「あの時、木村が裏切らなかったらなぁ」SMAP再結成へ最大の壁は中居の“拒否感情”か 「SMAPを守ろうとした男」の通夜にもキムタクだけは現れず…

 
国民的アイドルグループの全員から愛され、長年苦楽を共にしたプロデューサーの死に駆け付けたメンバーたち。だがそこにあの男の姿はなく……。「SMAPを守ろうとした男」の願いは夜空ノムコウに消えてしまうのか?
 
国民的アイドルグループの全員から愛され、長年苦楽を共にしたプロデューサーの死に駆け付けたメンバーたち。だがそこにあの男の姿はなく……。「SMAPを守ろうとした男」の願いは夜空ノムコウに消えてしまうのか?

通夜が始まった午後6時過ぎ、まず姿を見せたのが稲垣吾郎(50)。滞在時間10分ほどで会場を後にした。続いて午後7時半頃に現れたのは草彅剛(49)。その直後、1台のタクシーが、正面玄関を通り過ぎ、裏手の、従業員関係者用の通用口から地下へと滑り込んだ。記者の前にはスタッフが立ちふさがり、降りた人物は見えなかったが、関係者の話を総合するとこの人物は中居正広(51)とみられる。

 午後8時に通夜は終了。それから30分後、舞台の公演を終えたばかりの香取慎吾(47)が駆けつけた。だが、そこに木村拓哉(51)の姿はなかった――。

 SMAP解散から7年余り。稲垣、草彅、香取の3人は17年にジャニーズ事務所を退所後、チーフマネージャーだった飯島三智氏が設立した事務所へ移籍し「新しい地図」として再出発。中居は3人と独立を画策するも断念し、20年3月まで事務所に在籍した。

「ジャニーズと決裂した3人は民放地上波のレギュラー番組が全て終了した。中居は独立後もジャニーズ時代のマネージャーを窓口に置き円満退社。4番組の司会を務め、松本人志の活動休止によりリニューアルした『だれかtoなかい』(フジ系)は二宮和也とのMCが好評です」(芸能デスク)

 木村だけは故・ジャニー喜多川氏の性加害問題で事務所名が変わった後も残留。今や「新・ジャニーズの長男」となった。

「CM打ち切りやドラマ撮影延期など逆風を受けるも人気は健在。4月クールの連ドラでも主演を務める。冤罪を晴らそうと脱獄する男を演じる。現在は『グランメゾン東京』(TBS系)の続編映画を撮影中。発表前からインスタグラムで劇中の衣装をチラ見せし“匂わせ”投稿を連発しています」(同前)

 5人は解散後、別々の道を歩んでいたが、ここ数年“交差”する機会が増えている。

 小誌 23年7月13日発売号 では、22年末に草彅が同じ撮影スタジオで番組収録前の木村のもとを「メリークリスマス」と訪ね、再会を果たしたことを報じた。

 23年4月21日に放送された『人志松本の酒のツマミになる話』(フジ系)に出演した稲垣は、木村と中居に言及し「ちょっと会ってみたい」と口にしていた。

そして4月30日。中居がMCを務めるトーク番組『まつもtoなかい』の初回ゲストに、香取が登場。香取は6年振りに民放で歌唱し、中居との“和解”を明かした。

「木村が裏切らなかったらなぁ」

「香取は番組内で、事務所に残りテレビに映る中居を見て『最初の頃は(チャンネルを)替えた』と告白。ただ、22年に中居が大病で休養したのをきっかけに、香取が中居に毎日メールをするようになり、23年明けに2人きりで会ったと打ち明けました」(同前)

 オンエアで唯一話題に出なかった元SMAPメンバーが木村だ。だが実は、

「香取からは木村の話題が出ていた。しかし、中居の意向ですべてカットになったのです」(フジ関係者)

 背景には木村と中居の“亀裂”があるという。

「2人は解散後、共演はもちろん言葉を交わすこともありません。特に中居の拒否感情が強く『あの時、木村が裏切らなかったらなぁ』と独立騒動についてぼやいていた。当時まだメリー喜多川副社長が絶大な力をもつ中、木村は“強い者に迎合した”と4人には映った。ジャニーさんの葬儀でも中居は木村と並んで集合写真に写るのを嫌がり欠席。木村も中居と距離を取ってきた。中居の退所会見日に稲垣、草彅、香取の3人はすぐさま連名でエールを送った一方、木村がコメントを発表したのは、翌日の夕方でした」(同前)

スマスマの人気を不動のものにした名プロデューサー

 中居と香取の歴史的共演から半年後、ジャニーズ事務所は「SMILE-UP.(スマイルアップ)」に改名し、新会社「STARTO ENTERTAINMENT」設立を発表。新会社の社長に就任した福田淳氏は、小誌インタビューに共演は「NGを出す立場にない」とし、SMAP再結成についても「みんなやりたいようにやればいいと思う」とサポートを明言していた。

 再結成の環境は整いつつあるも、その鍵を握る“きむらtoなかい”の関係は微妙。そんな状況下の今年2月上旬、5人に黒木氏危篤の一報が入ったのだ。

 黒木氏は入社後まもなく、アシスタントディレクターとして、SMAPブレイクのきっかけとなる『夢がMORI MORI』に参加。03年頃から冠番組『SMAP×SMAP』(以下、スマスマ)の三代目プロデューサーに就任し、最終回は番組最高責任者のチーフプロデューサーだった。

「メンバーに“クロキン”と呼ばれ愛されていた。番組内のコントで中居が演じた『ダメ人間』のモデルで、朝まで麻雀しては打ち合わせに遅刻し仮病を使って休むことも。仕事がバリバリできるタイプではないが、ここぞという時にミラクルを起こし、スマスマの人気を不動のものにしました」(番組関係者)

 特に功績として語り継がれるのが、海外大物アーティストの出演だ。グラミー賞のアフターパーティーでは紋付き袴で名前を売り、3年かけてマドンナを口説いた。その後、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、レディー・ガガ、テイラー・スウィフト……錚々たるゲストがSMAPと共演した。

黒木氏は“SMAPを守ろうとした人”だった

 口癖は「今から信じられないことを言いますが聞いてください」。元ユニバーサルミュージック・ジャパンで洋楽宣伝を担当した大森正之氏が偲ぶ。

「(グラミー賞六度受賞の)ブラック・アイド・ピーズのメンバーであるウィル・アイ・アムのLAの自宅から中居さんに中継させたいと言い出し、実現。結果、東京のスタジオにいるライオネル・リッチーと中継をつなぎました。洋楽への造詣と愛が深く、その熱意に周りは動かされました。超プロフェッショナルなレディー・ガガが納得するセットを作り、その模型をガガの滞在先のトロントまで持って行き説明する。SMAPも4時間近くリハを重ねガガの信頼を得ました」

 また、黒木氏は“SMAPを守ろうとした人”だったという。

「どの曲のコラボが番組のため、SMAPのためになるかを第一に考え、収録ではメンバーが大物とのコラボに萎縮しないよう現場を和ませていました」(同前)

 チーフマネージャーでSMAPの“育ての親”である飯島氏からの信頼も厚かったという。

「別の打ち合わせ中でも飯島さんに呼ばれたらすぐ駆けつけていた。波長が合い、共通の趣味である宝塚をよく観に行っていた。黒木氏の訃報に、飯島さんは『SMAPにとってかけがえのないスタッフだった。もうあんな人はいないんじゃないかなあ』とこぼしていました」(別のフジ関係者)

SMAP再結成ならスマスマを…

 解散後も5人との関係は続いていた。木村とは明石家さんまとの正月特番『さんタク』のプロデューサーを担当。香取が、現在公演中の主演舞台「テラヤマキャバレー」で歌う「質問」は、寺山修司作詞のカバー曲で、もとは黒木氏が地図の3人に歌って欲しいと提案したものだという。亡くなった3日後の16日に音楽配信サービスで配信され、黒木氏はプロデューサーとしてクレジットされた。

 プライベートでも親しかったのが中居だという。小誌カメラマンは独立騒動中にも2人が食事を共にする姿を目撃している。

「棺の中の黒木氏は中居さんから貰って愛用したTシャツを着ていた。2年前から入院していますが、中居さんの温情で『だれかtoなかい』のスタッフロールに名前を連ねている」(同前)

 黒木氏の30年来の友人が証言する。

「黒木さんにはもしSMAPが再結成するなら、スマスマを復活させたいという熱い思いがあった。その日が来ることを信じて病気と闘っていました」

死期を悟った黒木氏は「SMAPに会いたい」と

 亡くなる約1週間前――。2月上旬、死期を悟った黒木氏は「SMAPに会いたい」と口にしたという。

「中居、草彅、香取の3人は同じ時間に合わせて訪問。一人一人が病室に入り、黒木さんと最後の会話を交わした。仕事のあった稲垣は別の時間帯に面会したそうです」(同前)

 だが、木村は……。

「4人との接触を避けるかのように別の日に来た。木村だけ別行動というのが今の5人の関係性をよく表しているのです」(同前)

 病室の一件でも浮き彫りになった、4人と木村の深刻な「断絶」。それは通夜でも繰り返された。

 通夜開始時刻の午後6時前、木村は、

「そして、明日に向けてだく汗かいてきましたぁ〜! 早めの夕食して、台本へ」

 とインスタグラムに投稿し、通夜には現れなかった。木村の知人が明かす。

「都内にいたし、物理的には行けたはず。4人の参列を聞きつけてなのか、映画の撮影を理由に出席を取りやめたそうです」(所属事務所は「相手様もあるお話ですので、コメントは控える」と回答した)

木村は今も単独ライブでSMAPの曲を歌唱

 中居と草彅と香取は、入口の案内看板が取り下げられた後も、黒木氏との別れを惜しんで斎場に残り、遺族に寄り添ったという。飯島氏も同席した。3人が去ったのは、式終了から2時間後の午後10時30分を回った頃だった。

「ジャニーズに残る木村にとって独立組が主導する通夜は“アウェイ”になるとみたのかもしれない。木村は今も単独ライブでSMAPの曲を歌うし再結成は拒んでいない。中居との溝が埋まらない以上、彼なりの考えで欠席したのではないか」(同前)

 祭壇の最上段には、中居、木村、稲垣、草彅、香取の順で花が並んでいた。それは黒木氏が最期まで願った“SMAP再結成”の瞬間だった。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年2月29日号)