愛をもって接すれば 愛をもって返ってくる | 夢しか実現しない。

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ほったんです。


今日は、購読している致知メルマガからの転載です。


以下メルマガより

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     人間力・仕事力が確実にアップする致知出版社メルマガ

       【2010/5/23】 致知出版社編集部 発行
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当メルマガでは、月刊『致知』の誌面に紹介された記事を中心に、
人間力・仕事力アップに役立つ内容をご紹介していきます。

本日は、『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は、ボクシング元日本チャンピオンの
坂本博之さんの随想
「愛をもって接すれば 愛をもって返ってくる」です。

ぜひ最後までお読みください。


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■「致知随想」ベストセレクション <その21>
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  「愛をもって接すれば 愛をもって返ってくる」
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       坂本博之
      (さかもと・ひろゆき=角海老宝石ボクシングジムトレーナー、
      「こころの青空基金」代表)



               『致知』2009年5月号「致知随想」
               ※肩書きは『致知』掲載当時のものです
http://www.chichi.co.jp/monthly/200905_index.html


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一昨年プロボクサーを引退し、
福岡に住む恩師に挨拶に行った時のことです。

彼女は私が幼い頃入っていた乳児院の担任でした。


「先生が俺を一所懸命育ててくれたから、
 いまの俺があるんだ」
 
 
と言うと、嬉しそうに顔をほころばせ、
ぽつりと言いました。


「愛情をもって接すれば、
 愛情をもって返ってくるんだね」


この言葉は、私の心に強く焼き付きました。
それは十五年間のボクシング生活を振り返って、
いま最も感じていることなのです。


    *  *


物心つく前に両親が離婚し、
幼い弟とともに母に引き取られたものの、
小学校入学と同時に親戚に預けられました。

そこでは私たちは邪魔者でした。

水がもったいないからと
家のトイレを使わせてもらえず、
食事もほとんど与えられません。

一日の食事が給食だけという日も多く、
休日は空腹のあまり
河原でザリガニやトカゲを捕って食べていました。

小学二年生になり、心身ともに虐げられた弟が
栄養失調になり、私自身も拒食症になったことを機に、
私たちは児童養護施設に入ることになりました。

それが福岡県和白にある和白青松園です。
そこでは温かい布団と三度の食事が用意されていました。

当時の私は大人や社会に対して
強烈な不信感を持っていましたが、
先生方や友達との温かい交流により、
徐々に心が癒やされていきました。


    *  *


一年が過ぎた頃です。

夕食を食べ終わった食堂でふとテレビを見ると、
ボクシングの生中継が流れていました。
ルールも何も分かりませんが、
私は画面に釘付けになりました。

明るいスポットライトを浴びて、
リング上で戦う男たち。
甲高い歓声や華やかな音楽などすべてがまぶしく、
一気に惹きつけられたのです。
俺もいつか世界チャンピオンになりたい。
それは、薄暗い世界に差す一筋の光のように見えました。

その後、母が私たちを迎えにきて上京。
貧しくも家族三人の生活が始まります。

進路を定めた私は、高校卒業と同時に
角海老宝石ボクシングジムに入門。
何かに取りつかれたように練習に打ち込みました。


やがて二十一歳でプロテストに合格し、
連戦連勝を重ね、
「平成のKOキング」と呼ばれるまでになりました。

しかし、そんな時も心の片隅には
いつも和白青松園がありました。

先生や子供たちはどうしているだろう……。
ある時、思い立って施設を訪れ、
こっそり裏門から子供たちの様子を窺うと、
以前の私のような不信感に満ちた目で一瞥されました。
俺も昔ここにいたんだ、
いまはボクサーをやっているんだよと話しかけると、
途端にぱぁっと明るい表情に変わり、
応援を約束してくれたのです。


    *  *


十か月後、私は日本チャンピオンになりました。
今度は正門から堂々と入り、
箱一杯のお菓子を持って子供たちに会いに行くと、
彼らは我がことのように喜んでくれました。

この子たちと一緒なら、何でもできる気がする。
私は誓いました。


「この日本チャンピオンのベルトを
 世界のベルトに変えてみせる」


しかし、打たれても前に出る私のスタイルは、
確実に身体を蝕んでいきました。
持病の椎間板ヘルニアが悪化し、
手術を経て挑んだ三度の世界タイトルマッチに敗北。
二〇〇〇年、四度目となる畑山隆則選手との一戦を迎えました。

結果は十ラウンドの末のKO負け。
正直に言うと、終盤の記憶はほとんどありません。
後にビデオで確認し、
倒れた自分の姿を見て愕然としました。


俺は負けたんだ。


子供たちの悲しそうな顔が頭に浮かびました。

当時、マスコミでは
「坂本引退」としきりに報じていました。
なにより不安だったのは子供たちの反応です。

かねてから生傷の絶えない私を
心配していた彼らのこと。
もうボクシングを辞めてほしいと言われたら
何と答えよう……。私は再び和白青松園を訪れました。

しかし、子供たちの反応は正反対でした。
私を見るなり


「坂本の兄ちゃん、まだやるっちゃろ?」


と、アルミホイルとダンボールでできた
手作りのチャンピオンベルトを
プレゼントしてくれたのです。
彼らはまるで私の心を見透かしたように
背中を押してくれました。

それから一昨年の引退まで、
私はついに世界チャンピオンにはなれませんでした。
しかし、私は後悔していません。

人を信じられず、未来が見えなかった私が、
ボクシングに出合い、施設の子供たちとの交流の中で
心からの愛を知りました。

たとえどんな境遇にいても、
目標に向かって一所懸命努力すれば
必ず道はひらける。

運命は自分の手で切りひらくんだということを学び、
私は人生の勝利者としてリングを降りられたのです。

私の経験が何かの一助になればと、
いま全国の児童養護施設をまわって
講演やチャリティー活動をさせていただいております。

一人の大人が愛情をもって子供に接すれば、
必ずその心は伝わる。
そしてその子供がまた周囲に愛を伝えていくような、
幸せに満ちた社会をつくりたい。

それがいまの私を突き動かす思いです。


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最後までお読みいただきありがとうございます。