最近よく目にする「合理的配慮」という単語。

 

なんだろう?とウィキペディアで調べてみたら、

 

合理的配慮(ごうりてきはいりょ、英語: reasonable accommodation)とは、障害者から何らかの助けを求める意思の表明があった場合、過度な負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のことである。

 

とありました。ここでは障がいのある人々への配慮と定義付けがあるのですが、一般的にはマイノリティ全般という目線で用いる人もいるようです。

 

確かに社会的にみて、マイノリティである障がいのある人たちへの便宜は必要で、彼らが謙譲の人たちと同じ権利、快い生活を得るためにはサポートをするべきだと思います。

 

さて、そのサポートは誰がするの?

 

というのが一番の問題です。

 

例えば、私たちは、同僚や隣人に何か不足なものを求められたり相談されたりすればそれに気づいてなんとか不測を補おうとします。

 

しかし、声がけをしてもらえないと、また、具体的対処を「足りないものを求める人々」から求められないと私たちはどうして良いかわかりません。

 

なぜなら、足りないものを求める側がいちばん対処を知っている状態だと思うからです。

そして、日本人は特に、人の役に立とうという精神は強く持っているけれど、やり方を知らない場合、全く手出しをしない傾向があります。

 

これは意地悪でもなんでもなく、ただ「どうして良いのかわからない」から動けないわけです。

 

私は、障がいはありませんし、社会的マイノリティの立場でもありません。ですから、役に立てることはないか、と思う時、まずはその障がいを持つご当人のご家族が綴る手記やブログ、動画を見ることにしています。

 

ご当人が直接求めていることを読みこともあります。そして、こうして欲しいな、ということで私にできることはないか、と探ります。

 

これは以前高校教師をしていた時代から行なっていました。私が最初に赴任した学校では、現在で言うディスレクシアの子がいました。彼女の症状を感じたのは一学期のテストでした。楽曲を聴かせ、感想を書くと言う問題を出題しましたが、彼女の文章を読んで驚きました。

私はまず聴覚を疑いました。そして、彼女のデータがないかを保健の先生に訊ねたのです。すると、

 

他の先生から同じ報告を受けていて、親御さんに打診をしたところ、学校側の懸念は全く介さず、娘は全くの健常で専門家なんぞに見せる必要はない、と断られたそうです。

 

親御さんが頑なに彼女の状態を否定する限り学校としては対処できない、と言うことでした。私は、彼女の症状が他の生徒に知られ差別されぬよう、その後も板書や筆記のテストには気を配りました

と言っても私なりに、なので、効果があったかどうかはわかりません。

 

しかし、このように彼女になんとか勉強はきつい、と思ってもらいたくないために私なりの合理的配慮を探ってみても、彼女は将来、専門的、集中的な訓練を受けてない状態で社会に出て大丈夫なのか、と本当に心配しました。

 

事情があって、その学校には1年しかいられなかったため、彼女のその後はわかりませんで

が、今でも時々あの頃のことを思い出します。

 

この経験では、大勢の団体行動の中で、理解が困難なハンデを持つ人をサポートすることがどんなに大変かを学びました。

どうしても授業中彼女の動向が気になり彼女の質問に丁寧に応えると、他の敏感な生徒が「先生は贔屓や特別視をしている」と感じることがあり、皆平等にクラスをまとめると言うことが難しい課題でした。

 

かと言って大勢に揃えると彼女が取り残されてしまう。特に彼女の場合自分のハンデを知りませんから、テストや学習において、尚更彼女自身を傷つけたりしていないだろうか、と不安でした。

 

もし、お子さんの学習困難を感じたなら、しっかりとした検査とその対処法を専門家に仰いで欲しいと心から思います。なぜかと言うと、一般的に学校の教師だけでは追いきれない障壁なのです。知識も、経験も薄いですし、それを同じく何も知らない生徒たちに伝えてサポートを求めることは非常に難しいことです。

 

親御さんがいちばん大変なのは百も承知です。しかし、いちばんお子さんが信頼を持ち、いちばん話に耳を傾ける存在は親御さんしかいません。

 

親御さんが社会において合理的配慮を求めるのは当たり前です。だからこそ、その時には学校に教えて欲しい。

 

何が足りなくて何が必要か、を。

 

そして、誰よりも親御さんがお子さんへの合理的配慮をこなすエキスパートになっていただきたい、と強く思います。そしてその知識をどうか大勢に配信していただき、私たちがどのように彼らと一緒に快く生活を共にできるかを教えて欲しいのです。

 

また、同時に、大勢の子どもを同時に健全に教育と団体行動の意義を教授し、社会に送り出さねばならない担任教師には追いきれないこともたくさんある、と言うことを知っていただきたい。

 

重ねて、生徒さん一人一人の親御さん同様、教師一人一人にも家族があり、子供もいて、他の親御さんと同じく自宅で子供達の宿題や練習に付き合う必要、夫婦として行わなくてはいけない連携があると言うことを想像し考慮いただきたい。