(ひとしずく・黙示録シリーズ・クラス1 パート20)<(堕落)天使たちの神への反逆>獣の刻印からの続きです
黙示録シリーズ・クラス1 パート21
(4月29日 午後のクラス)
<質問コーナー>
質問:
天使には性別はないように思えるんですが、
また霊の存在である天使と人間の間に子どもができるのかということが、
ちょっと私たちの間隔では理解できないのですが、
それについてはどう思いますか?
答え:
天使といえば、男性のイメージがありますが、
聖書に一箇所だけ女性の天使が出てくるところがあります。ゼカリヤ5章です。
「それからわたしが目をあげて見ていると、ふたりの女が出てきた。
これに、こうのとりの翼のような翼があり、その翼に風をはらんで、
エパ枡を天と地との間に持ちあげた。
わたしは、わたしと語る天の使に言った、
「彼らはエパ枡を、どこへ持って行くのですか」。
彼はわたしに言った、
「シナルの地で、女たちのために家を建てるのです。
それが建てられると、彼らはエパ枡をそこにすえ、それの土台の上に置くのです」。
(ゼカリヤ5章9~11節)
これを女性の天使だと言っている人もいます。
そして、元悪魔崇拝の司祭であった人の話や、
またユダヤ人の間でも信じられていることらしいのですが、
天使というのは天にいる時には性別というのはないのですが、
地上では男性にも女性にも、また子どもや若者や老人にもなることができるということです。
そして、天使と人間が交わることはできないと主張する人たちの根拠というのが、
イエス様が言われたこの言葉、
「復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。
彼らは天にいる御使のようなものである。」(マタイ22章30節)とあるので、
性交はできないと解釈するのです。
それでそのように考える人たちは、創世記6章に出てくる神の子というのは、
アダムとエバの間に生まれたセツの子たちのことであろうと解釈します。
しかし、イエス様は、天使はめとったり、とついだりはしないとは言われましたが、
性交できないとは言われていません。
そして創世記6章を読むと、神の子たちが人の娘たちの美しいのを見て、
自分の好む者を妻にめとった結果、ネピリム(巨人)が生まれたということなので、
そこには何か普通ではないことがあったわけで、
普通人間同士の間に巨人はできないですよね。
ですから、ここを素直に捉えるなら、やはり天使と人間の間にそのハイブリッドである
巨人が生まれ、と考えるほうが自然ではないかと私は思います。
ちなみに天使自体は巨人というわけではなく、
また天使と人間の間に生まれた子どもも、生まれた時から大きいわけではなく、
巨人となる遺伝子を持って生まれたと考えられるのではないかと思います。
そして、ネピリムはただ体が大きいというだけでなく、
「彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。」(創世記6章4節)
と聖書にもあるように、
並外れた知恵と知識、
また町の建設や権力者になるような力量を持っていたと思います。
なにしろ堕落したとは言え天使の遺伝子を持っているので、
人間の知恵や知識、また力では到底できないような、
高度な技術やシステムなどをもたらしたのではないかと思われます。
このネピリムはノアの洪水で滅ぼされました。
しかし、なぜか旧約聖書を見ると、その後も所々にネピリムが登場します。
この理由については諸説ありますが、確かなことはわかりません。
ただ、洪水後にもネピリムがいたことは確かであり、
堕落天使の遺伝子を引き継いだネピリムたちは、旧約時代、国の王や町の権力者となり、
支配していたと思います。
そして、現在もこのネピリムは存在していると思います。
後で分け合おうと思っていることなのですが、
黙示録に出てくる七つの頭と十の角について、この十の角というのは
十人の王のことなのですが、
これもネピリムなのではないかと思います。
質問:
天地創造の時にすでに天使が存在していたということですが、
私たちは天地が造られる前から選ばれていた(エペソ1章4節)、
と語られているところが聖書にあります。
そうすると、私たちも天地が造られる前に創造されていたのかな、と
思ったりするのですが・・・。
答え:
創世記1章27節には、天地創造の6日目に人間が創造されたとあるので、
「私たちは天地が造られる前から選ばれていた」というのは、
私たちが天地が造られる前に存在していたということではないと思います。
6日間の天地創造の前、創世記1章1節で、
「初めに神は天と地を創造された」とあります。
この「初めに」という言葉はヘブル語の「ベレシート」なのですが、
この言葉は「初めに」と訳すよりも、「何よりも先に」と訳したほうが良いのではないか、
と言語学者の方が言っています。
「ベレシート」という言葉の意味はとても深く、訳しにくいそうなのですが、
他のすべてのことの前に、まず神は天と地を造られた。
そして、この6日間の天地創造というのは、最初の天地創造とは別のものであり、
3節以降の天地創造というのは、悪魔らが反乱を起し、
神の裁きによって破壊されたものをまた回復するということです。
なぜなら神は無から有を造られる方であるのに、
なぜ形なくむなしいものや淵の上に闇が存在していたのか、
これは無から有を造られる神の天地創造ではないように思えます。
ですから裁きの後の廃墟からの回復と考えられ、その時に人間が造られ、
その時には天使がすでに存在していたということです。
その根拠となる聖句を前にいくつか紹介しましたが、
6日間の天地創造の際には、天使達がそれを喜び呼ばわって見ていたということです。
質問:
ということは、地球の歴史は6000年よりももっと長いということになるのですか?
答え:
そうなんですね。
世界に残されている古代の遺跡、巨石文化などいろいろありますが、
あるものはどう計算しても6000年より前に造られたものだという話もあります。
モーセは神の啓示によって創世記を書いたと思いますが、
それ以外の記述がないので、古代の遺跡、
考古学については私たちは知りようがないのですが、
少なくともこの現在の天地創造の前に、初めの天地創造があり天使の反乱があり、
神の裁きがあり、という時代が存在したとしたら、
私たちが元々考えていた以上にこの地球の年代はあるかも知れません。
質問:
これは一つの説ですよね?
神学者によってはまた違ったいろんな説がありますよね。
答え:
そうです。これは一つの説です。
しかし、こう考えると、いろいろ説明がつくのではないかなと思います。
堕落天使の反抗と裁きについては
創世記1章2節のひと言だけからでは説明がつきませんが、
これは天使が神に反抗した結果だということが理解できますよね。
そして創世記3章ではもうすでに神に対して悪魔は反抗していますので
(エバをそそのかすために悪魔が登場している)、
じゃあその前に何かがあったのだろうな、ということが想像できるわけです。
ー以上質問終わり
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神の計画の最後には、新しい天の都がこの地上に降りてきます。
そしてそこにはもちろん神の御座もあります。
その時までには、この地は清められているわけですが、
この地というのは私たちの予想をはるかに超えた途方もなく貴重な存在であるわけなのです。
本来、天国のあるべきところは地球だったのです。
悪魔の反抗と人の罪のために、天国はここに存在できなくなったのだと思います。
罪の呪いがあるこの地上では私たちは旅人であり寄留者なのですが、
神さまのほうも、多分エデンの園が閉じられた時からこの地は汚れてしまったので、
エデンの園や神の御国は一時的に第三の天に逃れて行っているのではないかと思うのです。
この呪われた地は、今、神の栄光があまり見られなくなっています。
それで人間も、また自然の被造物もうめいていて、あがなわれるのを待っている、
神の子の出現を待ち望んでいる状態です。
私も罪びと、あなたも罪びとで、神の栄光を受けられなくなっている状態なのですが、
地球も同じです。
しかし、実は地球というのは本来は途方もなく素晴らしいところなのだと思います。
もし、地球以外にもっと良いところがあるのなら、
悪魔は地球をさっさと人間にあげて、そこに行くのではないでしょうか。
そんな汚れた場所、お前たちにくれてやるよ、と。
しかし、そうではないのです。
神さまは土から造った私たちに、この地球を与え、管理させようとされています。
それは決して卑しい仕事ではなく、
イエスさまも私たちと共にこの地を治めてくださろうとしておられるのです。
すごいですね。
そして永遠の御座をここに定めると言っておられるので、
今自分たちが与えられている神さまからのもの、
もちろん今は不完全な状態になってしまっているけれど、
神さまはわずかなものに忠実だった者には、多くのものを任せようとされています。
今、私たちはどれだけ神様の創造物をありがたく思って感謝しているでしょうか。
人間も、お互い同士、有りがたく思って、
尊敬し合い愛し合い、人間て素晴らしいなー、
罪が入って大変な部分も抱えてしまっているけれど、人間ていいよ、
天使でなくていい、不完全で血を流す、
すぐに傷ついて、そういう感情がある、
そんな私たちで十分いいんだと、
それを感謝して、その祝福を噛みしめて毎日生きていけたなら素晴らしいなー
と思うのですね。
なぜなら、そんな人間をいつくしんで、
神は、御子イエスを私たちのところにつかわして、人となられたイエス様は、
十字架の上で私たちの全ての罪を背負って身代わりとなって死んでくださった。
神はこんな私たちが生きるようにと、
命をかけて愛して下さっていることを示しておられるのですから。
それを広い意味で見るなら、動植物を大切にすることや、
また土を耕すことでも、卑しい仕事ではなくて、
それは神の奇跡を見せてくれるものなのです。
小さな種から命が芽吹き、それが成長して実をつける。
こんな素晴らしい奇跡に満ちている世界を神さまは造られ、
私たちに管理するように与え任せて下さった。
神様って本当に素晴らしいなー、と
創造の素晴らしさを賛美しながら生きていけたらなーと思うのです。
それを何か課せられた仕事としてではなく、毎日、神さま、楽しんでいます。
感謝しています。
神さまの創造されたものは素晴らしいです。
またイエス様が私たちに命じられたおきても素晴らしいです。
「互いに愛し合いなさい」。
私たちは神さまが与えてくださった祝福を、もっともっと賛美して神に栄光を捧げ、
御名が高められるように心から祈って毎日を過ごして行きたいですね。
悪魔は神を冒涜する者です。
そして私たちを神に背かせ、この神の祝福、恵み、愛に気づかせないよう、
私たちがいつも不平不満でいっぱいになって生きるよう、
必死になってあの手、この手を使って惑わします。
そして、神や他の人を愛するのではなく、自分第一主義、自分だけを愛するように、と
神の第一の戒めの逆の思想を人々に植え付けます。
ですからそういう悪魔の汚い策略にはまらないように注意しなければなりません。
神は私たちを聖徒と呼んで下さっているので、それにふさわしく、
神さまはご自身の血を流して私たちを洗い清めて下さったんだ、
というその愛を感謝しながら歩んで行けたらと思います。
主よ感謝します。
―以上4月29日 午後のクラス終わり
続く(ひとしずく・リトリート クラス2 パート22)<どう生きるのか>
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先日、孫たちに会った話をしましたが
その時に感じたことがありました
上の子と末の子はやっぱり違うな…と言うことです
末の子の今の年齢の時、上の子はどうだったかなぁ…と思い出してみると
かなりしっかりしたお姉ちゃんでしたからね
(それぞれの特権ですけどね)
アイスクリームを食べたとき、末の子が一番早く食べ終わった後で
まだ食べているお姉ちゃんたちを見て
「誰も僕に分けてくれない!」と言ったのです
一口味見してみたかったのなら「僕にも一口ちょうだい」と尋ねることも出来たでしょう
多分、今まで口を開ければお姉ちゃんたちは自動的に分けてくれたのでしょう
明らかに不平とも聞こえる言葉に
「〇君はお姉ちゃんに分けてあげたの?」
甘々ばぁばでなく、辛口ばぁばとしては、そう言います
(一方では、受けることを喜んで感謝することも大切です)
でも、その末の子も今はお兄ちゃんになったので
これからいろんなことを学んでいくことでしょうね
(私もハッと気づかされます
三人兄弟の末っ子なので、そういう意味では与えられることが当たり前の部分を
持ち合わせていたのかもしれません
だから5人の子供を授かったことで、子供達からたくさん学ぶことができました)
私たちは、与えられることが当たり前になると、どんなに恵みがあっても
感謝できないので、嬉しいことや楽しいことが半減してしまいますね
積もり積もると、それが不平に繋がっていきます
自分第一主義、自分だけを愛するようにと誘惑するものから守られないといけないです
感謝の気持ちを忘れてはいけないのですね
『受けるよりは与える方がさいわいである』
『与えなさい、そうすれば与えられるであろう』
『求めなさい、そうすれば与えられます』
感謝します
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o
(2016年6月ももちゃん親子)
4匹の仔猫におっぱいをあげながらお昼寝しているももちゃん
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半夏生
今日もありがとう~