「完全」を目指して
日常のこと(仕事でも、プラベートでも、なんでも)
を頑張ったり
人としての在り方を模索するのは
たぶん、良いことだろうと思います。
けれど
どうやっても人間は「完全」にはなれないし
「完成」にいたることも決してありません。
ということは、そもそも(初期設定として)
完全ではない状態こそが「完全」。
もし仮に、完全な人間が存在するとしたら
その完全さによって、
その人は不完全ということに
なってしまうのではないかと思います。
だから、どう転んでも不完全であり
不完全は完全。
「サモトラケのニケ」ルーヴル美術館
ルーヴルの大階段で迎えてくれる 勝利の女神には
頭部がありません。
ニケはどんな顔だったのだろう?
と想像が膨らみます。
(*ヘレニズム末期の彫刻群を見ると、予想はつきます。
ミロのヴィーナスとあまり変わらない顔だったと思われます)
「ミロのヴィーナス」
ミロのヴィーナスの両腕は、見つかっていません。
腕がないことによって、
人々の意識は、腕に集中します。
ミロのヴィーナスの「顔」のことを
話題にする人は、ほとんどいません。
そこにすでに「あるもの」のことには
意識が向かないのです。
不完全なところを探そうとするのが
人間の思考の特徴で、
ないものにフォーカスすることによって
さらなる向上や
安全を目指すように
なっているのだと思います。
ミロのヴィーナスも、サモトラケのニケも
世界中からの鑑賞者を 魅了し続けてます。
そのヒミツは、いわば「不完全の美」。
もし彼女たちが
完全な形で展示されていたら
どちらも、
「ルーヴルの至宝」にはなっていなかったでしょう。
完全ではなくても、
いや、完全ではないからこその魅力。
なし得ないことを知りつつ
完全に近づくことを目指すわたしたちも
あるものに意識を向け、
ない部分も含めて、
すでに自分も完全であることに気づけたら、
そこから一歩
不完全の美に近づけるように思います。
そういえば、
もうひとつのルーヴルの至宝「モナリザ」も
不完全(未完成)です。
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執筆:内田ユミ
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