夢は叶えることが前提としてしまった

これまで、僕は長い間において、自分がこれだと思うような夢が見つけられませんでした。その夢が見つかったことで、確かに大きく自分を成長させ変えられたのかもしれません。何をしても続かなかったものが、簡単に投げ出さないようになりました。明らかに、僕を忍耐強く辛抱強くさせてくれたのです。夢を追いかけていくことで、沢山の素晴らしい出会いや驚きや喜びにも出会いました。成長する自分を感じられるのは、何とも自分を満たすことが出来るものだということにも気づくことが出来ました。

ただ、どうせなら夢を叶えたい。そう思うようになりました。せっかく、自分がここまで頑張って積み上げてきたのだから、夢は絶対に掴み取らないといけない。そう思うようになりました。

また、夢を叶えたという方の話を直接聞いたりもしました。夢を叶えた人の出した本を読んだりもしました。そうした方々のテレビや雑誌で、ほんの一部分ではあるかもしれないけれど、垣間見てみると、それはもう華々しくキラキラしているように感じるのです。そんな姿に憧れるし、どうしても叶えたいという思いが強くなっていきました。

自分には無理だと思っているものの、何処かで奇跡のようなことが起きるのではないかと思っていたんです。逆転サヨナラホームランのような人生が待っているのではないかとあわな期待もしていました。

いつしか、夢は絶対に叶えるべきものとして僕の中に根付いていたのでした。

夢に幸せを委ねない

夢を叶えたら、これ以上ないくらい自分を満たすことが出来るに違いない。

夢を叶えたら、自分に自信が持てるに違いない。

夢を叶えることで、多くの人にも喜びを分け与えることが出来るに違いない。

夢を叶えることで、人生を豊かに輝かせることが出来るに違いない。

つまり、夢を叶えたら、幸せになれるに違いない。

そう、思いながら、何が何でも夢を叶えようとしていたんです。

ですが、それは同時に自分自身にこう言っていたのでした。

夢を叶えていない自分は、いつまで経っても満たされないものなんだと。夢が叶えられない自分は自信なんか持つことが出来ない。人に喜びを与えられない。人生を輝かせることも豊かにすることもできない。幸せになんかなれないじゃないかって言っているようなものだったのです。

そうして、夢を追いかけていたものが、いつの間にか夢に追いかけられるようになっていたんです。

夢が叶えることが出来たのなら良かったのですが、僕の場合は叶えることが出来ずに諦めざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。それを認めたくもなかったし、諦めたくもありませんでした。もう無理だと分っていても必死にしがみついていました。でも、どうにも出来なかったんです。

夢を失ってしまったら、僕には何も残っていなかったんです。こんなことでと思うくらい、自分でも分からなくなり絶望してしまいました。希望を無くなくしてしまったらと思うと、投げやりになるしかありませんでした。

こうした経験から、ひとつ分かったことがあります。

そもそも夢を叶えるのは、未来の話なんです。だから、不足感を持って望むものでないということです。そうしないと、夢に翻弄されてしまうからです。もしかすると、夢を叶えられるのは、自分を満たすことが出来るからこそ叶えられるものかもしれません。自分が幸せを感じるからこそ手の届くものかもしれません。

幸せかどうかなんて、未来の自分がどうのこうのよりも、今の自分が幸せを感じられるかどうかなんです。何よりも今の自分を優先することがたいせつなのです。

後悔も不安も、過去と未来からしかやってきません。現地点での自分には生まれてこないのです。過去を振り返るから後悔する。未来を想像するから不安になるのです。

こうしたことからも、今の自分を何よりも大切に思い、幸せにしてあげることです。そうそすれば、満たされた自分や幸せを感じている自分が、後悔も不安も吹き飛ばしてくれて、夢まで叶えてくれるはずですから。

今の自分自身が満たされていないとか幸せを感じられないと感じているのなら、一旦、夢を追いかけるのは置いといて、今の自分自身を満たすことを考える必要があるのだと僕は思うのです。


最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー