(ひとしずく・背教について) ‐質問に対する分け合い‐ | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
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 背教について 

 

以下は、ルギンビル博士の著した

<現在米国大学で古典ギリシャ語を教えている言語学者であり、ichthys.com の著者>

「来たる艱難期-3A」からの抜粋です。

ある友人からの質問に答えて、抜粋してご紹介しています。

「サタンの反乱」シリーズから順に訳したものを紹介して、

 今はそれに続くシリーズの「来たる艱難期-2B」翻訳中です。)

 

最近、第二テサロニケ2章3節「背教」と訳されている言葉は

実は、「携挙」のことではないかという質問に対して、

ichthys.comの以下の箇所を参考にしてもらえたらと思い、

それをここに紹介します。

抜粋して、訳した箇所は、その一部です。以下のリンクからです。 

https://ichthys.com/Tribulation-Part3A.htm#1.%20Definition,%20Etymology,%20Process%20and%20Prophecies%20of%20the%20Great%20Apostasy 

 

b. 背教の語源:

 英語の「アポスタシー apostasy」

ギリシャ語のアポシタシアapostasia (Āποστασία; 第二テサロニケ2章3節参照)の音訳で、

語源的には「離れて立つ」(apo = "away(離れる)"; stasia ="standing(立つ)")

または何かから「離れる」ことを意味します。

誰かや何かから故意に背を向ける、見捨てる、「反抗する」という行為は、

古代ギリシャ語全体を通して、この語の最も一般的な用法です

(参照:使徒行伝21章21節:KJVとNASBでは "forsake(捨てる)"、

NIVでは "turnaway(背を向ける) "と訳されています<日本語の口語訳では「そむく」>。 

 

旧約聖書と類似している点では、アポスタシア<名詞>は

同族の動詞アフィステミaphistemi 使徒行伝5章37節参照)と共に、

神から離れるという同じ概念を表しますが、これに類似した、

多くの旧約聖書のヘブル語の表現があります。

 

例えば、ヘブル語では、名詞メシュバ(משבה;「後戻り」または背教)

と同族の動詞シュブ(שוב;「後戻りする」または背教する)

がよく使われる名詞と動詞の一組です。

 

どちらの言語でも、この概念を表す用語は数多くありますが、

ギリシャ語とヘブル語の対応している語彙からわかる主要なことは、

「アポスタシー」とは、紛れもなく、神から離れること、

神を見捨てること、神に反逆すること、

つまり、信仰者が神の権威を完全に拒絶すること、

神に対して「背を向け」、代わりにこの世に「戻っていく」ことにほかなりません

(参照:ヨハネ15章1-7節ローマ11章17-23節[1](18)。 

 

 

 石地にまかれたものというのは、

 御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。

  その中に根がないので、しばらく続くだけであって、

 御言のために困難や迫害が起ってくると、

 すぐつまずいてしまう(スカンダリゼタイ;すなわち、背教するのです)。

                              (マタイ13章20-21節) 

 

 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。

 御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、

  自分の中に[信仰の]根がないので、しばらく続くだけ[の信者]である。

 そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、

 すぐつまずいてしまう(スカンダリゾンタイ:棄教する)。

                            (マルコ 4章16-17節) 

 

 [信仰の種が]岩の上に落ちたのは、

 御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、[信仰の]根が無いので、

 しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、

 信仰を捨てる(アフィスタンタイ:止める、棄てる)人たちのことである。

                                    (ルカ8章13節) 

 

アポスタシー(背教)の根底にあるのは信仰の死であり、

一度は信じた者が救い主である私たちの主イエス・キリスト拒絶することです。

 

上記の福音の種まきのたとえの箇所から明らかなように、

多くの場合、「艱難」「迫害」、つまり弟子となるための代価が、

その時点で楽だと思われる道を選んで、

かつての信仰者に信仰を捨てさせる決定的な要因となります

(参照:「艱難」「迫害」は、それぞれ大背教と大迫害における

 艱難期前半と艱難期後半に特徴的なものです)。 

 

 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、

 この世の汚れからのがれた後、

 またそれに巻き込まれて(霊的に)征服されるならば、

 彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。

 義の道を心得ていながら、

 自分に授けられた聖なる戒め(キリストを信じること)そむくよりは、

 むしろ義の道を知らなかった方がよい。

  ことわざに、

 「犬は自分の吐いた物に帰り、

  豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、

 彼らの身に起ったことは、そのとおりである。

                      (第二ペテロ2章20-22節) 

 

 


[1] この他にも、ヘブル語旧約聖書とギリシャ語新約聖書には、

背教の概念を表す言葉がたくさんあります。

例えば、アナカンプト(ἀνακάμπτω 「引き返す」第二ペテロ2章21節参照)、

スカンダリゾ(σκανδαλίζω 「つまずかせる」マタイ24 章10節)、

ペシャ(פשע「反逆」ダニエル9章24節参照)

シュール(סור「背教」イザヤ1章5節参照)、

マラド(מרד「そむく」民数記14章9節参照)、

およびこれらの同族の言葉を挙げるときりがありません。 

 

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 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。

まず背教のことが起り、

不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、

自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

 わたしがまだあなたがたの所にいた時、

これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。

 (第二テサロニケ2章3-5節) 

 

 

 

その時になると、不法の者が現れる。

この者を、主イエスは口の息をもって殺し、

来臨の輝きによって滅ぼすであろう。  

(第二テサロニケ2章8節) 

 

 

 

すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、

合図の声で、天から下ってこられる。

その時、キリストにあって死んだ人々が、

まず最初によみがえり、

 それから生き残っているわたしたちが、

彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、

空中で主に会い、

こうして、いつも主と共にいるであろう。  

(第一テサロニケ4章16-17節) 

 

 

 

 

春が来たね音符

 

 

 

 

みんな賛美しているみたいだね音符

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(2019年2月ももちゃん)

今日もありがとう~ラブラブ