今年のアカデミー賞作品賞や主演女優賞、監督賞を受賞した映画「ノマドランド」。

 

ちょうど、受賞式前日に観ることが出来ました。

 

もともとフランシス・マクドーマンドが好きで、彼女の主演作品は欠かさず観ています。ノミネート云々は関係なく、観ていましたが、彼女が選びそうなテーマだな、と感じました。

 

彼女が演じる作品は、特化した階級の社会やそこでの女性の立場や役割に注目するテーマが多いのですが、今回も

 

もしこの生活を女性一人がこなすとなれば?

 

という人がほんの少し頭をよぎる想像を実現させたような内容でした。

 

リーマンショックは日本でも、不景気の渦中さらに追い討ちをかける出来事でしたが、アメリカ全土にわたって相当なダメージを与えたのだろうな、というのは想像できました。

 

やはり、地域の企業の打撃は大きかったのでしょう。そこから始まる映画でした。

 

教師をしていた女性が、病気で伴侶をなくし、家を追われて車内生活を送ることに。その主人公ファーンがマクドーマンドですが、よく彼女が演じる、口数少なく行動が先に出るような女性のつましくストイックな生活が淡々と続きます。

 

初めは全くの孤独でも平気、という心で始めるノマド生活。しかし、毎日一人で車で飲み食い寝ていると、

季節労働の職場で仲間に入ったり、自分から声をかけるようになっていきます。

 

最初は、彼女の精神にも余裕があって、同じく日雇いに等しい仕事で働く人々に優しく声をかけたり、口数多く自分の話をするようになりますが、映画中盤になるとどんどん口数が減ってゆき、個人的な行動を好み、仲間は増えても腹を割って話す人も減り、男性にはそれなりの優しさを感じつつもそれ以上はなんとなく冷たくなってしまう。

 

さらに、人の家に尋ねると居心地が良いはずの広い部屋とベッドに居心地悪く佇む。

 

そして誰が言うでもなく、また自分の車の狭い空間に戻ってしまう。

 

前の教え子に会った時、ホームレスになったの?と尋ねられ、

 

ハウスレスになったのよ、

 

と答える前半と、なかよしが病気で亡くなったり旅に出てしまったり、家庭に戻ってしまうと

 

ついに彼女は戻るまいと思っていた故郷に戻り、当時はその街が栄える糧であった工場が廃れてしまった姿に涙する彼女とのギャップ。

 

たった1年のこと。

 

これが死ぬまで続くのか、と言う絶望に似た感情を背負うこと、私にはできるのだろうか、と思うと今、家があり支え合える人がそばにいることに感謝せずにはいられませんでした。

 

彼女は自分が株に失敗したわけでも、怠けて働かなかったわけでもありませんでした。成り行きでこんなになってしまった、という境遇、これは誰にでも不意に陥るかもしれないことなんじゃないかなと思います。

 

こうなると、いくら将来に備えようとしてもどうしようもない。

 

ラストは、貸しガレージに残したものを全て引き取り再度改めて彼女はもう前の生活には戻れない覚悟をしてノマド生活に出発します。

 

ラストとにかく道を走る彼女の車の背後を撮るシーン。

 

ここまでくると、気持ちが現実に戻され、あそっか、自分のことではなかったんだっけ、と言う安堵が湧きます。

 

私は、もう日本に帰るまい、と決心して親に内緒で結婚するためにスペインに来ました。結婚やある意味日本を捨てる覚悟はしていたものの、スペインに骨を埋める、と言う覚悟はまだまだ足りないような気がしています。それは、私の心の中にひっそりと

 

それでもいつでも日本に帰れる

 

と言う気持ちが潜んでいるからです。

 

もう戻れない、帰っても親しかった人々はよそよそしくなっている、そんな中ではもう街に捨てられた、と言う意識から他の地に行くしかありません。

 

自分から追い込むのではなく、強いられて追い込まれる、これほど気持ちのもって行き方に憂いを感じるものはないだろうな、と感じました。しかも若くない年齢からの始まりですから。。。

 

考えさせる良い映画だと思いました。映像も良かったです。

 

だから、なおさら監督の故郷である中国が上映を禁止したことには非常に口惜しい気持ちになるとともに、国土や人口が膨大な中国だからこそこのようなことは起きえるのじゃないかな、そう言う意味でも人々に見せるべきなんじゃないかな、とも思いました。(社会主義の中国ですから、こんな発想はないでしょうけれども)

 

監督はすでに欧米に対の住処を据えているようなので大丈夫でしょうけれども、本来なら自分の栄誉を故郷が完全に否定し背を向けることになったらこれほどショックなことはないだろうな、とも考えました。非常に残念なことです。