時代が移り、国・地域が変わって、
社会的な規範が違っているとしても、
人が本質的に持っている感情や思考自体は同じ。
たかだか2000年くらいで、人の精神の働きは変わらない・・。
ギリシア・ローマ神話を読んでいると、
つい最近、芸能ニュースで話題になっていたような
浮気事件(・・よりもヒドい事例)が、
当たり前のように出てきます。
ただし、感情そのものは我々と変わらないとしても、
表現方法には、随所で違いが見られます。
その例として、
ローマの詩人オウィディウス(BC43〜AD17)が残した
「転身物語(変身物語)」から、
戦いの女神が「嫉妬」を訪ねる場面を、
少し長くなりますが、引用してご紹介します。
・・・そこで女神は、どす黒い血にこわばった「嫉妬」の住家へ出かけた。
その家は、ふかい谷の奥にあり、陽の目も知らず、風も吹かず、荒涼として、凍てつくような寒さに閉ざされ、永遠に火の気がなく、永遠の暗闇に包まれていた。
雄々しい戦の女神もここまで来ると、家の前に立ち止まってしまった。
(中略)
見ると、嫉妬は、その悪行の糧である腹蛇(まむし)の肉をむしゃむしゃと食べていた。女神はおもわず顔をそむけた。
嫉妬は、地べたからのっそりと立ち上がり、食いかけの毒蛇の屍体をそのままにして、ゆっくりと女神の方に近づいてきた。
(中略)
その顔は、まったく蒼白で、からだはどこもかしこも肉が落ち、眼はやぶ睨みで、歯はやにで黒く、胸は胆汁のために緑色になり、舌には毒がしたたっている。
他人の不幸を見てほくそえむほかは、まだかつて笑ったことがない。それに、まんじりともしない猜疑になやまされて、一度も眠りのよろこびを味わったことがない。
他人の幸福にいらいらして、それを見るたびに憔悴していく。他人をいじめながら、じつはそれによって自分だけを苦しめ、自分が自分の罰なのだ。
=引用ここまで=
「転身物語」オウィディウス著
田中秀央 前田敬作 訳
人文書院 出版 初版 昭和41年
毒蝮をむしゃむしゃ食べ、やせこけて、
日光が射さず、風の通らない、凍えるような家に暮らし、
(しかも家は、どす黒い血でこわばっている!)
他人の不幸を喜ぶ以外で笑ったこともなければ、
猜疑心のせいで満足に眠ったこともない・・・・・
オウィディウスは「嫉妬」を、
「自分が自分の罰」と表現しています。
自分が、嫉妬で狂っていると自覚したとき、
客観的な視点で、
自分の心が、こんな感情に支配されていることを
想像できたら・・・
自分で自分を苦しめるのは、
その瞬間から、一切やめようと思えるのではないでしょうか。
*** *** ***
さて、ここで
美術史的な視点からも
とても大事なポイントがひとつあるのを
お伝えしておきたいと思います。
それは、上の文章中で、
「嫉妬」が、「嫉妬の女神」や「嫉妬の精」など、
その感情を司どる生きものとしてではなく、
「嫉妬」という概念自体を、
人として表している(擬人像)という点です。
絵画でも、眼に見えない概念や心理、国家、地域などを
人物像として表現することがよくあります。
日本語に、「擬人化」という修辞法がありますが、
これと西洋の絵画における擬人像は、少し異なります。
(人のように表せる対象の範囲が広い)
「擬人像」は、西洋の絵画を見るうえでとても重要で、
この捉え方に馴染んでいくことで
多くの絵画に見られる人物像の意味を
正しく捉えることができます。
美術館などで作品に添えられている解説文なども、
すんなりと理解できるようになるはずです。
この件は、回を改めて、
さらなる解説記事を書きたいと思っていますが、
(順を追って説明しようとすると、激・長文になる予感・・)
8月6日に行うセミナーで、
この部分を扱いますので、
こんな感じのテーマがお好きな方は
ぜひおいでください!
「アトリビュート」、「シンボル」などの、
比較的馴染みやすい事例から入って、
最後に、「寓意」「擬人像」までたどり着く予定です。
*** *** *** ***
▶︎西洋美術史パーフェクトプログラム第5回
絵画の謎を解くアトリビュート
6回シリーズの講座ですが、
内容は、毎回独立させていますので
初めての方でも、この回からお聞きいただけます。
詳しい内容は、このブログ記事で。
▶︎8月6日の内容|銀貨の袋を手に持つ人物は誰?『アトリビュート』とは
▶︎セミナーお申し込みご案内ページはこちら
講師は、わたしです。
嫉妬の話は、しないかも♡