いつもお読みいただきありがとうございます。
ほったんです。
本日、ドリプラ絡みの企業研修に参加してきました。
10組みの発表を聞いたのですが、
よくぞここまでというものばかりでした。
何かしらのご褒美がでるわけでもなく、
ただ、やらされ感でやってもいいように思いますが、
そうではなく、
純粋に仕事を全力でやりたいという思いが、
でていたように思います。
すべての企業が、
このようになれば、くだらない争いの起こる企業は、
なくなります。
コンプライアス違反だの、
粉飾だの、
傍からみていると、
すべて、何のために、
その会社があるんだろうと思いますし、
働いている人がかわいそうになってきます。
そんなんではなく、
自分たちが、
何のために、
そこの企業にいて、
どんな貢献を社会にしていくのか。
企業のビジョンと
個人の思いが、
重なり合う企業が、
今後、生き残っていくように思います。
そんな企業をつくっていきたいです!
そんな企業になるための一歩として、
ドリプラをぜひ見に来てほしいです。
そのドリプラに関わる人たちの物語です。
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~ドリプラに心を動かされた大人達の物語~
3.11 東日本大震災。震災の直接の影響をうけていないのに暗い未来をイメージし落ち込んでいた吉岡さん。その吉岡さんを励ましたのは震災で直接被害をこうむった本当は一番つらいはずの仲間。そして自分を信じてくれている仲間。
絶対恩返しする。
吉岡さんの決意は固い。
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ドリプラに参加した理由
わたしは、2010年12月11日。
鶴岡秀子さんに誘われて、初めて、ドリームプランプレゼンテーションを見ました。
12月9~11日。
同じ日に、東京ビッグサイトで行われていた、エコプロダクツ2010に、会社として出展していました。そちらの展示会でも、いい出会いがあったので、ドリプラを見に行くのはやめようと思い、鶴岡さんに断りの電話を入れました。
すると、鶴岡さんが、「ほんの少しでもいいから、見においでよ!」と、あまりにも強く誘うので、そこまでいわれるのなら、さぞかしすごい空間だろうと思い、昼過ぎてから、ドリプラ会場に行きました。
そこで、わたしが最初に見たプレゼンは、坂元恵理さんの「マジカルワンダーランド病院」でした。
本当にビックリしました。
こんなありえないような話を、超真剣に話してる。しかもその話を聞き、感動して涙した自分が、そこにはいました。
そのあとも、「きらめ樹」の大西さんの話を聞きながら、同じこと、わたし、ビッグサイトで話してるよ!って、超共感しました。
そのあと、ビッグサイトに戻り、撤収準備を終えたら、20時5分。懇親会に誘われていたけど、戻った時には、20時45分。鶴岡さんが、わたしが会いたいという人をいうと、ダッシュで探してくれて、紹介してくれました。
最終のエンドロールが流れているとき、わたしは、鶴岡さんと、仲間のみんなに、
「来年。わたしはこの場で、ステージに立って、プレゼンするよ!」
って、答えました。
「そういうと、思ってたよ。だから、呼んだんだから。」
鶴岡さんは笑って、そう答えてくれました。
日本の杉の問題を、わたしが解決する。
そのために「楽木プロジェクト」を、日本中に広めるスタートの場所はココだと、心に決めたのが、2010年12月10日。
もうすぐ、あれから一年。
わたしの夢、そして、みんなの夢を叶えるため、出来ることはすべてやります!
というだけなら、かっこいいですが、ドリプラに参加しているには、もっと大きな理由があります。
わたしは、今まで、ずっと夢を追いかけてきて、自分なりに叶えてきたつもりでした。
2003年に作ると決心した、コンクリートブレーカーの消音器。
「日本中に、自分の作りだした商品を売る」
と心に決めた日から、7年かかり、40都道府県で300台以上販売しました。商社や代理店は一切通さず、直売でやってきました。
やり続けていく中で、素晴らしい人に何人も出会い、その途中で、「日本の杉問題」を知りました。
日本政府が10年以上、解決出来ていない問題をわたしが解決する。
と決めたのが、2008年。
3年間。
やり続けました。
途中何度か、あきらめそうになったけど、乗り越えてきました。
2010年12月。
ドリプラに出会い、わたしの夢を日本中に知ってもらう場所はココだと決めて、2011年には、ドリプラに出ると決意しました。
その頃のわたしは、何でも叶えることができるという、自信に満ち溢れていました。
いろんなことを言われてきても、結果を出せばいいんだろう!
って感じで、勝つか負けるか、損か得か、の人生を生きてきました。
最終的に勝てばいいんだろう・・・
って感じだったと思います。
今年、大震災がありました。
池袋の10階建ての古いビルの9階で、今までで、もっとも死を意識しました。
「もしかしたら、このまま死ぬのか。わたしは、やり残したことはあるのかな?」と考えたとき、
「ないかも・・・」
と思いました。
幸せな人生を歩ませてもらっていたんだな。と思いました。
問題はそのあとでした。
震災の影響で、建設資材がうまく回らなくなることが予想できました。わたしはモノを壊す仕事を広島県でやっていますが、直す資材がなければ、工事は始まりません。4月より、5月。5月より6月のほうが悪くなることが、予想できました。
そんなとき、わたしはここ数年で、これほど落ち込んだことはないくらいに凹んでいました。
だって、自分の力ではどうにもできない。
間違いなく、仕事の量が減るし、実際に仕事の電話は減るし、工事が終わった後に値切る電話ばかりはいるし、携帯電話が鳴るだけで、いやな気分になっていました。
ドリプラに出るって言ったけど、やめよう。
4月にそう思っていました。
その時のわたしは、まわりに、こういわれるのが、イヤだったんです。
「夢なんか追いかけているから、本業がうまくいかないんだろう!」
誰かに言われたわけじゃないのに、勝手に最悪の未来をイメージしていました。
予想通り、仕事も減っていきました。
そんなときでした。
つるちゃんつながりの仲間が、こんなことをいってくれました。
「12月9.10日。ドリプラだろ。もう有給とっているから。絶対に応援にいくよ」
また書類も出していないから、書類審査で落ちるかもしれない、というと
「大丈夫。よっしーがあの壇上で話している姿しか見えないから。」
といってくれました。
なんで、ここまで、わたしを信じてくれるんだろう?
本当にありがたかったです。
わたしが席に着いたとき、思わずため息をついたことがありました。
「よっしー。今、ため息ついたよ。どうしたの。らっきーのよっしーにため息は似合わないよ。よっしーはいつも、笑顔でしょ。もしかして、頭蓋骨の骨。ずれてるんじゃないの?わたしが治してあげる。」
といってくれた仲間がいました。
わたしは、自分が人前でため息をついたということがショックでした。でも、それを指摘してくれたから、わたしは自分が落ち込んでいることに気が付きました。そして、こんな言葉をかけてくれるだけで、冷え切った心が温かくなるのがわかりました。
そして、この人の行動が、わたしに本当にチカラを与えてくれました。
福島に住んでいて、震災で家族そろって実家の長崎に、引っ越さなくてはならなくなった仲間がこういってくれました。
「来週、ドリプラの説明会があるだろ。その日、東京にいるから、代わりに説明会に行こうか?」
アントレの方に電話して、
「結局、プレゼンター本人じゃないとダメだといわれたよ。よっしー。自分でこないとダメみたいだよ。(笑)」
そこまでしてくれました。
本当に震災で被害に会い、住む場所が大きく変わり、仕事に大きな影響を受けた彼が、ここまで、わたしを応援してくれている。
わたしは震災で、実際には何も被害にあっていない。
勝手に暗い未来を予想して、落ち込んでいる。
「お前は、なにさまなんだ!」
自分で自分に怒りを覚えるほどでした。
電話を切った後、涙が出て止まりませんでした。わたしは、こんなにも素晴らしい仲間がいる。その時に、本当のつながりって、なにかがわかった気がしました。
本当のつながりって、勝つとか負けとか、損とか得とか、どうでもよくて、ただ、あなたを応援するよってお互いに思える関係なんだ・・・
震災の後、とんでもなく大変な状況なのに、いつも通りの笑顔で、いつも通り話す鶴岡さんの姿にも、ものすごく励まされました。
わたしは、ドリプラに参加すると決め、書類を出しました。
わたしが目標にするのは、
「伝説のホテル」
のプレゼン。
わたしに最高の世界を見せてくれ、「夢を叶えるツボ」を生み出してくれたのは、
「伝説のホテル」
ちっぽけな自信が崩れて、ボロボロに落ち込んだわたしに力を与えてくれた、仲間。
わたしの心の中から最高の夢をひっぱり出してくれたみなさまに、きっちり、恩返しします!
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「夢に挑戦する大人に、子どもは心を奪われる。」
ドリプラ2011世界大会 12月10日(土)開催!
ドリプラに心を動かされた大人たちが運営する
ドリプラのチケットはコチラから!
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最後までお読みいただきありがとうございます。