流されて生きる方が安心…
という感覚をまた思い出した。
流されて は天とか運に任せてではなく
言いなりになって に近い感覚だった。
どうして安心感があったかは
子供の頃
親に厳しくコントロールされ
言いなりになっている方が
親から優しくしてもらえて
この幻の優しさが安心の元だったな
と今は思う。
コントロールされて本当は嫌だったのに
安心感を求めて
親の優しさを信じたい自分がいた。
でも子供を思い通りにコントロールすることは愛ではない
子供が言いなりになっていることを条件に優しくすることも愛ではない
と分かると
家族をはじめ周りを色眼鏡で見ていたなーと過去が客観的に見え始める。
信じていたものが幻だったと知ると悲しい
言いなりになって自分を生きていなかったことも悔しい
でも言いなりになることを選んだのは
自分だったと改めて思い出す。
「親とか誰かが私をコントロールしたから
自分を見失った。どうしてくれるんだ!」
を
「私が嫌われたくないと思ったから
私がコントロールに服従して、
結果自分を見失った。」
に変換してみると
自分が過去の記憶の主人公になる。
記憶の中で
加害者だと思っていた人たちを
悪役の主人公にしていたのが
彼らの存在感が薄くなり
脇役になり
忘れそうなくらいになる。
誰かに何をされた ではなく
自分の感情がどうだったか。
埋もれていた感情が生き返って
濃くなればなるほど
過去は違う絵になるし
違うドラマに見えてくる。
その奥に
ただ愛されたかった‥という自分がいて
すごくシンプルだったりする。
シンプルなのに
見つけるまで長くかかって大変。
でも両親の場合は
自分たちは愛を外から求め続け苦しい人生になったことを分からず
苦しみを他人のせいにしまくったまま亡くなった。
長くかかっても見つけられただけで
よかった。