
このblogは、今のところ回想を中心にお届けしておりますが、気づいてみたらもう9月。半年も前の事を書いている事になるわけで、微妙に記憶違いをしているところも出て来てたりするので、ママや長男に「あの時ってさ」って感じで話を聞き返したりしはじめましたw。長男は「そんな話したら泣いちゃいそう~」と、思い出すのも嫌なようですが、きっとまた聞くような気がします。という事でこれ以上記憶が薄れないうちに続きを。
2014年3月11日
震災から3年、我が家にとってこの日がまたしても大きなインパクトをもたらす事になるとは・・。(ちなみに前回、午前中に診察をお願いしたと書いたけど、入院の準備をしてから向かうという話だったようで、診察は午後でした)
朝、長男の幼稚園行きの準備を行う。ママはきっと入院する事になるけど、幼稚園にはいつも通り行くと長男が言っていたので、そのつもりで着替えをし、食事をし、歯磨きを・・してる時に、長男が号泣。
「さみしい~~~~~」
そらそうだ。
それを見たママも泣くし、それを見た僕も泣く。とてもじゃないけど幼稚園に行ける状態じゃ無くなったのでやっぱりお休みする事に。
入院自体はほぼ確定だったので、ママの入院準備を始める。旅行用の大きなバッグに荷物を詰めて行くのと平行して、クローゼットのどこに何が入ってるのかをポストイットに書いて貼って行く。恥ずかしながら、僕は自分が使う段以外に何が入っているかすら認識してなかった。ママがベッドに横たわりながらポストイットに「ママTシャツ」「パパズボン」などと書いていき、それを長男が引き出しに貼って行く。これがあれば、ばあばもどこに何が入ってるのか一目でわかる。
準備が終わり、タクシーで病院へ。初めて行った病院だったけど、建物もとても新しく、病院独特の暗い雰囲気は無い。長い付き合いになりそうだから、その点はまず良かったという第一印象。
受付を済ませ、産婦人科のフロアへ。そして待つ事数十分、名前が呼ばれる。ママとパパは診察室へ、長男とばあばは待合室に。
担当の先生は30代後半から40代とおぼしき女性の先生。ふっくらした体系で目が大きくてはっきりした顔立ちの、なんて言うかちょっとジブリのアニメに出てきそうなたたずまいとでも言いましょうか。若いけど、この大きな病院の産婦人科で主治医をやってるのだからきっと優秀な方なのだろう。
診察の前に、先生から今一度現在置かれている状況の説明を受ける。産道がかなり短くなっている事、その経過が先週の週末から昨日にかけて進行していた事、万が一今産まれた場合の生存率、後遺症が出る率などなど。基本的には昨日聞いた事の繰り返しだが、より具体的に言われるので実感が半端ない。そしていよいよ診察。奥の部屋で5-10分程度の診察をして戻ってくる。
シンゴパパ「どうでした・・
」
先生「思ったより進んでました・・。昨日の段階ではいけるかもと思ったのですが、金曜まで待たなくて良かったかもしれません・・」
シンゴパパ「という事は・・」
先生「そうですね、まず入院はした方が良いです。お腹の張りを抑える事がとても重要なので、張り止め薬を飲み薬から点滴に切り替えて、入院をして安静にする必要があります。
そして、ここは判断が必要になってくるのですが、これ以上赤ちゃんがおりてこないように、子宮口を糸で縛る手術をするかどうかです。私としては手術をする事で、よりお腹の中にいられる確率が高まるので、その方が良いと思っています。手術自体は15分程度ですぐ終わりますし、それほど大変なものではありません。また、手術をする事で、術後数週間で自宅で生活する事もできるようになる可能性が高いです。
ただ念のためリスクを申し上げますと、ごくまれにですが手術をする事で刺激になって、手術中に産まれて来てしまう事があるというのと、糸というのはそもそも人体にとって「異物」なので、時折感染症を起こしてしまう場合があります。まあほとんど無いですが・・。
そして手術をしない場合には、入院は出産まで続きますし、張りを抑える薬は投与を続けますが、それも完全では無いので何かの拍子に産まれてしまう可能性もあります。」
という具合の説明を受ける(博多弁だったので、もう少し柔らかい印象でしたが)。
なにはともあれ、このタイミングで産まれてしまうのは避けたい。なんせまだ予定日の4ヶ月も前なのだ。僕らは既に昨晩十分話し合って、勧められた場合には手術をすると決めていたので、迷いは無かった。とは言え手術を受けるのは僕じゃない。ここはママの口から受けると言ってもらうべきだと思い、ママの方を見るとそこには信じられない光景が!(そんな事は無い)
長過ぎてアメブロの規定でアップできなかったので・・つづく