誰にでも好かれようとしていませんか?

自分にとって嫌なことであっても断ることが出来なくて引き受けてしまう。自分の気持ちや意見が言えない。はっきり「NO!」と、言えない自分は、意気地のない弱い人間だと思い込んでいました。

その思い込みは、自分の勇気を奪い、人との関わり合いを億劫なものにしてしまったのです。だから、余計に強く思っていたのかもしれません。臆病になっていたから、すがることしか出来なかったのです。

嫌われたくない。

これが、僕の本心だったのです。そのためだったら、自分を卑下しようが、さげすもうが構いませんでした。嫌われること自体を極端に恐れたために、誰にでも好かれようとしました。でも、それが人との関わり合いを重労働にしてしまうのでした。

人を避けるようにして生きていたからこそ気づけたこと

気が付いたときには、僕の周りには誰もいなくなっていました。親友と呼べる人はいません。腐れ縁だと笑い合える人もいません。気軽に電話するような相手もいません。実の両親や血の繋がった実の弟とは決別してしまいました。

だって、疲れちゃったんです。

何もかもが重たく感じてしまい。僕を縛り付けるものでしかなくなっていたんです。人と関わりあいながら生きるのは正直に言って僕には恐れ多くて、申し訳ないことです。そして、何よりも荷が重いものだったのです。

人を避けるように生きていた時期がありました。人とそこまで関わり合わなくても、やり方次第では生きていくことが出来ました。人との関わりが減ったために、自分に求めることも減ったのです。それは、とても楽なことでした。随分と肩の荷が下りたような気がしたのです。

でも、それはあまりにも、寂しいものでむなしく感じてしまったのです。

孤独の中で過去の経験によって、自分の中で人に嫌われたくないという思いが心を支配していたということを知りました。自分の思い込みから解放されて、人との関わり合いがほどほどで良いものであると知ったとき、とても気持ちが楽になりました。どんなに頑張っても苦手な人は苦手のままでいいと言える自分が、誇らしくもありました。

大抵が、それなりに距離を置き、ある程度の良好な関係であれば十分だと知りました。それで、僕自身も満足していました。

そんな僕でも、自分の中で親しくなりたいと思う人が出てきました。子供たちに関しては、どこまでも関わり合いたいなんて思うほどでした。もちろんそこには、捨てたはずの嫌われたくないという気持ちも生まれているのです。だから、依存しては良くないと分かっていても依存してしまったり、相手の反応で一喜一憂してしまう自分がいるのです。振り回されることもしばしばで、自分を見失うこともあります。激しく心を揺さぶられたり、どん底まで気持ちが落ちてしまうこともあります。改めて、思い知らされるのです。人と関わり合うことがいかに大変なことなのか。人を避けた生き方を経験したからこそ、余計に感じるのです。

人と関わることは、そもそもコスパが悪いのです。実らないことだらけだし、無駄なこともずいぶんと多いものです。これだけやったのに、返ってきたのはこれだけなんてざらにあるのです。

ただ、人を避けた生き方をしたからこそ気づいたことがあります。大切に思う存在は、どこまでも心を安心させてくれるものであるし、ありのままの自分で居られるかけがえのない居場所にもなってくれるのです。何もなくても満たしてくれる存在は、人生においてとても重要なことです。

だから、どれだけコスパが悪かろうが、どれだけややこしくて面倒であろうが、それでも、関わり合いたいと思うのなら、どんなに苦しくても勇気を出して踏み出して関わっていくべきだと思うのでした。



最後まで読んで頂きありがとうございます。

メルシー