょう:
- 社会政策の面では、増大する不安定さと犯罪の抑制を約束しながらも、それ以外のすべての行動に対しては、(たとえそれがどれほど下劣なものであっても)放任主義を採用する。
- 経済政策の面では、拡大する危機の打開を約束しながら、同時に債務を軽減し、(財産権を無視した)経済的平等を実現する。
- 外交政策の面では、海外の世界の積極的な改善にかかわることで自国の安全を約束(独善的に正当化された独裁的な世界一国主義アプローチ)。
つまり、反キリストの運動は、
禁欲主義と自由主義、(社会政策)資本主義と共産主義(経済政策)、
孤立主義と介入主義、(外交政策)のように見える矛盾した政策方針を
同時に包含することになります。
もちろん、世界的な権力基盤さえ確保できれば、本当には「やりたい放題」となります。
危機の重圧に加え、獣の政策方針に具体性がないことも、
正当な懸念を和らげるのに大いに役立つでしょう。
獣の運動は、何よりもまず「宗教的」なものであり、
「万人のために」政治的解決策に転じたのだから、
このように具体的なことを言わないのは合理的に見え、
より伝統的な政党の場合よりも容易に許容されることになるでしょう。
信奉者たちは、この特別に「善良で才能のある」人物に信頼を置き、
彼が現代の緊急の問題に対して、神の力と超自然的な解決策をもたらすことを信じ、
世界中の平和、繁栄、安全、調和の新千年紀を、社会のあらゆる部分が恩恵を受ける、
つまり誰もが勝ち、誰も失わない、
あらゆる点で祝福されたものをもたらすということを信じるようになるでしょう。
このビジョンの魅力、緊急事態の緊急性、聖霊による抑制の解除、
反キリストの特別例外的な(しかし実際はひどい)性質はすべて、
彼の運動の成功と人気を高める要因になります。
反キリストの宗教的・政治的運動の文脈で理解すべき重要な点は、
その台頭が大背教に果たす役割です。
(逆に、大背教がそれに果たす役割)
世界中の多くの生ぬるいキリスト教徒が真のメシアへの忠誠から離れることは、
偽メシアである反キリストに従う者への転換と密接に関連するでしょう。
前回は、艱難期の特殊な状況、すなわち聖霊の抑制がなくなること、
それに伴う不法の秘密の勢力、確かな聖書の教えの欠如、
説得力のある偽りの教えの氾濫が、
すべて反キリストの宗教運動の隆盛に寄与することを見てきました。[1]
結局、獣の嘘が効果を発揮する前に、まず真理が拒絶されなければならず、
この神のみ言葉の真理の拒絶こそが、
反キリストの成功と密接に織り込まれる背教の核心です:
わたしはだれに語り、だれを戒めて、聞かせようか。
見よ、彼らの耳は閉ざされて、聞くことができない。
見よ、彼らは主の言葉をあざけり、それを喜ばない。
(エレミヤ6章10節)
この宗教運動は、反キリストの政治的攻勢を開始する拠点であり、
エキュメニカル<各宗教、教派の一致を目標とするよう>なもので、
今日「キリスト教団体</組織>」と呼ばれるもののほとんどを徐々に取り込み、
吸収していきます。
そして、獣とその偽預言者があらゆる欺瞞の覆いを脱ぎ捨て、
サタンとその油注がれた反キリストへの徹底した崇拝という、
この運動の正体を露わにするとき、艱難期の中盤で<その宗教運動は>最高潮に達します。
(第二テサロニケ2章4節;黙示録13章1-18節;ダニエル11章36-39節)
こうして、反キリストがついに「姿を現す」時、
すでに彼を真のメシアとして受け入れている人々には、あまりにも遅すぎることでしょう。
しかし、反キリストの運動の展開という点では、
この受け入れ、忠誠、「信仰」は一朝一夕に転換するというより、
政治的、軍事的成功を重ねて力と勢いを増すような段階的なものであると予想できます。
(ちょうど、大背教が大迫害の圧力下にあって頂点に達するのと同じです。
政策的には、反キリストの漠然とした疑似宗教的な約束は、
政治的両翼の両端にいる名ばかりで生ぬるいクリスチャンの興味を大いにそそるでしょう。
左派の人々にとっては、獣が説く「経済的正義」、「共生」道徳、
「全人類の利益」のための積極的な国際主義は、大いに推奨できるものでしょう。
右派の人々にとっては、「千年間」の経済的繁栄と無限の機会の約束、
犯罪と社会的動乱の撲滅の約束、「征服する救世主」を口実にした
外敵の強力な排除の約束は、抵抗しがたいものでしょう。
つまり、この偉大なメシアの支配下にある黄金時代は、
すべての関係者にとって「見逃すには惜しい取引」に思えるでしょう。
このような夢のような見通しのすべてが、
霊的というよりも本質的に世俗的で物質的であることを理解するクリスチャンの懐疑論者は、
自分たちがますます<蚊帳の>外にいることに気づくでしょう。
最も効果的な悪魔のプロパガンダ、最も強い圧力、
そして歴史上最も霊的に準備されていない大勢のクリスチャンという
三重の組み合わせが、
反キリストの成功と背教のプロセスに大きく貢献することになるでしょう。
ですから、バビロンという最も大きなキリスト教共同体の場所が、
(人数、影響力、そして歴史的には有効だったもの)
最も大きな背教の場所となることは理解できることです。
実際、反キリストの母国として、バビロンは大背教が始まる場所であり、
イエス・キリストから最も多く、最も劇的な離反が見られる国となるのです。
キリスト教世界におけるその影響力を考えると、
悪魔とその反キリストにとって、信仰に対する最後の大攻撃を開始する場所として、
これ以上の場所はないでしょう。
獣の政治・宗教運動に関して確かなことは、
(新しい「メシア」を「ただ信じる」必要性以上に)
具体的なことは意図的に曖昧であるかもしれませんが、
興奮や娯楽には欠けることはないだろうということです。
解決策を求め、気晴らしを求め、誘惑に敏感なその時代の世界にとって、
これまで見たこともないようなカリスマ的な人物に導かれる大衆運動の誘惑、
約束、スリル、情熱、興奮は抵抗しがたいものでしょう。
(そしてそれに抵抗する者はほとんどいないでしょう)
この一見正しい装いをした独善的な運動は、
あらゆる種類の悪と隠された欲望に方向性を与え、数で物を言わせ、
大衆的大義名分によって自分たちのしようとすることを正当化するでしょう。
反キリストの運動の約束は、バビロン住民の不安を解消し、
欲望を刺激し、多くの者を酔わせる葡萄酒となるでしょう。
それによって獣にクーデターを実行し、
バビロンを支配するための実質的基盤を与えることになるでしょう。
(ハバクク2章4-5節を参照)
[1] 反キリストの宗教運動についての詳細は、
「来たる艱難期」3A: 「艱難期の始まり」 II.3.c.2「艱難時代の偽宗教の説得力」、
そしてこのシリーズの第4部では、
VI.1節「反キリスト教宗教とその世界的拡大」をご覧ください。
--パート28に続く
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羊の皮を被ったオオカミよりも
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・・・わたしがきたのは、羊に命を得させ、
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わたしはよい羊飼である。
よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、
おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。
そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
(ヨハネ10:10b-12)
感謝します
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暑さが戻って来たけど
やっぱり夏の暑さとはどこか違う
雲も、夏の雲とはどこか違う
やっぱり9月なんだね
明日は、秋田から東京に来てくれる友人に会いに行ってきます
曇り予報だけど、雨降らないで欲しいな・・・
今日も穏やかな一日を
お祈りしています
まろ君、ペコちゃんみたいになったね
また来るね
今日もありがとう~