もう十数年も前ですが、知人から聞いて驚いたことがあります。

 

「私の家族は私を除いてみんなアスペルガーなの。」

 

その人はちょっと笑みを含め恥じらいながら告げました。

私はその事実より、彼女のその時の表情に驚いたのです。

 

アスペルガー症候群は、症候群というだけあって

いくつかの特徴や症状の違いもありますが、

代表とされるところはコミュニケーション能力に欠ける点でしょうか。

 

その点が、自分の家族には足りない、と彼女は説明しました。

 

彼女は、家族において一人の妻であり、母親です。

 

その彼女が、私にどうして家族の発達の問題を打ち明けたのか、

実は今でも疑問なのです。

 

そしてその後もどんどんおかしくなっていくのでした。

 

初めて事実を告げられた時、

専門医に診てもらったの?、と尋ねました。

 

「子供や主人は平日は病院に行けないので、

私が日々の行動をその先生に伝えに行ってるの。」

 

「はぁ?」

 

「そうしたら、先生が、それならアスペルガーの可能性がありますね、

と言ったの。」

 

先生からアスペルガー、というセリフを引き出した彼女は、

実際にお子さんやご主人は通院をさせず、

本人が本などで学んだ知識をもとに家族にアドバイスを与えました。

 

つまり、当のご家族本人たちは自分が持っているであろう問題解決について

専門家のアドバイスを直接聞いてはいないというのです。

 

なんかおかしくないですか?

 

ことの発端は、

 

彼女の前の夫がアスペルガーだったそうなのです。

そのため、その夫との間の長女もアスペルガーとして

認識しつつ育てたというのです。

 

私がどこかこれについて疑問を持ったのは、

 

そもそもどうして自分以外の家族をアスペルガーと疑うのか、

発達障害を持つ家族に囲まれるのは大変なのに、彼女にその辛さの吐露はない、

この障害を抱えた彼女の家族たちがそれを実の妻や母に

告げられてどう感じているのか、

 

でした。

 

実際、ご家族とも会ったことがあります。

短い期間ではありますが、回を重ねて会っても、

私には彼女の家族から極度のアスペルガーの特徴的行動が

見られませんでした。

 

その中で私が感じた違和感は、

 

彼女の家族一人一人が私と話をしている端々で

 

私はアスペルガーだから

 

と言うのです。会話の繋ぎ、枕詞のように。

 

特に彼女の夫は、彼女と出会って結婚してから

自分がアスペルガーだと彼女から教わったんだそうです。

 

それまで、一度も自分を発達障害と思ったことも、

家族に障害のある人もいないのにも関わらず、です。

 

でも、今は自分がアスペルガーであることに

一つも違和感や疑問を感じていないようでした。

 

しかし、会話の中にことごとく念を押すように

 

私はアスペルガーなので、、

 

と。。

 

彼らとは、私は会話を含むコミュニケーションに

何か欠損を持つ人たちと一緒にいるという感覚がないため、

彼らがそう言う度に

 

だから?

 

とゆっくり返答しました。

 

彼らは、私がそれでも動じないし、過度な気遣いもない。

別に普通に会話を続けたり一緒にテレビを見たりするので

返って驚いたのではないか、と思います。

 

それを含めて、改めて彼女にご家族のことについて、

 

「多少の融通の効かなさがあったとしても、

そんな程度なら、どのうちの子供でもある性格だよ」、と言うと、

 

「あなたはあの子達がもっと子供の時のことを知らないから、、、」

 

と、やや不機嫌そうに言われました。

 

だったら尚更、そんなものは何も深刻なことではない、

意思疎通ツールが乏しい幼児の頃に、

逆に理路整然と欲しいものを表現できたらそれこそとてもレアだ。

 

わがままが通らなければ、子供は大声で暴れたり怒ったり泣いたりする。

 

それが、理性も養われじっと冷静に物事を考えられるようになった大人が

見れば、ギャップはあるもの。

 

自分が子供の頃はあんなにわがままに自己主張はしなかった。

だから、あれは発達障害によることなのだ。

 

と彼女は言いたかったようです。

 

しかし、彼女は一つ忘れていることがあります。

 

それは、私たちの時代の教育方法です。

 

私たちの時代では、大人のスタンスや威厳がまだまだ強く、

大人の都合や機嫌によってコロコロルールは変わったし、

 

子供はダメだけれど、大人はいいの!

 

などという訳のわからない大人の言い訳を聞くことも少なくありませんでした。

 

この大人による理不尽で締め付けの環境は、家の中も外にも存在したので、

大人の前で論調鋭い、おしゃべりな子供や、

感情激しくリアクションを大きく取って自己表現する子供は

少なかったと思います。

 

その分、学校など同世代のサークルの中で発散する子供、

やはり萎縮や遠慮をして事勿れを貫く子供などで

学校生活は構成されていたように記憶します。

 

ですから、彼女の子供たちが、臆面もなく母親に甘え、

自己主張激しく彼女を困らせたとしても、その割に

外に出るとシャイになったり他人に警戒したりすることは

一概に障害ではないのでは、と私は思いました。

 

そのことを伝えても寝耳に水。

 

じきにそれは彼女にとって都合の良いことなんだ、と

理解しました。

 

それは、彼女の子供が登校拒否を繰り返すようになってからでした。

私はその時にやはり専門家のカウンセリングを受けたらどうか、

と提案しました。

 

すると、彼女からの返答は

 

家族で何とか解決していくので口を挟まないでほしい。

 

でした。

 

だったらなぜ、こんなことを私に話すのか?

ただの近況報告にしてもディープすぎるよ、と思いました。

 

ご自身で解決できるならそのほうがいいですね。

 

と返答しましたが、彼女とは他に色々と食い違いがあったため

面倒になった私は、これを機に関わりを断ちました。

 

私に言わせれば、

 

付き合いの長かった私たちの歴史の中で、

彼女との会話ほど奇怪で理解に苦しいものは

ありませんでした。

 

私は、もし彼女の夫、子供たちが軽度であれ本当のアスペルガーという

診断を正式に下されたのなら、

 

彼女こそ何らかの問題を抱えているのではないだろうか

 

と疑いました。

 

それが心の問題なのか、彼女もご家族全員と同様の特徴を持ってるのか、

それは分かりません。

 

でも、

 

彼女にとって家族がアスペルガーであることの利点、

それを自ら言い聞かせ、家族をコントロールできる、と

思っていたのなら、

 

それは実に愚かで間違っていると今でも感じています。