否定的な観念

先日、欲しいものがありました。ずっと、買うかどうか迷っていましたが、意を決して買うと心に決めました。僕の中では、よく決心したものだと自分を褒めたくなるようなことでした。これまでの僕だったら、自分なんて無理に決まっていると思っては、すぐに諦めてしまってしまっていたような気がするのでした。

欲しいものを買うかどうかで、そんなに感情的にならなくてもいいのに。欲しいんだったら、買えばいいだけなのに。そんなことを頭の中で自分と会話していました。

ちょっとした時間が出来たので、ついにこの日が来たのかと思い、欲しいものを買うために、少し遠い場所だったけれど、車を走らせたのでした。

やっとの思いで、欲しいものを目の前にしました。その時に、値段を確認したところ、僕が予想をしていたようりもはるかに高い金額だったのでした。これまでの、迷いや決意はなんだったのかと思えるくらい、僕の決心はいとも簡単に崩れてしまいました。

その時、がっかりしたのもあったのですが、やっぱり自分には無理だったんだと思えて、妙に納得していたのでした。

本当に大した話ではなくて申し訳ないのですが、こうしたことは、人生においてよくあることだと思いました。

こうしたいとかあんな風にしたいと思っていても、未来は自分の思い通りにはならないことばかりだからです。今回のように、単純に買える買えないという問題もあれば、様々な出来事が重なってしまい、泣く泣く断念してしまうこともあるのです。

そんな時に、僕らは自分なりに納得しようとしては、どうしても否定的な観念が強く根付いてしまうような気がします。

自分には才能がないから。人間的に未熟だったから。人に恵まれなかったから。自分は貧しいから。自分には学力がないから。自分には運がないから。色んなことを否定的に捉えてしまい、自分の中でそれを事実だとしてしまうのです。

それを、引きずったまま、次も、その次も、否定的な観念を持ち込んでしまっては、足を引っ張ってしまうのです。

この否定的観念を取り払わない限り、どこまでも豊かであることは感じることは出来ないに違いないと感じました。

豊かさを体験しよう

自分が否定的な観念を変えて、豊かであると自覚することが出来るようになるためには、これしかないと思いました。

豊かな人の気持ちを味わうことだと思ったのです。

ですが、いきなり豊かな人でいようとすると、ものすごく抵抗感を感じてしまうものでした。

ですので、今の自分に出来る範囲で豊かな人の気持ちを味わえる方法を考えてみたんです。

一番にやってみたことは、神社に行ってみたんです。いつもならお賽銭は決まって5円玉だったのですが、1000円をお供えしてみました。そして、神様に、「ありがとう」を伝えました。豊かな人は、きっとお願いすることはなく、お礼を述べるはずだと思えたからでした。

すごく、清々しい気持ちになれました。悶々としていた気持ちが洗い流されていくような感覚になって、何処か忘れていた感謝の気持ちがふつふつと蘇ってきました。心が満たされるようで温かくなりました。

次に、子供達を連れてイオンモールの中にある駄菓子屋さんに行きました。子供の頃はいつも綿密に計算して、買うものを決めていましたが、大人になって行ってみれば、どれも買えるものばかりでした。子供達と、あれもこれも買えるとはしゃぎながら、たくさんお菓子を買いました。その時に、子供達があの子ににも買ってあげようとか言って、自分達のお友達にもあげようと言って選んでいたのでした。

それを見ていたら、豊かであるとは、こういうものだと感じました。豊かであれば、自分達だけではもったいないと感じるのか、皆に分け与えたくなるものであったのです。それは、人に与えられる人間になることが出来て、視野だって広がるのです。

それを実感することが出来たのは、本当に良かったと感じました。

それに、単純にすごく楽しかったのです。久しぶりにワクワクしました。これも、忘れていたことだと思いました。欲しいものを買うのは、本来なら迷いながら悩むものではなく、ワクワクするものだと思い直せたんです。

他にも、皆さんが思う豊かさを体験できる方法があれば、教えてほしいとおもうのです。

こうした小さな体験を積み重ねていくことが大事で、否定的なものの見方や考え方、あるいは否定的な捉え方を変えていく確かな方法だと、体験して分かったことでした。



最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー