(ひとしずく・④ヨハネの福音書三章)水と霊とから生れなければ | sarah‐mercy

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右差し パート③からの続き

~友人からのメール~

 

「ヨハネの福音書三章」 パート4

                       (2020年8月7日クラス)

 

<ニコデモとイエス様の問答>

 

 イエスは答えられた、

 「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、

 神の国にはいることはできない。

                      (ヨハネ3章5節)

 

このイエス様が言われた「水と霊とから生れなければ」という「水」の部分においては

主に四つの解釈があります。

そのことについて少し説明したいと思います。

 

まず一つ目は、水から生まれるというのは「水の洗礼(バプテスマ)のことだという解釈です。

もしそうだとするなら、このイエス様が語られている内容は救いについてなので、

水の洗礼もしないと救われないということになります。

しかし聖書は、救いとはあくまでも行いによらず、イエス・キリストを信じる信仰によるものだと

語っているので、これは当てはまらないと思います。

 

二つ目は、水から生まれるとは、「御言葉から生まれる」ことを意味するという解釈です。

確かに聖書には水と御言葉を関連づけて語っているところがあります。

たとえば第一ペテロ1章23節には

 「あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、

 すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。」

とあります。

ですからこの解釈によると、天国に入るには、

御言葉と御霊によって生まれ変わることだということになります。

 

三つ目は水から生まれるとは、「御霊によって生まれる」ことだとする解釈です。

水は聖書では御霊の比喩的表現として使われることがあります。

たとえば次のイエス様の言葉です。

 「『だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。

 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、

 その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう』。

 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。」

                                                (ヨハネ7章37~39節) 

 

ところで、ここで疑問になるのが、もし水が御霊のことであるなら、

イエス様は同じ言葉を二回続けて言っていることになり、文章的におかしなことになります。

しかし、「水と霊」「と」はギリシャ語の「カイ」という言葉で、

これは「すなわち」とも訳すことができるそうです。

その訳でこの文章を見るなら、

 「だれでも、水、すなわち霊から生れなければ、神の国にはいることはできない。」

となります。

 

四つ目は水から生まれるというのは「肉から生まれる」ことを意味するという解釈です。

パリサイ派の神学によれば、肉から生まれることを水から生まれると言うそうです。

なぜかと言うと、人間が母親の胎内から生まれ出てくる時、羊水と一緒に出てくるからです。

また、第二ペテロ3章5節を見ると、

 「・・・古い昔に天が存在し、地は神の言によって、

 水がもとになり、また、水によって成った・・・」

とあり、この地は自然も人間も全て水によってできたと聖書は語っています。

 

以上が「水から生れる」ことについての四つの解釈です。

二つ目と三つ目も興味深い解釈ですが、

私たちは四つ目の解釈を信じています。

 

水から生まれるというのは、母親の胎内から生まれる肉体の誕生のことであり、

イエス様はそのままの状態では救われないんだよ

神の御霊の内に新しく誕生することが必要なんだよ、と語られていると解釈しています。

この後に続く、さらなるイエス様の説明も、

肉から生まれる者と霊から生まれる者について言われているので、

この解釈を裏付けていると思います。

 

 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。

 あなたがたは新しく生れなければならないと、

 わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。

 風は思いのままに吹く。

 あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。

 霊から生れる者もみな、それと同じである」。

                             (ヨハネ3章6~8節)

 

「風」というのはギリシャ語でもヘブル語でも「霊」と同じ言葉です。

イエス様は風を用いて御霊による生まれ変わりについて説明しています。

私たちは風の音を聞いたり風が木々の葉を揺らすのを見て風の存在を知ることはあっても、

風自体を見ることはできません。

風がどこからきて、どこに行くかも知らないのです。

風は全く人間の力の及ぶものではなく、コントロール不能です。

 

それは御霊の性質にとてもよく似ています。

神の御霊の内に新しく生まれること、神の国を見るということにおいては、

どんなに律法を厳格に守ろうと、どんな善い行いをもっても、

それを自分で得ることはできません。

それは神の御霊の内に生まれ変わることによってのみできることなのです。

イエス様はこのようにニコデモに説明しましたが、

聖書に記されている最後のニコデモの答えは次の通りです。

 

 ニコデモはイエスに答えて言った、

 「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。(9節)

 

ニコデモは、自分たちはユダヤ人でアブラハムの子孫だから

救われていると信じていたわけです。

まして子どものころから律法を学びそれに生きてきた人間です。

新しく生まれなければならないのは、神を信じていない異邦人であるならわかる、

しかし、なぜユダヤ人でパリサイ人である自分にイエス様はそのようなことを言われるのか。

この時のニコデモは、最後までイエス様の言われた言葉を理解できないままでした。

 

右差しパート⑤に続く

 

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イエス様が話して下さった

 

  よくよくあなたに言っておく。

 だれでも、水と霊とから生れなければ、

 神の国にはいることはできない。

 

これはどういうことなのか理解できたでしょうか?

肉によって生れたままでなく、霊によって生まれないと救われないということなのですね

それでは、霊によって生まれるとはどういうことなのか?

 

ニコデモは、イエス・キリストを信じる信仰によるもの、ただ恵みであるのだと

まだ理解することが出来ませんでしたね

自分は良い行いをしているし、何も間違ってない・・・と思うところに

人間の傲慢さがあるように思います

イエス様はニコデモの心の中をすべてご存じだったようですね

さぁ、続きが楽しみです音符

 

 

感謝します

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                                  風は思いのまま吹くんだにゃネコ

ももちゃん、ワイルド~

 

 

 

 風は思いのままに吹く。

 あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。

 霊から生れる者もみな、それと同じである

 

 

 

今日もありがとう~ラブラブ

 

 

 

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