今回も教育心理分野の内容で長くなりますが、

ご興味がおありの方はご一読いただけたらうれしいです。

 

タイトル。

結論から言うと、地域との連携薄で形ばかりのPTA運営の中で

子供同士のいじめや引きこもりは

校長や教師に相談して解決策が見出されるとは限らない、

と言うのが経験や見分で思うことです。

 

なぜなら、

どの問題も、子供達の内在する心の問題、

それは大半が両親との関わり合い、や家庭環境に起因しているからです。

 

はっきり言いますが、

子どもが不安そうだったりイライラしているときは、

まず親御さんの心理状態や夫婦関係を探ると

問題の糸口が見えてきます。

 

それは、子供にとって一番接点が多く、

家族は一生にかけて一緒に住む人々である

自覚が高いからです。

 

特に多感な10代はいろんなことを考えます。

例えば、自分はどんな状況下で生まれてきたのだろうか、とか、

臨まれて生まれてきたはずなのになんで両親はいつも不機嫌なのだろうか、など。

 

10代は大人に見えて、まだ自分中心で物事を考える年齢なので、

何かが起きるとまず「自分のせい?」と感じることがままあります。

 

自分の親が毒親だ、とよほどの暴力を奮われていても

自覚が芽生えるのがずっと後であるのはそれが理由の一つです。

 

ですから、

 

学校へ行かなくなった場合、

どうしたらいいか。

 

まず学校で先生方と授業の遅れ対策を相談するのは

正解ですが、不登校の理由は先生に聞いてもわかりません。

 

いじめにあっているらしい場合、

どうしたらいいか。

 

子供は絶対に話しません。

もういじめっ子と言うものの構成や性質をよく知っているからです。

 

それじゃあ、親は何もわからないしなにもできないじゃないか、

とおっしゃるかもしれません。

 

そんなことはありません。

 

私の親は、私が教師ぐるみの壮絶ないじめにあっていることを知りませんでした。

しかし、私に何かが起きていることは見て分かっていました。

 

なので、父親は毎週末私を外に連れ出し行きたい所に連れて行ってくれました。

 

母は自分もいじめ被害の経験があったので勘付いていた気もするのですが、

はっきりしない私の落ち込みようには狼狽えず普通通りに振舞い、

私が一時期「毒親」と思うほど厳格で過度に私を甘やかすことはしませんでした。

 

ちゃんと学校と塾には行くこと。

食事は何を出されても全部食べること。

母の代わりに買い物に行くこと。

 

子供の頃から母が忙しかったので、

買い物と食事の下拵え(野菜を切るなど簡単なこと)は

やっていたので、何も厳しい事ではありませんでした。

 

しかし、これは自然と守られていたんだな、と

今ならわかります。

 

私は我慢ができなかったいじめに関しては

ある時期から「自分はもういなくなるしかない」状態でしたが、

なかなかそれを親にうち開けられませんでした。

 

いじめっ子軍団の母親たちと私の母親が仲が良かったからです。

 

どの母親も手に職を持つ人達だったので連体感があったのでしょう。

でもまさかどの母親も自分の子がいじめっこ、いじめられっ子だったとは

知らなかったと思います。

 

今とは時代も親子関係も多少の違いはあるとは思いますが、

根本的なこと、

 

「自分は家族に守られている」という安心感は子供を強くすることは

不動であると信じています。

 

ですから、例え学校で起きた問題であっても

教師や他の生徒に助けを求められても解決にならないのは

その子の苦境への耐性は学校では養えないからです。

 

昔「3年B組金八先生」と言うテレビドラマが大人気でした。

 

内容をよく見ると、地域社会が学校と密接で、

回を追うごとに金八先生の卒業生が地元で活動し、

先生の生徒たちをサポートしているのを観ることができました。

 

このような連携を世はPTAと称するのですが、

今は家庭それぞれのペースがあり、率先して団結や

地域行動に参加しなくなっているのではないか、と推測します。

 

まさにPTAが学校の中で完結してしまっていて、組織の意味がないと言う声も聞きます。

 

忙しい親の手に負えないのならば、地域が口を出して

子供達を守り躾けることができた時代なら、

いじめがあっても丸見えで、さらに少し年上の大人が

いじめっ子いじめられっこの彼らを諌めることができました。

 

しかし、現在、子育てに親以外が介入することができるでしょうか。

 

ならば、親がしっかり子供をサポートしなくてはいけないのです。

 

そんなに問題な事ではありません。

 

まずは親が親という自覚を持って毅然としていればよいのです。

この世には人の数だけ教育方法があり、子どもの性格に応じて様々な対処法があるのは確かです。

子供に合う方法を的かくに選択できるのは「自分自身と子供をよく見ている親」です。

 

一番の理解者である親が、親自身の立場を認め行動の真意を持ち、

子どもの目線をしっかり捕えていればまず問題はありません。

 

それが、なんでも話せる存在、どこにいても見守ってくれている安心感となるのです。

安心を知っている、つらい事があっても、兄弟姉妹に相談できる、親が道徳を身をもって

伝えてくれる、その中で情操を養う子どもは独自の価値観で生きて行く事ができます。

 

例え、自分の価値観が他と食い違っていても、

自己肯定感があるので仲間を作る行動力、外に向かって進む意欲のある子供になります。

 

一時期引き籠っても、親が目を瞑らず、社会一般の常識に翻弄されおどおどせず、

子供への理解を求めれば、彼らはいずれ健全に社会に順応して行きます。

 

本当です。

 

これもまた辛辣ではありますが、

 

子供の教育で1番の厄害は、夫婦不和だと思っています。

子供は親の不仲を咄嗟の勘で見抜きます。

そこが子供の不安となりストレスとなります。

親の喧嘩や無言を貫く家庭に居所が無い、と感じるのです。

 

時に、私の同世代の友人たちでも子育て中、

夫婦間が冷めたり、子育てや夫婦生活に疲れると、

外の空気が吸いたい、と嘆く人がいました。

 

私も一人の女として見てもらいたい。

夫の他の男性の方が私への理解が篤い、

などという人も。

 

そんなもん、疲れからくるまやかしだから。

 

と言ってきましたし、辞めない人とは縁を切ってきました。

自分本意な行動をする友人とは付き合えないし、

今後の話題はその不安定な彼女たちの行動の相談ばかりになると決まっていたからです。

 

子供にとって親の不倫を知ることは奈落へ突き落とされるようなものです。

親は一時的に自分の存在理由を求めて起こした快楽かもしれませんが、

子供にとっては身を裂かれる、裏切り行為だということを忘れないでください。

 

なぜなら、本能的に子供は自分の父親と母親から生まれてきたことにプライドを持って生きたいのです。

なのに、親が不実を行う、さらに自分と違う環境を求める親には捨てられたと感じるでしょう。

 

家庭内別居については、事が長びけば、子供からの尊敬は薄れて行く事でしょう。

問題を解決できず、伴侶を無視することでうやむやにする結論に、

子供は親に何を相談してもあてにならない、と感じるからです。

 

不倫にしろ、家庭内別居にしろ、

正直心の穴は塞がらない。

 

それなら、それで難しい事ではありますがキッパリ離婚してしまった方が

子供のためを思うならそれがいい。

子供はこれをきっかけに自分の独立心によって行動できます。

 

間違っても、親は自分の不運や不実を

子供達のせいにしてはいけません。

 

親が起こす行動はその親が責任を取るべきです。

そして、人ができることができないと認めること。

他人を羨んだり憎まないこと。

 

内に潜む怒りは、自分を暗くさせ、

身近な存在に無意識にぶつけます。

 

円満な家庭を築けていないと自覚があるなら、

それを認めること、その要因を認めることが、

家族全体を円滑にする事です。

 

私の自論としては、

 

子供の不安定の理由は家庭にある。

ならば、解決策は身近にある、そんなに難しい事じゃない、

 

と、私はたくさんの生徒と親御さんを見てきて確信しています。