私が今年から受け持っている、某マンモス大学経済学部のアカデミックライティグの受講生たちは、2クラスとも大変良い英文を書けるようになってきています。
毎回ちゃんと褒めるところは褒めてダメなところはちゃんと指摘して、どうやったらそれが直るかまできっちり具体的に説明して、説明しっぱなしではなく、できるようになったかまで実践して確認する。
そこまでやって、はじめて教えたと言えると私は考えています。
なんかを伝えるだけなら、本を読ませたり、動画でも見せておけば十分です。
そういう乱暴な伝達は、私の中では「教えた」とは言わない。
毎回添削したり、効果があって彼らが「大学の必須英語のクラスだから仕方なく受けてる」とか
卒業してから自嘲気味に「大学でなんか必須の英語クラスがあったけど何を習ったか覚えてない」なんて思うことがないようにしたい。
と、思ってるもんですから、毎回とても手間がかかって講義中も必死だし、講義が終わってからも始まる前も準備に必死。
時間と手間がかかるったらありゃしない。
でも、たかだか60人程度ですが、毎年、理論的な骨組みがしっかりある主張ができて、それをある程度ちゃんとした英語で書いたり話したりできる力を持つ若者を社会に送り出すことができたらそれなりにやる意義はある。
採算は全く合いませんが、仕事ってのは採算だけでやるものではありませんから。
少なくとも私はそう思ってます。
逆に、いくらギャラが良くても、得意でない仕事(私が持っている能力を役立てることができない仕事)や、価値観が合わない人と関わったり、価値観が合わない人に合わせさせられるような環境では仕事をしたくない。
そういうことも含めて、若者たちに自分の考えを持って、その妥当性をちゃんとした証拠や理論に裏付けられた主張を日本語と英語でできるような力をつけてもらえるような講義をしています。
アカデミックライティングのクラスだからって、英語だけ、ライティングの手法だけ教えるわけじゃないのです。そこまで要求はされてませんが。
でも、私にこのお話を下さった教授からは「杉本先生におまかせします」って言っていただいたので、自由にやらせてもらってます、私が正しいと思うことを。
で、英語で書いたものをちゃんとプレゼンテーションもできる力をつけて欲しいし、3年生、4年生で着手する卒論の準備にもつなげて欲しいので、秋冬学期は、前期で教えたアカデミックライティングの基本的なテクニックを使って、それぞれ卒論で扱いたいと思っているテーマを決めて、理論構築をしてもらうことにしました。
先週の宿題は、テーマを決めて、主張したい内容を1つの文でトピックセンテンスを書く、と言うものにしました。
しかしまあ、予想はある程度できてたんですが、学生たちが出してきたテーマやトピックセンテンスがかなり壮大でたまげております。
卒論を視野に入れているとはいえ、アカデミックライティングの週1回の講義内でここまで壮大なやつを書くのはとても無理。私がやったって無理。
ってくらい、地球環境を変えたり、経済復興をしたり、世界の格差問題を是正したり、世界各国のエンターテイメント業界がパンデミックから受けた影響を比較して日本の音楽業界の課題を克服したりと、そりゃまあ壮大なものを数十名の大学生が考えて提出してくれました。
次回の講義でフィードバックして、もう少しスケールダウンし、具体化させるようにしなくてはとても書けません。
とはいえ、若者が皆、世の中や将来に無関心なわけではなく、それぞれちゃんと色々考えてテーマを持っているのだと言うことがわかって、とても安心したというか嬉しくなりました。
彼らの熱意や興味の芽を萎えさせることなく、実現可能なテーマや調査範囲にうまいこと誘導しなくては。
腕が鳴るけど骨が折れる。
やっぱり筋肉が必要だ。購入したアブローラーは無事にほぼ毎日やっています。
普段使えてない筋肉使ってるせいか、筋肉痛ですが、やがて治ることでしょう。
秋の夜歩き@皇居周辺にはヘビメタ。
レスポールの枯れたギター音や、パガニーニのロックみたいなクラシックを唸らせながら都会の夜景を独り占めするのは最高です。
仕事終わってから平気で10キロくらい競歩で歩いちゃいます。
寒くなる前にいっぱい歩こう。
体力がないと、若い人たちの野望に付き合うエネルギーが出てきませんからね。
それにしても、頼もしい若者がたくさんいて良かったな。
日本もまだまだ捨てたものではありません。
実際の若者とろくすっぽ話す機会もないくせに、偏見だけで「日本の若者は終わってる」とか嘆いているオワコン老人の雑音は聞いてるふりして無視しなさいと学生には口を酸っぱくして伝えてます。