本日、1月6日は昼から東京は大雪となりました。
マジで積もってる。私は天気予報をろくすっぽ見もしないで、気分で洗濯をして外に干したり、傘も持たずに出かけたりする計画性のない人間です。
一方で、メントール英語発音教室には、いらした皆さんが不意に雨に降られたとき用に差し上げられる傘が5本もあるというのに、みなさん準備が良すぎて雨の日は必ず傘を持っているので、誰一人もらってくれません。
10年間営業してて誰ももらってくれないんだから、思い切って今度、燃えないゴミの日に全部捨ててやる!
どうしても足さなきゃいけない用事があって、チラチラ降り始めた雪をみなかったことにして街まで出たのですが、用を足し終わって外を見たら一面の銀世界(大袈裟な。)!
と、文章を書いてみてふと気づいた。
というか、これまでも度々うっすら気づいていたのですが、、、
どうしてだか、銀座4丁目あたりまで行く(私の住まいも、職場も銀座ですが隅っこの方です)時に、「街まで行く」とつい言ってしまうのです。
私はそもそも街も街、街のど真ん中に住んでいるのに、「ちょっと街まで用を足しに行かなけりゃね」などと考えてしまう。
こうした表現は、アルプスの少女ハイジ とか キャンディキャンディ のような幼少期に見たアニメあるいは物語の中でよく使われているものでした。
ハイジとおじいさんは、山だか丘の上に住んでいるので、「街まで降りていく」と確か言っていました。
こうした地域に住む人は、たとえばお手紙を出すときでも、「どうせ街に降りて行くんだから」と、誰かについでを頼まれてあげたり、「街まで用を足しに行く」ご近所さんがいれば、ついでの用をお願いしていたりするシーンがしばしば登場していました。
わかりますよね?
あなたもわかりますよね?
おそらく、この世界観が私の中に住み着いて離れないので、こういった表現をよく使ってしまうのでしょう。
とにかく、今日も街まで用を足しに行ったのですが、雪のせいで足元が悪すぎて、明日の大事な七草粥のための七草を買ってくることができませんでした。
幸い、葉っぱがついた蕪だけは買ってあるので、それを足して、去年、七草が買えなかった時のために一応買っておいたフリーズドライの七草でお茶を濁すことにします。
こう言った季節の伝統行事は大事にしたい。
たとえ頭の中が時代や状況に合わせて更新されてなくても。
↓今週末の初釜に先立ち、フライング花びら餅↓
昨日、街まで出た時に七草買っておけばよかった。
今冷蔵庫に入ってる葉っぱ類は、パクチーとかバジルとかニラとか、お粥と喧嘩しそうなものばかり。
以前、ベトナムに駐在している友人は、七草が手に入らないからパクチーとかミントで代用すると言ってました。柚子の代わりにアクセントはライムを使うらしく、もはや七草粥の雰囲気は皆無だけど、気持ちが大事だと言っていましたね。たとえ原型を留めなくて、四季の行事を忘れない友人のスピリットを私は尊敬します。
今日、これから帰宅する人は足元に気をつけて帰ってくださいね。
素行が悪い人は、背後にも注意して行動してくださいね。そして、それは雪が止んでもやめない方がいいです。いつ背後からブスッとヤラれるかわかりませんから。
明日も足元が悪そうなので、東京にお住まいの人は早めに行動することを心がけましょう。
