とあるXで見つけたポスト。

あるYouTuberが動画で泣いたことを非難するものでした。

 

高校時代、クラスで一つの議題でもめてクラスで話し合いになった時、

私は混沌となる雰囲気が我慢ならず、いくつか提案を出しているうちに

それぞれ個性的な同級生の自分かってとも言える態度に

泣いてしまったことがありました。

 

悲しみや怒りと言うより、

問題を解決する気ないだろ、お前ら、

と言うことに疲れた感覚で。

 

まもなく下校時間になってしまい会は強制お開き。

教室を片付けていると、普段あまり話をすることのないクラスメートから

 

涙は醜い。

そんなもの見せられても何も解決しない。

野心のない人間の逃げだ。

 

と箇条書きのように言われました。

あのときの彼女の笑顔がこわかった。

 

その彼女は、高名なピアニストになるために熱心な子で、

誰よりも普段「野心」と言う言葉を多用する癖があると後で知ったのですが、

その当時から「野心のある人間は本当に泣かないんだろうか?」と疑問でした。

 

確かにあの天才ピアニストのマルタ・アルゲリッチが人前で

始終ビービー泣いて感情を訴えたら興醒めではあるけれど。

 

ただ、私が思うのは、

 

泣く人間を不快に思う人間が多い周辺というものは

実に殺伐としているか、もしくは

泣く人間に過敏に同情しすぎて脆弱になっている

 

かのいずれだな、と。

 

戦争にによる爆撃で

家族をなくした人々の涙に心を痛め

終戦を訴る人々の例をみても、

涙や悲痛の表情は人の心をかき乱し、時には

判断や状況の把握にフィルターをかけるものだと感じます。

 

私も人前で泣いたのは後にも先にも前述の場面だけですが、

人の涙というものは他人に強い感情を湧き立たせるものなので、

子どもがものを欲しがるときのように意図的に多用するものではない

と大人になりながら学んだものです。

 

さて、冒頭のXのポストを見たので、件の動画を拝見したところ、

 

これがなんで非難に値するのかがさっぱり分かりませんでした。

 

感情度外視で見ても意味のある涙でした。

 

冷静にものを語る人が痛恨の念で不本意と感じつつも

沸き上がる感情が冷静を赦さなかった、そんな涙でした。

 

大の男が泣くな、とか、泣いて逃げるのか、

と言った感想なのかもしれませんが、

私はこれによって再びクラスメートのあの

箇条書きコメントを思い出しました。

 

泣く人間を庇うわけではなく、

 

日頃冷静だったり、平静である人が

感情を露わにして涙するには大きな意味があると思うのです。

 

泣く行為をむさ苦しい、情ない、と感じる前に

なぜ泣いてるのか、という行動の意味や機微を救い取れる能力こそが肝心なのではと思うのです。

 

醜い。

 

それではそこで終わり。しかし、

 

なぜ泣いた?

 

と思えばその先の探求の道が続きます。

 

 

泣くだけではなく、人の感情表現のすべてを読み取るというのはそういうことであって、

日本人は世界一そこらへんの能力に長けていると信じていましたが、

昨今そうではないんだな、まあ、私たちが十代のときからああだったもんなぁ、

とふとおもいました。

 

泣く行為は浄化を意味するので、

泣いた後は人の脳がさらに活性化される

と聞いたことがあります。

 

確かに映画などを観て泣いた後は

すっきりしますよね。

 

あ、、、

 

私、人前で泣いてた。

 

映画観て相棒の前でワンワン何度も泣いてました。あれー。

 

この時は相棒は非難どころか、私が子供のように声を出して泣くので

 

こんなマンガのように泣く人滅多にいない!

 

と横で大爆笑してました。

 

私が泣きやむといつも相棒はコップ一杯の水をくれます、

ってか、何回泣いてるんだ私。。w