【溝口式分析学徹底活用通信】追悼:不屈の人、中村哲医師 | 自分らしさ発見、オンリーワンの自分探求ブログ

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こんにちは。
溝口メンタルセラピストオフィスのYANOです。

先週、ようやくブログを再開させましたところ、
心優しい読者の皆様から、
「待っていましたよ」
「久しぶりに読めてよかったです」
という、温かいお言葉をいただきました。

ありがとうございます(>_<)

せっかく再開したブログが、ストップしないよう、
時間を捻出して、今回のメルマガを書いています。

それでは本日の
【溝口式分析学徹底活用通信】第26回目を
お送りしてまいります。

12月9日、
アフガニスタンで人道支援に取り組んでいた
中村哲医師がお亡くなりになりました。

私はこのニュースを見るまで、
中村医師のことは知らなかったのですが、
その後、彼の功績を知って、
こんな素晴らしい生き方を貫いた中村医師は
分析的に見ると、どんな人だったんだろうと思い、
今回取り上げることにしました。

中村医師がこれまで、どのような活動をしてきたかを
簡単にまとめてみました。

(wikipediaより引用)

1973年に九州大学医学部を卒業。

医師免許取得後、国内病院勤務ののち、
1984年、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。

以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする
医療活動に従事。

パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたが、
パキスタン国内では、政府の圧力で活動の継続が
困難になったとして、以後はアフガニスタンに
現地拠点を移して活動を続ける。

2003年、アジア地域で社会貢献などに傑出した功績を果たした
個人や団体に対して贈られる『マグサイサイ賞』を受賞。
*比喩的に「アジアのノーベル賞」とも呼ばれる権威ある賞

2004年には、皇居に招かれ
明仁天皇・美智子皇后と紀宮清子内親王(いずれも当時)へ
アフガニスタンの現況報告を行う。

2008年には参議院外交防衛委員会で、
参考人としてアフガニスタン情勢を語っている。
天皇陛下御在位20年記念式典にも列席している。

2010年、水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとし、
福岡県の山田堰をモデルに建設していた、
ガンベリー砂漠まで総延長25kmを超える用水路が完成。
約10万人の農民が暮らしていける基盤を作る。

2016年、現地人が自分で用水路を作れるように、学校を準備。
住民の要望によりモスク(イスラム教の礼拝堂)や
マドラサ(イスラム教の教育施設)を建設。
旭日双光章受章。

2018年、アフガニスタンの国家勲章を受章した。

2019年10月7日、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、
同国の名誉市民権を授与された。

(ここまで)

まず、彼の性格タイプについてお伝えすると、
性格・性質分析上、Dタイプという分析結果でした。

常に自分の感情を内に秘め、態度や言葉に表さず、
物事に動じないことを信条としているタイプです。

寡黙な人が多く、場合によっては、
ふてぶてしい人と受け取られることもありますが、
実際のこの人は、寂しがりやで甘えん坊であり、
懐に入れば極めて義理堅く、かける愛情も人一倍強いので、
対する人によって見せる姿にギャップがあります。

苦しさや厳しさに耐え抜き、自分の決断した通りに実行し、
周囲からどう思われても、自尊心やこだわりを貫く、
芯の強さをもっています。

中村医師が所属していたNGO団体の方のコメントでは、
「理屈ではなく、義理と人情の人だった」とありますし、
彼を取り上げたマンガでは、「不屈の人」と称されていて、
まさに、性格タイプと一致しているなと感じました。

次に、バイオリズムを見てみます。

彼は趣味である、登山・昆虫採集のため、
1978年【充電2(空亡)】の年、登山隊の帯同医師として
パキスタンの峰ティリチミールを訪れました。

母校での講演の中で、当時のことをこう言っていたそうです。

「貧しい人を助けようと現地に行ったのではない。
 好きな蝶々や昆虫が見たいから、パキスタンで登山隊の
 ドクターとして参加した。
 登山の途中では診療を拒否できないというルールがあったものの、
 多くの人から助けを求められ、なかなか大事な薬を渡すことが
 できなかったのが、心残りであった」

こうした思いから、6年後の【人気】の年に、
パキスタンのペシャワールへ赴任し、それ以降、
パキスタンとアフガニスタンで活動を続けてきました。

【人気】の年に赴任したことで、彼の思いや行動を目にし、
影響を受けた人は多かったと思いますし、
海外で暮らす大変さを、陰ひなたで支え、フォローしてくれる人も、
きっと多かったと推察されます。

また、Dタイプの方は、人とのコミュニケーションが
あまり上手ではない方が多いのですが、
その部分は、彼の能力適性が一役買ったんだろうと思います。

彼は、スペシャリスト適性とアナリスト適性、
そして、マーケッター適性という、非常にバランスの良い
適性を持っていました。

ただ医師として活動するだけでなく、
門外漢であったはずの農業、そして灌漑用水路建設でも、
さまざまな人との調整や交渉、現場で実際に重機を操縦し、
同じ目線に立つなどして、彼らしいコミュニケーションを
取っていたのではないでしょうか?

言葉だけでなく、態度や行動で見せた、中村医師の姿に、
現地の人も畏敬の念を持ちながら、一緒に歩んできた、
そんなイメージが浮かびます。

2018年【決定】の年に、
アフガニスタンの国家勲章を受賞したことも、
これからもアフガニスタンで活動を続けることへの
確固たる信念に繋がったはずです。

2019年【健康】の年に、彼は志半ばで倒れましたが、
彼の遺志を継いで行動する人は絶えないでしょう。

彼のエピソードを集める中で、
「彼は武士だった」と評している一般の方がいましたが、
自らの信念を貫く姿は、まさに武士だと感じましたし、
アフガニスタン東部の中心地である農村を潤す、
彼の「緑の大地計画」が完遂されるのを
見たかったなと思いました。

中村医師のご冥福をお祈りします。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。