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ペテロの書簡#27 パート9
1. 救いは信仰の継続を条件とすることを示す聖句:
あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、
心の中で神に敵対していた。
しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、
あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、
責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。
ただし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、
すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである。
この福音は、天の下にあるすべての造られたものに対して
宣べ伝えられたものであって、
それにこのパウロが奉仕しているのである。
<欽定訳では、「もし… であるなら…」。
新改訳では、「すべき」が「なければならない」となっています>
次の言葉は確実である。
「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。
もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。
たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。
彼は自分を偽ることが、できないのである」。
もしあなたがたが、いたずらに信じないで、
わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、
この福音によって救われるのである。
キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。
もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、
わたしたちは神の家なのである。
(ヘブル 3章6節)
もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、
わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。
2. 信仰を守るように警告している聖句:
あなたがたは、はたして[クリスチャンとして]信仰があるかどうか、
自分を反省し、自分を吟味するがよい。
それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、
悟らないのか(ヨハネ14章23節参照)。
もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる。
これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、
彼らが悪をむさぼったように、
わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。
すなわち、
「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。
不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。
主を試みた者は、へびに殺された。
また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。
つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、
それが書かれたのは、
世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、
豊かな報いを受けられるようにしなさい。
すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、
神を持っていないのである。
その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、
またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
人がわたしにつながっていないならば、
枝のように外に投げすてられて枯れる。
人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
3. 罪深い行いは、信仰と相反するものであると教えている箇所:
肉の働きは明白である。
すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、
敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、
今も前もって言っておく。
このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。
まちがってはいけない。
不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
盗む者、 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、
いずれも神の国をつぐことはないのである。
また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、
あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。
また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。
これらは、[あなたがたの間では]よろしくない事である。
それよりは、むしろ感謝をささげなさい。
あなたがたは、よく知っておかねばならない。
すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、
すなわち、偶像を礼拝する者は、
キリストと神との国をつぐことができない。
あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。
これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。
だから、彼らの仲間になってはいけない。
富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、
また、人[の心]を滅びと破壊とに沈ませる、
無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。
自分の永遠の命を守る:
イエス・キリストを信じる者として、私たちは永遠の命を持っています。
そして、それは私たちの最も貴重な財産です。
畑に隠された宝を見つけた人が、自分の持っているものすべてを売り払って
その畑を買ったように(マタイ13章44節)、
永遠の命はこの世のものとは比べものにならないほどの喜びです。
私たちの永遠の命もまた、隠された宝物のように、まだ発掘されてはいないのです。
それはキリストの中に隠されていて、復活の時に明らかにされるのです。
しかし、私たちは今ここでその命、永遠の命を持っているのであり、
その最も貴重な財産を守ること以上に重要なことはありません。
信仰が生きたものである限り、私たちの永遠のいのちは続きます。
私たちの信仰こそ、私たちの永遠の命の鼓動だからです。
信仰を守り、強めることによって、
私たちは永遠の命を安全に保つことができるのです
(第二ペテロ1章10節)。
どんな組織もこの命を提供することはできません。
一度だけの信仰告白でこの命が保証されることはありません。
また、現在や来るべき未来の人生の重圧を否定しても、
私たちが直面しなければならない心配や試練から
この命を守ることはできないのです。
安心は、この世のエジプトに戻ることではなく、
の約束の地に向かって邁進することにあるのです。
御言葉を通して神を求め(第一ペテロ2章2節)、与えられた賜物を通して
神に仕えることによって(第一テモテ3章13節, 4章15-16節)
私たちは、険しい永遠の道をどんな犠牲を払ってでも歩み続けます。
その道の終わりに永遠の不思議、勝利の祝福と報酬、
新しい天、新しい地、新しいエルサレム、復活、
私たちの主イエスキリストと永遠に交わる
永遠のいのちがあることを知っているからです。
もし私たちがこの岩、私たちの救い主イエス・キリストの上に人生を築くなら、
私たちの土台は何があっても安全であるでしょう。
彼は私たちの唯一の真の安全保障であり、
私たちがどのような苦難に耐えるよう求められても、
堅固でしっかりしたものだからです。
もし私たちが主を信頼し続け、
毎日自分の十字架を背負って主に従い続けるなら、
私たちは決して何も恐れることはなく、信仰はからし種のように成長し、
最初はただの苗木だったものが、目の前で大きく立派な木に成長し、
どんなに厳しい人生の荒波にも揺るがない木になったことが分かるようになるのです。
--ペテロの書簡#27シリーズ終わり
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たくさんの御言葉を紹介してきました
一度に全部消化しきれないかもしれませんが
畑に蒔かれた小さな一粒の種が
芽を出し、成長し、実を豊かに生らせたらいいですね
読んで下さって感謝します
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昨日は小学生の孫の運動会だったそうで、
応援には行けないけど、駄菓子とビールを送りました
晴れて良かったね
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夏が長かったせいか、9月を跳ばした気もするけど
夜ウォーキングしながら、虫の鳴き声やススキ
雲から出たり隠れたりする大きな金色の月とデートしていると
やっぱり秋なんだぁ・・・って思いました
レンガの塀にいた白猫ちゃんがたっぷり遊んでくれて可愛かった~
今日から10月
今月もよろしくお願いします
揺るがない木
信仰はからし種のように成長し
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(2017年10月ももちゃん)
今日もありがとう~