(ひとしずく・①主の祝福のうちに留まるには)友人からの電話 | sarah‐mercy

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~友人からのメール~

 

「主の祝福のうちに留まるには」

                   (2019年2月20日の聖書クラスより パート1

 

 災いの中で、守っていただくために

 

私たちは、嵐のような試練に突然襲われることがあります。 

たとえば、事故や病気、また災害や経済的な試練、

人間関係のトラブル、愛する人との別れなど。

そうした試練に襲われる時には、動揺してしまったり、落胆してしまったり、

どうしようもないと投げやりになってしまったりしがちです。

 

しかし、自分、あるいは自分の身の周りで起こっている一つ一つの事は、

神様と私たちとのつながりと関係があるのです。

 

詩篇91篇には、

「彼は私を愛して離れない故に、私は彼を守る」とあります。

つまり主を愛し、いつも主と共にいるという親しい関係にあるなら、守られるということです。

 

主はご自分の民を、「翼の下で守る」と言っています。

 

イエス様がエルサレム滅亡の予言したときにも、

「ああ、エルサレム、エルサレム、私は、何度、雌鶏がそのひなをその翼の下に集めるように、

あなた方を集めようとしたことか、しかしあなた方は聞かなかった。」(マタイ23章37節)

と言われました。

 

その約40年後のAD70年に、エルサレムの住民は、

ティトゥス将軍の率いるローマ軍によって滅ぼされてしまいます。

そのために何十万人もの人々が死に、10万人近くが捕虜となり奴隷にされたと伝えられています。

 

イエス様は彼らに悔い改めて救いに預かるように、

神に立ち返り救いの恵みを受け入れるように福音と共に警告をしていました。

 

しかし、彼らは聞こうとはしなかったのです。

そして悔い改め、神に立ち返るかわりに、彼らはイエス様を殺してしまったのです。

 

雌鶏はヒナを守ろうとします。

しかしヒナが雌鶏の羽の下から抜け出し、遠くに行ってしまうなら守ることはできません。

 

それと同じように、神様と私たちとの近しい関係というのは、保護、救出に関係があるのです。

 

マルコの4章35節から41節までを読んでみましょう。

 

 さて、その日、夕方になると、イエスは弟子たちに、

 「向こう岸に渡ろう」と言われた。

 そこで、彼らは群衆を後に残し、イエスが船に乗っておられるまま、乗り出した。

 他の船も一緒に行った。

 すると、激しい突風が起こり、波が船の中に打ち込んできて、船に満ちそうになった。

 ところが、イエス自身は、ともの方で枕をして、眠っておられた。

 そこで、弟子たちはイエスを起こして、

 「先生、私どもが溺れ死んでも、お構いにならないのですか」と言った、

 

 イエスは起き上がって風を叱り、海に向かって

 「鎮まれ、黙れ」と言われた、

 「なぜ、そんなに怖がるのか。どうして信仰がないのか」

 彼らは恐れおののいて、互いに言った。

 「一体、この方は誰だろう。風も海も従わせるとは」。

 

 

「先生、私たちが溺れ死んでもおかまいにならないのですか」

私たちも主に対して同じことを言います。

「主よ、私がこうなってもあなたは全然気にしないのですか?

私たちが直面しているこの苦しみ痛みは大変なんですよ。」

苦しい最中に神様はどこにいるのか?

と思えてしまうのです。

 

少なくとも、弟子たちは主に助けを求めたことは良かったことですが、

しかし彼らは主と共にいたのですから、あたふたする必要はなかったわけです。

 

主は私たちとも共におられるのです。

詩篇の91篇1から4節を読んでみましょう。

 

 いと高き者の元にある隠れ場に住む人、全能者の陰に宿る人は主に言うであろう。

 我が避けどころ、我が城、我が信頼しまつる我が神と主は、

 あなたを狩人の罠と恐ろしい疫病から助け出されるからである。

 主はその羽をもってあなたを覆われる、

 あなたはその翼の下に避けどころを得るであろう。

 

 その誠は大楯、また小盾である。

 あなたは夜の恐ろしいものをも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。

 また暗闇に歩き回る疫病をも、真昼に荒らす滅びをも、恐れることはない。

 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、

 万人はあなたの右に倒れても、その災いはあなたに近づくことはない。

 

 あなたはただ、その目を持って見、悪しき者の報いを見るだけである。

 あなたは主を避けどころとし、いと高き者を住まいとしたので、

 災いはあなたに望まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。

 これは主があなたのために天使たちに命じて、

 あなたの歩む全ての道であなたを守らせられるからである。

 

 彼らはその手で、あなたを支え、石に足を打ち付けることのないようにする。

 あなたは獅子とマムシとを踏み、若い獅子と蛇とを足の下に踏みにじるであろう。

 彼は私を愛して離れない故に、私は彼を助けよう。

 

 彼は我が名を知る故に、私は彼を守る彼が私を呼ぶ時、

 私は彼に答え、私は彼の悩みの時に共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。

 私は長寿を持って彼を満ちたらせ、我が救いを彼に示すであろう。

 

 

こんな保護を欲しいですね。

このどんな災いの中にあっても、主は、雌鶏がヒナを羽で覆われるように私たちを守ってくださる・・・

ありがたいことですよね。

 

「彼は私を愛して離れない故に、私は彼を守ろう。」

「愛して離れない故に」・・・ほかの箇所では「恐れるなら」とあります。

 

「主を恐れる者は安心を得、その子らは、逃れ場を得る。」(箴言14章26節)

 

つまり主を愛して、主から離れていないなら、

そして主を主として認め主を恐れるなら、主は私たちを守ってくださるのです。

子が親のもとに逃げ込むように、主は安心できる逃れ場となってくださるのです。

 

主を愛し恐れることは私たちの心の中から始まります。

そしてそれが保護、供給、祝福全てのものの始まりなのではないでしょうか。

 

右差しパート②に続く

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先日、買い物に行こうと自転車を走らせていると、携帯の着信音

自転車を止めて、バックから携帯を取り出してみたら、北海道の友人からでした

 

お母さまの葬儀(この世界からの卒業式)を終えてから2週間

後の様々な手続きなどもあって忙しかったことでしょう

「何とか落ち着いた?」と聞くと

「なんと、母の葬儀のすぐ後で、右足の靭帯を切って全治2か月、動けません」と返事が返ってきた

 

今日のひとしずくの中にあるように、

「主よ、私がこうなってもあなたは全然気にしないのですか?

私たちが直面しているこの苦しみ痛みは大変なんですよ。

苦しい最中に神様はどこにいるのですか?」

と思えてしまうような出来事ですね

 

彼女はとてもアクティブな方で、働き者なので、仕事もしないで動けないことがどれだけ大変か

目に見えるようでした

なので、「まぁ、主の祝福のうちに留まるために、静まる時間を与えられたのね!」と言うと

「まさに、その通り!最も学ばなくちゃいけないこと!」と返ってきたので、笑い合いました

 

普通なら「お気の毒に、早く回復されますように・・・」とか言うのかもしれませんが

二人で「ハレルヤ~!イエス様、感謝します!」と言いました

 

「こっちはもう白い梅の花が綺麗だよ~梅というと

「こっちも雪化粧が綺麗だよ~雪の結晶と・・・

 

どうか、速やかな回復の中にも

主の慰めと励まし、主の平安がありますように・・

 

感謝します

ハート ハート ハート ハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もありがとう~ラブラブ

 

 

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こちらで全文読めますよ~下差し

http://www.kyusokutoiyashi.com/publication/ainomonogatari/「愛の物語」絵本

http://www.kyusokutoiyashi.com/publication/kurisumasunoai/「クリスマスの愛」絵本

 

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