■気分爽快カウンセラー高橋かのん 裏プロフィール | 自分軸makingパートナー☆高橋かのんブログ

自分軸makingパートナー☆高橋かのんブログ

「すぐ不安になる」「自分を責める」「イライラ・モヤモヤ」は他人軸のサイン!しんどい他人軸を卒業して、やりたいことをどんどん叶え、毎日が楽しい「自分軸」へ♪「本来の自分」を取り戻す
!自分軸コンサルタント 高橋かのんのブログです☆

大阪万博で日本がわいた1970年に、新潟で生まれました。

高橋かのんプロフィール 
 
 ミルクがなくなると泣く、まん丸と太った女の子でした。
 小さな頃は、兄の後についてまわり、男の子の中で遊ぶ子供でした。
 
ここでは、
 転機(節目)や悩んできたことをご紹介します。
 

■12歳(父の死)
 
父を交通事故で亡くしました。


脳死状態で数日過ごし、他界しました。
その間、代わる代わるに手動の呼吸器で空気を送る時間を設けましたが、
その頃の私には大役でした。
 
<自分が止めたら死んでしまう恐れと、それでも死んでしまった無力感。
 大人になった私の中にも、しばらくじ~っと残って影響していたことを、
 カウンセリングの中で知りました。
 今では、何かしてあげられる時間を作ってもらえたと感謝しています。>
 
さて、「12歳で父を亡くした」というと、
その後の人生を不憫に慮ってくださる方が多いです。
 
しかし、実はそれまでの方が大変でした。
 
なぜなら、父は仕事がなかなか長続きせず、いわゆる酒乱だったからです。
普段は、とてもおとなしい人でしたが、お金を見つけてはパチンコ
ときどきお酒を飲んでは暴れ、物を壊し、
家中を足の踏み場もないほどにしました。
 
そんな状況だったからこそ、学校生活が何よりも楽しい時間でした。
 

でも、その頃の私が、“だから家で不幸だったか”
といえば、そうではありません。
なぜなら、私にとってはそれが当たり前の日常だったから。
そして、父が悪者になっていた分、他の家族との結束が強く、
助け合って生きてきました。
親戚や周りのたくさんの人たちがかわいがってくれました。

 
<とはいえ、その当たり前として受け入れてきた日常の中で、
 本当はイヤだったこと、つらかったこと、強がっていたこと、
 思ってはいけないと思っていたことがありました。
  
 閉じ込め凍らせたそれらの思いを、大人になってからでもいい、
 きちんと思いだし、感じてあげることが、大きな癒しとなり、
 その後の自分にプラスに影響することも、カウンセリングの中で身を
 持って知りました。
 そして、父の苦悩も理解することができました。>
 

父が亡くなってからは、心配事も減り、
普通の(?)母子家庭になりました。
それまで同様互いに助け合いながら、
母が女手ひとつで育ててくれました。
そんな母の口癖は「人間、持ちつ持たれつ」でした。
 

■18歳(大学進学)
 
高校を卒業し、大学に進学。1人暮らしを始めました。
(高校、大学ともに入学金・授業料を免除してもらい、
奨学金をもらいました。ようやく数年前、返済完了♪)
 
家では、物静かでしっかり者、何でも器用にこなす頭の良い子。
しかし、学校では、明るくのんきな自分。
あまりのギャップに、どちらが本当の自分なのだろう?
とふと悩むときがありました。
 
1人暮らしをしてみて、学校での自分が基本であることを知りました。
(結局、どちらも自分で、どんな自分も自分で、それでいいのですが(^_-))
 

■22歳(就職)
 
就職で東京に出てきました。憧れの東京。
旅行業界に就職しました。
 
「生活必需品」より
「あってもなくてもいいけれど、あると心が豊かになるもの」

を扱いたいと思いました。
 
そして、
「いい顔(イキイキした表情)を創りたい!」
これが、私が仕事をする核となる思いです。
(それは、今も変わっていません)
 

そう思うようになったのは学生時代、
エステティックでアルバイトをしていたときのことです。
 
受付の仕事をしている中で、
お客さまに思ったことをお声掛けしていました。

「お肌がツルツルになってきましたね」
「あ、ほっそりしてきたんじゃないですか」など。
 
すると、お客様の顔がパーっと明るくなって、
とっても素敵な表情になるのです。
 
もちろん、エステで美しくなった部分もありますが、
「やっぱり、人の美しさや輝きって、内側から湧き出るものなんだな。」
「同じ顔でも、表情ひとつで全然違う!」と思ったのです。
 
「内側から輝くいい顔を創りたい!そんな仕事ってなんだろう」
と思ったとき・・・
大学時代の夏休み。
ロサンゼルスにホームステイに行った経験が思い浮かびました。

los 
 
 
海外旅行や留学、ホームステイを通して、異文化に触れ、
当たり前が当たり前でない経験をすることで、
いい顔が創られるのではないかと思いました。
 
身よりもなく出てきた東京でしたが、期待でいっぱいでした。
会社で、1からいろいろ教えてもらいました。
体力勝負で大変な業界でしたが、本当に楽しく働きました。
 

■27歳(若さ)
 
もう若くないんだ・・・と悟ったのがこの歳でした。
新入社員が妙にキラキラして、楽しそうに見えたりして・・・。
 
これから先、若さという魅力と引き換えに、
どんな魅力をつけていくのか?
人生を考えた歳でした。
 
そして、「今後の自分の人生において、いつでも、
“今”が一番若いのは絶対的な事実。
どう過ごしても時間は過ぎていく、今を楽しもう!」
の言葉に出会いました。
 
「本当にそうだ。いつでも、今の自分が一番魅力的!
と思える自分になりたい」と思ったのでした。
今思うと、そして、今から見れば、本当に若い!!(苦笑)
 

■30歳(転職)
 
初めての転職をしました。
尊敬する人が新しく起こす会社の唯一のスタッフです。
 
「新しい会社」と言っても
その方がすでに起こしている、片手ほどの社員の小さな会社
と同じスペースで、机を並べての仕事でした。
 
喜び勇んで行きましたが、結果は、空回り(>_<)
総スカン。誰も味方がおらず、孤独でした。
 
人間関係で悩むことは初めてでしたので、
それまでがとても恵まれていたのかもしれません。
誰もが自分を傷つける人のように思えました。
 
誰かに相談して、アドバイスをもらっても、
そのたびに、否定されているように感じました。
 
同情されても、何も変わらない・・・。
 
悲しくなり、「誰も自分を助けてくれない」と失意の中にいました。
 
(今思うと、その頃は、悲劇のヒロインのように、
そこから救い出してくれる人を探していたのだと思います。
残念ながら、そういう状況を作っている自分自身には焦点が
当たっていませんでした)
 
出先から会社のビルに着いても、
入りたくなくて周りをうろうろ・・・など、
そんな自分になるなんて、自分でも自分でないような・・・
誰でもこうなりえるのだと思いました。
 

上司がいないときに緊急ミーティングで招集され
「高橋さんは、人格に問題がある」などと言われたこともありました。
 
3ヶ月の試用期間が終わった頃、
結果的に社員登用は社員の反対で見送られ、
辞めるか試用期間延長を迫られました。
 
辞めることを決めました。
荷物を詰めたダンボール1つを抱えて、会社を出でました。
 
辺りは真っ暗。タクシーを拾いました。
電車で30分かかる距離にタクシーを使ったのは始めてでした。
もちろん、電車に乗るにはダンボールが重かったのですが、
精一杯の贅沢であり、自分へのねぎらいでした。

taxi
 
タクシーの窓越しに見える夜景はとてもキレイで、
自分の惨めさがより浮かび上がってくるようでした。
 

居たたまれず運転手に
「運転手さん、がんばるって、がんばる場所があるから
言えるんですよね。私には、もうがんばる場所がなくなって
しまいました」と声をかけたのを覚えています。
 
そう、毎日会社に行きたくなくて辛かった。
だけど、遅刻はしたものの休むことはなかったのです。
辞めることを決めた自分が負けたようで、
逃げたようで悔しいやら悲しいやら・・・。
 
友人の


「人生、逃げてもいいんだよ。だけど、逃げたら、同じ課題がやってくる。そのときに、またがんばればいいさ。そして、また逃げたっていいんだ。課題は、何度でも見捨てずに、来てくれるからね」


の言葉に救われ、次はがんばるぞと思ったのでした。

でも、「もうしばらく働けないんじゃないか」・・・
自分の傷つきように不安になりました。
しかし、生活していかなくてはなりません。
 
運良く、また旅行関係で「ぜひやりたい!」「これは私の仕事だ!」
と思える募集に出会い、
その仕事を気迫でGETしました。
 
企業内ベンチャーであり、上司が男性で、
片手ほどの従業員はすべて女性・・・
環境が前回と似ていました。
 
「職場でうまくやっていけるかどうか」が心配でした。
 
それに加え、
「本当は、男性を取りたいと思っていたのだけどね(あなたにしました)」
と言われたことも似ていました。
 
「それだけ、買っているよ」との意味なのでしょうが、
 プレッシャーと「女ですみません」という気持ちで先行き不安になりました。
 
そして、案の定、苦手な人もいたのです。
 
普段ならなんてことのない、駅で誰かにかかとを踏まれて
靴が脱げたなんてことで涙が出てきたり、
行く途中で過呼吸になったこともありました。
  
 
  カウンセリングとの出会い


同じことは繰り返したくないとの思いから、
カウンセリングを学ぶことにしました。
そこで、これまでフタをしていたパンドラの箱を開けたのです。
 
自分がどんな人が苦手なのか?
どんな言葉に反応してしまうのか?
そして、それはなぜかなどが明らかになりました。
 
そして、過去が大きな影響力を持っていることも知りました。
(だからこそ、こんな自分になったのは、両親のせいだと
憎んで過ごした時期もありました)
 
カウンセリングでは、強く印象に残っている出来事から、
「こんなことが?」と思うことまで、
さまざま、さまざま、幼い頃の過去と向き合い、
ひとつずつ、学びなおし、力に変えました。
 
さて、その後、新しい職場での苦手な人とはどうなったかというと、
カウンセリングを学んだことで、
前回とは違うアプローチをしました。
 
自分なりに懸命に向き合いました。
それが1年半程続いたある日。
突然、退職されることになったのです。
 
そして、その1週間後に、上司も突然、
業績不振の責任を取って、
会社を去ることになりました。
 
パンドラの箱を開けてしまい、不安定になっていた私を理解し、
学びを応援してくれていた上司でした。
反面、真正面から本音をぶつけ、私の心を容赦なくこじ開け、
説教してくれる人でした。
 
なんとも不思議な思いがしました。
「周りの人(特に苦手な人)は、自分が学ぶために
用意されたキャストだ」
とは、後で聞いた言葉ですが、
まったくその通りなのではないかと思う出来事でした。
 

二人がいなくなった職場を過ごすうち、
1つのカリキュラムが終わったのだと思いました。
 
 
■32歳(転身)
 

そんな経験を経て、
「いい顔というのは、旅行というハレの場でももちろん創られる。
けれど、もっと日常のコミュニケーションの中で作られるものなんだ」
と強く思いました。
 
その後、会社を辞め、今の仕事につく準備を本格的に始めました。
(コーチング、カウンセリングの認定を取りました)。
 
その決断には、
もうひとつの大きなきっかけがありました。
 
それは、年齢と自分のイメージ。
 
私にとって32歳までは20代の延長のような気がしていました。
同じ事をしている気がしていたのです。
 
しかし、33歳以降の自分が皆目イメージできませんでした。
自分の未来のビジョンが見えずモヤモヤした日々。

そんなとき、先述したカリキュラムが終わり、
その会社にいる意味も終わったように思えたのです。
 
その頃、初めて、そのモヤモヤを晴らすため定期的にコーチ
についてもらいました。
そして、自分が何をしたいのか、これまでの人生を棚卸し、
新たな道を歩む決心をしたのです。
 

カウンセリングでは、理論や、心や感情、悩みの仕組みを学びました。
学ぶたびに自分における不可解ななぞが解けていくようで、
とても興味深く、勉強が面白かったです。
 
しかし、知識を学ぶことより大変だったのは、
カウンセラーとして、まず自分の問題を解決していく必要があったこと。
 
なぜなら、そうでなければ、相談者の話を自分事として反応し、
自分の思い・主観で良し悪しを決め、聞いてしまうからです。
自分の思い遂げるために反応してしまうからです。
 
それでは、カウンセリングに何よりも大切、なありのままを受け取る共感はできません。
冷静に相談者が囚われているロジック
(行動を制限やブレーキをかけている思い込み・信念などの思考)
を、見極めることができません。
 

自分の問題を解決していった方法は、
もちろんカウンセリングです。
クライアントとして。
 
知識の習得後は、カウンセラーの卵同士、
カウンセリングをし合い、
より実践的な訓練を中心に行いました。
 
カウンセラー役ではスキルを磨く作業です。
そして、クライアント役としては、クライアントの気持ちを理解
することはもちろんですが、
自分と過去に向き合う作業であり、重ねてになりますが、
そちらの方が数倍もしんどいものでした。

それは、半人前同士で行っていたからもあったかもしれませんし
その方法しか知らなかったこともあったかもしれません。

当時は、これは、本当にいい方に向かっているのか?
と思ったときもありましたが、
今となっては、それでいいのよと自信を持っていえます。
   
この作業(カウンセラーとしての実践スキル習得と、
自分の課題をクリアし、認定まで)に、3年かかりました。
  
 最初の2年は仕事をしながらでしたが、
 先述の流れと、そして
「このままでは、なかなか進まない!」
との思いもあり、会社を辞めました。
取組み1年後、ようやく認定を取りました。
 
そして、筑波大学大学院の宗像恒次教授のカウンセリングに
インターンとして同席し、勉強させてもらいました。
並行して、コーチングも本格的に養成講座で学び、認定を取得。
 
その後は、さらに、NLP(神経言語プログラミング)、心屋流等、
様々な心理学やアプローチ方法を学びました。
  
学べば学ぶだけ、さらに興味が増し、
学ぶのが面白くて仕方がない。
いくら学んでも学び足りない。興味がつきない。
そんなものを出会えたことを幸せに思っています。
 

30歳の転職後のことがなければ、今の私はなかったでしょう。
そして、それをきっかけに学んできたことは、
遠い過去からの道しるべに気づいた瞬間でもありました。
 
「すべての経験は、この仕事(カウンセラー)をするために
あったのかもしれない」


そう思えたのです。

 
  
 
 
カウンセリングを学び、その中で自分の課題を解決していくことで、
私自身、それからの人生がとても楽に楽しくなりました。
人間関係の悩みもなくなりました。

(もちろん、まだまだ日々、いろんなダメな自分・
 外れていない心のブレーキにも気づきます(^_^;)
 それがまた楽しい!)

 
もしも、あなたが、“カウンセリングは「心や病んでいる」人のもの”
と思っているのだとしたら、それはとてももったいないことです。
 
なぜなら、カウンセリングは、

自分を成長させてくれる、
なりたい自分になるための
最高の自己啓発だからです。

 

■42歳(これから)
 
どうも私の区切りは、十の位ではなく、
一の位が2である感覚があります。
変化の歳です。
これまた43歳以降のイメージが皆目イメージできずにいました。
でも、何か変化を求めていました。
 
これまで、企業・学校での頼まれてする仕事が多かった私。

 

しかし、ムクムクと

“個人の、本当に求めている人と向き合いたい”

という思いが湧いてきました。

 
私個人で行う個人カウンセリング、個人を対象にした講座。
 
  「変わりたい」
 「もっと楽しい毎日を手に入れたい」
 「今の自分じゃいやだ!」


そんな本気な思いで、自己に投資する方のために、
これまでの経験と学びを惜しむことなく提供したい。
心からのサポートをしたい。
 
「人生にムダはない」といいます。
それに私も異論はありません。
しかし、同じことをぐるぐるムダに悩む時間は、もったいないです!
 
1人でも多くの方が、自分の本当の心の声に気付き、
気分爽快に生きていけるように☆
自分で自分の悩みが解決できるようになるように☆
 

もしも、今、あなたが人生の大切なカリキュラムの中にいるのなら・・・
あなたが変わるタイミングにいながら、
歯がゆい思いをしているのなら・・・
私と一緒にその課題を紐解いてみませんか。
 
そこにはきっと素敵なギフトがあります。
そして、そのギフトは、これまでより、
もっと素敵な人生を手に入れるためのパスポートになるはずなのですから。

高橋かのんプロフィール画像

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

気分爽快カウンセラー 高橋かのん


高橋かのん表プロフィール