「三途の川が、はっきりと見えた」1日の食事は“イチゴ3粒”だけ…余命4ヶ月・森永卓郎(66)が苦悩した「がん治療」のリアル (msn.com)

 

 

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「三途の川が、はっきりと見えた」1日の食事は“イチゴ3粒”だけ…余命4ヶ月・森永卓郎(66)が苦悩した「がん治療」のリアル

 

〈 「来春のサクラが咲くのを見ることはできない」経済アナリスト・森永卓郎(66)が「余命4ヶ月、ステージ4のがん」を受け入れるまで 〉から続く

「容体が急変したのは、その日の夜からだった。気持ちが悪くなり、モノが食べられなくなり、寝込んでしまった。その後、体調はどんどん悪化し、最悪の状態に陥ったのは、2日後の12月29日だった」…ステージ4のがん治療のため、抗がん剤治療を受けるも、薬との相性が悪かった森永卓郎さん。森永さんがそこで見た「死を予感した光景」とは? 新刊『 がん闘病日記 』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

 

抗がん剤で死にかける

 がんの治療は、摘出手術や放射線治療などもあるのだが、私の場合は、どこにがんがあるかわからないのだから、そもそも手術や放射線治療はできない。唯一の選択肢は、化学療法、つまり抗がん剤治療だった。

 抗がん剤は、がんの部位によって種類が分かれている。私の場合は、「ゲムシタビン」という抗がん剤と、「アブラキサン」という抗がん剤の2種類を同時に点滴することになった。

 主治医は「アブラキサンのほうが効果は高いが、副作用も大きいだろう」という話をしていた。ほぼ間違いなく髪の毛は抜けるし、吐き気を伴う可能性もある。そのほかにも、人によってさまざまな副作用が出てくるという。

 ただ、私は楽観的に構えていた。もともと髪の毛は薄くなっていて、ふだんから帽子をかぶっていたし、我慢強い性格なので、少々気持ち悪くなっても大丈夫だと思っていたのだ。

 抗がん剤の点滴を打つことになったのは、12月27日の水曜日だ。午前中、ニッポン放送の「垣花正 あなたとハッピー!」の生放送を終えて、そのまま電車で病院に直行した。

 点滴を打つ部屋には、ずらりとリクライニングシートが並んでいて、7~8人の患者が抗がん剤の点滴を受けていた。苦しそうな表情を浮かべている患者は一人もおらず、私も軽い気持ちで点滴を始めた。案の定、体になんの変化もなく、「なんだ、簡単じゃないか」というのが、そのときの気分だった。

 容体が急変したのは、その日の夜からだった。

 気持ちが悪くなり、モノが食べられなくなり、寝込んでしまった。その後、体調は

どんどん悪化し、最悪の状態に陥ったのは、2日後の12月29日だった。

 このときは、1日でイチゴを3粒しか食べられなくなり、意識も朦朧としてきた。はた目にも、私の具合が相当悪いことは、はっきりわかったようで、妻は2人の息子を呼び寄せた。

 当時のことを長男の康平は、「情報ライブ ミヤネ屋」で次のように語っている。

 母親に呼ばれて私と弟も家に帰りまして、父親を見たらぐったりしていて、かろうじて会話はできるんですけど、本当に体調が悪かったんだと思うんですよね。3日ぐらいイチゴ2~3粒ぐらいしか食べてないと母親から聞いていたので、このままだと、がんがどうこうより餓死しちゃう可能性もあるので……。

 父親はすごく頑固なので、「入院しろ」と言っても、しないだろうなと思ったら、父親が自分から支度を始めたので、たぶんそれくらい体調が悪いんだろうなと思いました。

 康平の見立てのとおり、このときははっきりと「死」を意識した。三途の川が、はっきりと見えたのだ。

 念のために書いておくと、抗がん剤がいけないと言っているのではない。大部分の人は、すい臓がん用の抗がん剤を打って気分が悪くなることはあっても、それが原因で生死の境をさまようようなことはない。要は、抗がん剤が私には合わなかったのだ。

 

 朦朧とする意識のなかで、なぜ私が入院・治療を選択したのか。正直言って、そのとき頭のなかにあったのは、「何がなんでも新著を完成させて、世に問いたい」という思いだけだった。新著とは、その後、『書いてはいけない』と題して出版され、ベストセラーになった書籍だ。

 夏ごろに書き始めて、本来は、年内に脱稿する予定だった。ところが予定外のがん宣告を受け、検査が重なったことで、最後の1割、結論部分が書き終わっていなかった。

 なんとかしようと考えたのだが、抗がん剤を打ってから思考能力が落ちていたので、頭のなかで文章化することさえできなかった。

弱った体を元気に蘇らせる新薬

 そこにひとつの情報が飛び込んできた。弱った体を元気に蘇らせる新薬があるというのだ。保険診療の対象とはなっていない点滴薬だが、妻と私のマネージャーが、薬の担当者の話を聞いて、「信ぴょう性があるのでは」ということになった。残念ながら、薬を提供するクリニックのほうから「患者が殺到すると対応ができない」という理由で、新薬の名前を明らかにすることはできないのだが、私は可能性に賭けてみることにした。

 これが「当たり」だった。たまたま私の体に合っていたのだと思うが、夕方に点滴を受けて、翌朝には、思考能力が戻り、ふつうに会話ができるようになった。

 もちろん、新薬は「気付け薬」のようなもので、抗がん剤ではないから、がんの治療に直接つながるものではないのだが、この新薬で一命をとりとめたことは事実だった。

 そして、その1週間後から、私は東京の総合病院に2週間の入院をすることになった。がん治療のためではない。治療ができるように、まず体力を取り戻すためだ。

免疫量はふつうの人の5分の1に

 実際、私の体はボロボロだった。入院当初は、車椅子で移動していた。そして、血液検査の結果、私の免疫量は、ふつうの人の5分の1くらいに落ちていた。とても危険な状態だ。そんな状態で新型コロナなどの感染症にかかったらイチコロだ。だから、とりあえず隔離して、体調を戻す必要があったのだ。

 それまでの人生で、私は入院したことがなかった。治療の準備で、一晩だけ入院したことはあったが、それ以外、医師から入院を勧められても、全部拒否してきた。

 そもそもあれこれ拘束されるのが大嫌いなうえに、食事の選択肢もなくなり、好きなたばこも絶対に吸えない。そんな生活は耐えられない。

 ただ、このときは命がかかっているから「2週間だけ」という条件で、入院をすることにしたのだ。

(森永 卓郎/Webオリジナル(外部転載))

 

 

 

「来春のサクラが咲くのを見ることはできない」経済アナリスト・森永卓郎(66)が「余命4ヶ月、ステージ4のがん」を受け入れるまで (msn.com)

 

 

 

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「来春のサクラが咲くのを見ることはできない」経済アナリスト・森永卓郎(66)が「余命4ヶ月、ステージ4のがん」を受け入れるまで

森永 卓郎 によるストーリー

 • 3 時間 • 読み終わるまで 5 分

 

 

 医師から通告されたのは余命4ヶ月、ステージ4のがん…。66歳で難病と戦うことを余儀なくされた経済アナリストの森永卓郎さん。なぜ病魔の存在に気づけなかったのか? そして余命通告はその後の生き方をどう変えたのか? 新刊『 がん闘病日記 』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

 

晴天の霹靂

「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」

 医師からそう告げられたのは、2023年11月8日のことだった。余命4カ月の通告だった。

 それまで私は、数カ月に一度のペースで、近所の糖尿病専門クリニックに通って、定期検査を受けていた。糖尿病自体は、ライザップで行なった低糖質ダイエットの成果で、7年も前に完治していたのだが、念には念を入れて、検査だけはずっと続けていたのだ。

 その検査で、糖尿病の主治医が「一度、人間ドックを受けたほうがよい」というアドバイスをしてくれた。私の体重が、平時よりも5キロほど減っていたからだ。

 当時、私は仕事が集中していて、全国を飛び回っている状況だったから、体重減は過労が原因なのかなと思っていたのだが、主治医から強く勧められたので、人間ドックを受診することにしたのだ。

 

 冒頭のセリフは、人間ドックで行なわれたCT検査で撮影した私の体内画像を見ながら、家の近くの病院の医師が発した言葉だった。

 CT(Computed Tomography)検査は、円筒形の装置のなかに体を滑り込ませ、周囲からX線をあて、体の中の吸収率の違いをコンピュータで処理し、体の断面を画像にするものだ。縦方向にも、横方向にも、連続的に体内の断面画像を表示できる仕組みだ。

 撮影された画像には、肝動脈(肝臓に血液を送る血管)の周囲にモヤモヤの影が映っていた。医師の見立ては、それががんから浸潤してできたもので、すでに原発のがんから転移しているので、ステージIVということになる。末期がんだというのだ。

 私はにわかには信じられなかった。何しろ、なんの自覚症状もない。朝から晩までフル稼働で仕事をして、食事もモリモリ食べていた。ただ、事態は一刻を争うということで、翌日の11月9日から徹底的な検診を行なうことになった。血液検査、レントゲン、心電図、造影CT(薬剤を投与して、より詳しいCT画像を撮影する)、PET検査、そして内視鏡検査などだ。

 PET検査という言葉には馴染みがないかもしれない。PETというのは、Positron Emission Tomographyの頭文字を取ったもので、まず、検査を受ける人の静脈にFDGと呼ばれる放射性フッ素を付加したブドウ糖を注射する。そして、細胞に取り込まれたブドウ糖量の分布を画像化するのだ。

 がん細胞の最大の好物は糖分だ。だから、がん細胞は糖分が体に入ってくると、積極的に取り込む。その際、放射性フッ素も一緒に取り込んでしまう。その後、放射性物質に反応する特殊なカメラで撮影すると、がん細胞が集まっているところが光って見えるという仕掛けだ。

 PET検査では、全身を撮影できる。つまり、すべての臓器の状況を見ることができるのだが、私の検査結果で、光って見えたのは胃とすい臓だけだった。

 胃は強く光り、すい臓はそれよりずっと弱く光り、その他の臓器は、まったく光っていなかった。胃に関しては、もともと食物を消化する臓器なので、がんでなくても光りやすい傾向があるという。いずれにしても、がんの本体は、胃がんか、すい臓がんのどちらかだというのが、PET検査の結果だった。そこで内視鏡検査の際に、胃の組織を採取して、生体検査に回したのだが、がんは見つからなかった。

胃がんかすい臓がんの2つの候補があって、胃がんの可能性は低い。となると、消去法ですい臓がんということになる。

 その推定に私は納得がいかなかった。理由は2つあって、ひとつはCT検査の画像を見た医師が、「すい臓はきれいなんだけどな」と言っていたことだ。

 もちろん私も画像を見ていたのだが、たしかにがんに冒されて変形している様子はないし、病変も一切なかった。もうひとつの理由は、血液検査で、すい臓がんに反応する腫瘍マーカーの数値がほとんど上がっていなかったことだ。

 そこで医師と相談のうえ、近くの大学病院で、再度精密検査をすることになった。12月15日のことだ。検査の中心は、超音波内視鏡の検査だ。

 超音波内視鏡というのは、文字どおり超音波装置をともなった内視鏡を使った検査で、5~30MHzという高い周波数の超音波を発生させて、高い解像度の観察を可能にする内視鏡だ。この内視鏡によって臓器の組織内部や周囲の臓器、血管、リンパ節なども見ることができる。また、病理検査のために、超音波内視鏡に取り付けた穿刺を用いて、細胞を採取することも可能だ。そのことで、表面からではわからない粘膜の下に隠れた腫瘍も調べることができるのだ。

 私の場合、胃の深いところ、さらにもっとも深いところからも組織を採取して、生体検査に回したのだが、がんはまったく検出されなかった。胃がんの可能性はほぼ消えたのだ。

 一方、すい臓からは、組織採取をしなかった。私自身は、全身麻酔で眠っていたのだが、医師の判断で採取を止めたという。ひとつは、超音波内視鏡で丁寧に観察しても、すい臓に病変が一切見当たらなかったこと、そしてすい臓から穿刺で組織を採取すると、そのことが原因で、膵炎を起こしてしまうリスクがあることだった。

医師が下した診断は「すい臓がんステージ4」

 結局、がんの本体がどこにあるのか不明というのが、精密検査の結論だったのだが、病院の医師が下した診断は「すい臓がんステージ4」というものだった。

 徹底的な胃の検査で、胃がんの可能性はほとんどない。だから、すい臓のどこかに、超音波内視鏡にも映らないがんが隠れているのだろうということだった。ふつうは、検査をすると、どこにがんの本体があるのか判明するのだが、がん本体がすっかり隠れてしまう非常に珍しいケースだというのだ。

 私は性格的に疑り深いので、その結論を受け入れてよいのか、迷っていた。

 そこにラジオで何度も共演した医師からアドバイスがあった。彼が勤務する東京の病院にがん診断の名医がいる。その医師にCT画像を見せ、これまでの検査結果のデータを示せば、がんの正体がわかるはずだという。

12月18日、私は妻と一緒に東京の病院を訪れ、セカンドオピニオンの診断を聞いた。

 驚くことに、結論は、近くの病院の医師の診断とまったく同じだった。すい臓がんのステージ4だ。私のなかでは、この日をもってステージ4のすい臓がんが確定した。

 だから、これまでも12月18日をがん宣告を受けた日として公言してきた。

 正直言うと、それでも私は納得していなかった。その後、がん治療を専門にしている病院で名医と呼ばれている医師にサードオピニオンを求めた。もっとも、そのときは私の体調がよくなかったので、妻がデータを持って、診断を仰いできた。結論は、またもや、すい臓がんのステージIVだった。

 3人の医師が口をそろえて同じことを言う。しかも、そのうち2人はがん診断の名医といわれる人だ。もはや素人の私があらがう理由はない。私はすい臓がんのステージ4を受け入れることにした。その決断が、私の体に大きな衝撃を与えようとは、そのときは夢にも思っていなかった。

〈 「三途の川が、はっきりと見えた」1日の食事は“イチゴ3粒”だけ…余命4ヶ月・森永卓郎(66)が苦悩した「がん治療」のリアル 〉へ続く

(森永 卓郎/Webオリジナル(外部転載))