”(ひとしずく・④麦と毒麦)別のイエス” | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

去年3月14日の記事のリブログです

(全文転載)

 右差しパート③からの続き

~友人からのメール~

 

麦と毒 パート4   (2021年1月18日聖書クラスより)

                          

別のイエス

         

 実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、

 あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、

 受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。

                                       (コリント人への手紙第二 11章4節)

 

 

悪魔は様々な手段を使って、使徒たちが宣べ伝えることもしていなかった異なるメシア

(救世主=キリスト)を人々に宣伝していると私は思います。

まことのメシアであるイエスは、宇宙のどこからか来たわけではありません。

天の父なる神からつかわされて来た神です。

 

ある人達は、イエス様は、宇宙人であったという説を言っているようです。

しかし、全宇宙は神である御子イエスによって創造されたのに、

どうしてその宇宙のどこかの一つの星からやって来なければならないか私にはわかりません。

 

 

 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、

 位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。

 これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。

 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。

                                        (コロサイ 1章16-17節)

 

ですから、主は万物よりも先に存在しているのに、

どこかの銀河系の星の一つから出てくるということがどうしてできるでしょうか?

 

 

 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、

 御子によって、この世が救われるためである。

                               (ヨハネの福音書 3章17節)

 

「神が御子を世につかわされた」とあります。

そして今、また御子イエスは、父のみもとにおられます。

 

 …彼(イエス)は、自分の前におかれている喜びのゆえに、

 恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

                                              (へブル人への手紙 12章2節)

 

主は人の罪のための犠牲となられて、地の深いところに下り、

それから天にあげられて父なる神と共におられます。

だからといって宇宙の果てにはおられないということではありません。

宇宙空間も神の御手によって創造された一つの次元の世界に過ぎません。

そしてその世界は、過ぎ去ります。

 

 天地は滅びるであろう。

 しかしわたしの言葉は滅びることがない。

                           (マタイによる福音書 24章35節)

 

 

聖書の記述からすると、神は複数の次元の世界、

少なくとも複数の天を造られたのがわかります。

「天」は複数形の言葉が使われており、またパウロも「第三の天」のことを言っています。

 

ですから、滅び行く宇宙のどこかの星が、神であるイエスの出身地というのは、

イエスをあまりにも卑しめる言葉です。

 

神を中に入れる宇宙や天も地もありません。

それら全ては神のお言葉によって存在することを許されている被造物に過ぎません。

 

 しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。

 見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません…

                                        (列王記上 8章27節)

 

 …天も、諸天の天も彼を入れることができない…

                                 (歴代誌下 2章6節)

 

 また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。

 天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

                                      (黙示録 20章11節)

 

 

創造者は、自分の造った星の一つから生まれる必要はありません。

神が(イエス)この地にやって来られたこととは、意味が全く違います。

神は創造者であられたにもかかわらず、自らを虚しくされて人と同じ姿になられた、

それは愛と救いをもたらすためです。

 

 

 キリストは、神のかたちであられたが、

 神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、

  かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、

 人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、

  おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

 

 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。

 

 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、

 あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、

 「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。 

                                                   (ピリピ 2章6-11節)

 

 

神であるイエスが栄光を受けるにふさわしいお方であるのは、

自ら低くなられてすべての者に仕える者となられた方だからです。

 

反対に権力と地位に、自分に栄光を求めた悪魔は、

欺きと滅ぼすことと、反抗と反逆、周りの者達を扇動することによって自分を高めること、

プライドを満足することを求めました。

そして今も尚彼は同じです。

全く神がイエス・キリストを通して表された愛と謙遜の姿の反対です。

 

それこそ、ひとりのサマリヤの女性の魂に手を差し伸べるために、

旅をして疲れと渇きと空腹を覚えられたイエス様の姿とは全く正反対です。

 

 

右差しパート5に続く

 

 

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私の子育ての時、寝る前に必ず絵本を何冊か読んであげました

ある時はあまりに疲れて読みながらウトウトしてしまうと子供が「ママ!ちがう!」と言うのです

まだ字が読めないのですが毎日聞いているので記憶しているんですね

「あぁ~ごめんごめん」と、目をこすって読み直していたものです

 

お気に入りが何冊かあって、「ひよこのリキン」という絵本をよく読んでいました

村にいる何匹かの動物が登場するのですが、

ひよこがひょんなことにびっくりして「空が落っこちてきたよ!」と叫んだことから、

それを聞いた動物が次々に伝言ゲームのように村中に伝わっていきます

最後にキツネが登場して

「この先に洞穴があるからみんなそこにお逃げなさい」と言います

みんなは親切なキツネの言葉に喜んで、自ら洞穴に入っていきます

ところが、みんなが入り終わったあとで・・・キツネは洞穴を塞いでしまうのです

 

ちょっと怖い話なのですが、そこには大事な教訓があって

真実でないことを鵜呑みにしてしまうと、困った羽目に落ちやすいということでした

 

麦と毒麦、真理と嘘、憎しみと愛、生と死、・・・・

誰の言葉について行くのでしょうか?

 

 

イエスは彼に言われた。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

わたしを通してでなければ、

だれひとり父のみもとに来ることはありません。

(ヨハネ14:6)

 

感謝します

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昨日は雷と豪雨で携帯にも土砂災害の警告音が響いていました

本当に空が落っこちてきた?!って感じでしたが、今朝はすっきり晴れ渡りました

みなさんのお住まいの所は大丈夫だったでしょうか?

お祈りしています

 

 

馬酔木

今日もありがとう~ラブラブ

 

 

 

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右差し「ダーク・トゥ・ライト」https://darktolight.jp

私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。

 

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(転載終わり)