すっかり感動が出来なくなってしまっていた

最近、公開された映画「ファーストキス」を観て、とても感動したという話を聞きました。

その時に、ふと思ってしまったんです。

いったい僕は、どれくらい前から感動していないのだろうと。

真面目に思い返してはみたけれど、自分が何でいつ感動したのか、全く思い出せませんでした。それくらい自分が感動していないことに気が付いたのでした。

もう、随分と心を動かされたような体験をしていないのです。ここ何年も、映画を観るような時間もないくらい忙しさもあって、毎日、必死ではあったものの淡々とした毎日を送っていたような気がして自分にがっかりしてしまったんです。

昔の僕とは、まるで正反対の自分になってしまったようでした。ちょっとしたことで、良く感動して涙を流していました。それを人から馬鹿にされたこともあったくらいです。それくらい、感情が豊かであったのだと思いました。

一体、過去の自分と今の自分は、何が変わってしまったから違うのかその時は分からないままでした。

感動することの意味

そもそも、どうして僕らは、感動することを求めるのでしょう。

調べてみたら、本当に沢山の意味がありました。

ストレスの解消や幸福や快を感じることにも繋がっているそうです。更には、免疫力を高めること、老化防止にも繋がっているのだそうです。

幸福を感じることが出来るのは、非常に、生きていき上で重要だと思うのです。人は幸せを感じることがあるから、向上心を持つことやポジティブ思考にもなれるものだと思うのです。だから、自分から何かを行動しようとする訳です。そうしたことからでしか、新しい価値観は得ることは出来ません。新しい価値観をえることこそ、心の成長に欠かせないもので、人にも自分にも寛容になれないのです。

感動することで、前を向くことができるし、自分を奮い立たせることだって出来るのです。それは、人生にとって、とても意味のあることです。

自分から感動しに行こう

ふと思い出したんです。頻繁に感動していた時の自分がどんな感じであったのか。当時は、自分の人生の中でどん底だと思うくらい、辛いことや苦しいことばかりでした。自分に絶望していた時でもありました。

ですが、そんな人生をどうにか変えようと必死にもがいていたんです。

心から、自分を変えようとしていたんです。

だから、自分から心を動かしていたんだと思います。おもむろに、心を奮い立たせたり、心が動くことを求めたりしていました。

初心に返る訳ではないけれど、もう一度、あの時の自分を思い出して、心から湧き上がるものを探してみたいと思えたのです。

再び、自分と向き合い、自分の思いを見つめ成すことが出来たのです。その時に、やっぱり今の僕には、このブログで、自分の思いや学んだことを伝えていくことだと思えたんです。いつか、本を出して、多くの人の心に希望を届けられるような人間になるために。

時間がないからと言って、何もしないのでは、心を動かすことは出来ないのです。感動に出会うことも出来ないのです。時間がない中でも、考えて動き出す必要があるのだと思えました。

自分の中で、苦しんだことも辛い思いをしてきたことこそが、今となれば、僕の中で、最も心を動かされるものになっています。そうした同じような思いを持っていることや題材になっている作品を求めることも必要だと感じたんです。

色々と考えていく中で、再び僕の心に灯がともしだしたような気がしました。




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メルシー