・・・実は、私が吉本興業の舞台に挑戦させていただくことは無謀だと思っていたのでした。
いつも私は、大事なときになると体調を崩します。まして、あの世界に多い「厳しさ」「ガンバリ」といわれるものに、耐えうる心はもう持ち合わせていなかったのです。世の中にて賛美されるそれは私が一番忌避、そして憎悪するものでした。
私は、自分自身を上手く説明するのは苦手です。そういう態度を言い訳として認めない土壌が社会にはあるからです。ですが、あえて言いますとパニック障害と無気力を持っています。子供時代、スパルタ式に育っていて、常に安全の危機に晒されることが当然でした。いわば父の怒鳴り声で野次馬や警察が集まる家ですね。
一体…何で殴られ、怒鳴られるか解りません。父が帰る日は家の前に違法駐車するわけですが前の家が先に止めていたことに腹を立てて引きずりまわされることなんかザラ。進学塾の大阪府模試トップ3に入っていないからと塾に来た父に引き摺り出されてボコボコです。
でも私はまだましで異母の姉は、冬の深夜に裸にされ井戸水をかけられながら勉強させられるとかもっと酷い目にあったそうですが、気の強いエリート女性に成長したのです。世間は「エリート」、その結果だけを見てスパルタは素晴らしいとか思いがちですが家の中はメチャクチャです。「ナニクソ」の心は、その姉を地域一番の「恐い」オンナに育てたわけで、彼女も父を憎悪しているそうです。
それでも世間にしろ、うちの母方の親戚にしろ田舎独特の「親は正義」の価値観が支配しており、成人したあとで理論的に言っても子供は無意識の内に親の癇に障ることをしているはずだから殴られても仕方が無いといった感じでした。子供が生きていくなかで無意識でやってしまったこと、あるいはやったかどうかも解らないことをいつまでも責めたてられ殴られるなら息をする資格も問われると言うことです。
そして意味不明の無気力と疲労が襲ったのは中学1年の夏、食事中に父の着替えの臭いに晒された日でした。自らに流れる父の遺伝子を呪った瞬間でした。
高校時代は突然に震えて椅子ごと倒れ、家族が焦りまくるなか、救急車に載せられて運ばれるも異常なし。どの病院でも異常なし、学業成績はオチコボレに転落、就職も恋愛もトラブル続き。ある病院では「精神病院へぶち込むぞ」と脅されたものでした。
そんな私が一番苦手なもの…頑張りだとか、決まった日に抜けられないことが求められる芸能のお仕事。
ありえません。
体が弱い人がオリンピックに出るぐらい…絶対にやめた方がいい場所ですよ、それは。
良い事ばかりを書くようにしていたので、なんか浮かれている様にも見えるブログでしたが、本当は恐ろしくてたまらなかったのです。
そして予想は的中し、本番前日の夜に発熱し「殺してくれ」と叫びながら苦しみ一睡もしないまま本番の日を迎えると言う今までで最悪のコンディションで朝から点滴を打っての舞台でした。論理的で変な感情を挟まないで説明してくれた医師によれば…風邪はごく軽いもので、パニック障害だと言うことでそのお薬を処方されましたが、眠くなるので当日は使えません。
それが…舞台袖にいき、メグ先生、シルク先生始めプロの方々の芸を目の当たりにすると、ふっとんでしまったのです。
プロの芸、それは芸人の人生そのもの。
「神」のそれは、すさまじいものでした。
だからこそ、自分が場違いであると思ったのです。
そのプロの空間が、私の心の病気を吹き飛ばしたのです。
そしてあっというまに終えると、やはり体は治っていました。
終わってから仲間と食事に行き、さらに舞台衣装のままゲーセンで遊んでいましたからね。
もちろん後日、悪くなったりしませんでした。
後日の打ち上げのときに先生がたに当日のこと、過去のこと全てをお話しました。
そして…さらにとんでもない方向へ、話は進んでいくのでした。
これはそのときに出演記念にと撮影しました。
左がシルク先生で、右がこっこ先生で私が真ん中です。
まるで・・・美女2人と、地球外生命体一匹(笑)
いつも私は、大事なときになると体調を崩します。まして、あの世界に多い「厳しさ」「ガンバリ」といわれるものに、耐えうる心はもう持ち合わせていなかったのです。世の中にて賛美されるそれは私が一番忌避、そして憎悪するものでした。
私は、自分自身を上手く説明するのは苦手です。そういう態度を言い訳として認めない土壌が社会にはあるからです。ですが、あえて言いますとパニック障害と無気力を持っています。子供時代、スパルタ式に育っていて、常に安全の危機に晒されることが当然でした。いわば父の怒鳴り声で野次馬や警察が集まる家ですね。
一体…何で殴られ、怒鳴られるか解りません。父が帰る日は家の前に違法駐車するわけですが前の家が先に止めていたことに腹を立てて引きずりまわされることなんかザラ。進学塾の大阪府模試トップ3に入っていないからと塾に来た父に引き摺り出されてボコボコです。
でも私はまだましで異母の姉は、冬の深夜に裸にされ井戸水をかけられながら勉強させられるとかもっと酷い目にあったそうですが、気の強いエリート女性に成長したのです。世間は「エリート」、その結果だけを見てスパルタは素晴らしいとか思いがちですが家の中はメチャクチャです。「ナニクソ」の心は、その姉を地域一番の「恐い」オンナに育てたわけで、彼女も父を憎悪しているそうです。
それでも世間にしろ、うちの母方の親戚にしろ田舎独特の「親は正義」の価値観が支配しており、成人したあとで理論的に言っても子供は無意識の内に親の癇に障ることをしているはずだから殴られても仕方が無いといった感じでした。子供が生きていくなかで無意識でやってしまったこと、あるいはやったかどうかも解らないことをいつまでも責めたてられ殴られるなら息をする資格も問われると言うことです。
そして意味不明の無気力と疲労が襲ったのは中学1年の夏、食事中に父の着替えの臭いに晒された日でした。自らに流れる父の遺伝子を呪った瞬間でした。
高校時代は突然に震えて椅子ごと倒れ、家族が焦りまくるなか、救急車に載せられて運ばれるも異常なし。どの病院でも異常なし、学業成績はオチコボレに転落、就職も恋愛もトラブル続き。ある病院では「精神病院へぶち込むぞ」と脅されたものでした。
そんな私が一番苦手なもの…頑張りだとか、決まった日に抜けられないことが求められる芸能のお仕事。
ありえません。
体が弱い人がオリンピックに出るぐらい…絶対にやめた方がいい場所ですよ、それは。
良い事ばかりを書くようにしていたので、なんか浮かれている様にも見えるブログでしたが、本当は恐ろしくてたまらなかったのです。
そして予想は的中し、本番前日の夜に発熱し「殺してくれ」と叫びながら苦しみ一睡もしないまま本番の日を迎えると言う今までで最悪のコンディションで朝から点滴を打っての舞台でした。論理的で変な感情を挟まないで説明してくれた医師によれば…風邪はごく軽いもので、パニック障害だと言うことでそのお薬を処方されましたが、眠くなるので当日は使えません。
それが…舞台袖にいき、メグ先生、シルク先生始めプロの方々の芸を目の当たりにすると、ふっとんでしまったのです。
プロの芸、それは芸人の人生そのもの。
「神」のそれは、すさまじいものでした。
だからこそ、自分が場違いであると思ったのです。
そのプロの空間が、私の心の病気を吹き飛ばしたのです。
そしてあっというまに終えると、やはり体は治っていました。
終わってから仲間と食事に行き、さらに舞台衣装のままゲーセンで遊んでいましたからね。
もちろん後日、悪くなったりしませんでした。
後日の打ち上げのときに先生がたに当日のこと、過去のこと全てをお話しました。
そして…さらにとんでもない方向へ、話は進んでいくのでした。
これはそのときに出演記念にと撮影しました。
左がシルク先生で、右がこっこ先生で私が真ん中です。
まるで・・・美女2人と、地球外生命体一匹(笑)