こんばんは、コンサルタロットのマーキュリーヒロミです。
今日は、依存と自立について考える機会がありました。
それは、友人が、
「ある人に役に立ちたいという気持ちが、
これからしようとしていることの動機になっている。しかし、自分自身は、そのことをしたいのかどうか、本当はわからない」
という主旨のことを言ったことがきっかけでした。
しかし、その相手は、友人にそのことを強要していたり、要求していたりは、一切ありません。
私は、友人のその言葉に違和感を感じました。
役に立ちたい、というのは、うそではないけど、その前に自分の人生をいきいき
生きることに責任を取りきっていないのに、どう役に立つの?


それで役に立ちたいというのは…
依存なんじゃないかな…と思いました。
goo辞書を見ると…
い‐そん【依存】[名](スル)
《「いぞん」とも》
他に頼って存在、または生活すること。
提供元:「デジタル大辞泉」
さらに「共依存」で検索すると…
共依存を一言でいえば、
「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」となる。
共依存の特徴をよく表現している文章を以下に引用する。
共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、他者に認められることによってしか満足を得られず、そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである。(加藤篤志)
つまり、自分の内面が空虚で他者の評価を必要とするだけでなく、他者の評価を獲得するために他者を道具として利用する人たちのことをいう。一般的傾向としては、他人の世話を焼きたがる割には、他人に対して不誠実で策謀的な点があげられる。
…これだなと思いました。
誰かの、何かの、
役に立つには、
精神、肉体、経済等々の自立が必須なんだな…と深まりました。
はい…


