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【長谷川圭一・公式アメブロ】成功するフリーランス:年収一千万円は簡単に実現できる

著書「成功するフリーランス:年収一千万円は簡単に実現できる」で伝えきれなかったノウハウをブログで紹介します

 

皆さん、こんにちは。

前回お話しした、子どもの定期試験が終わったのも束の間、数十ページのレポートを試験終了二日後に提出しなくてはいけないということで、又々、あれこれとアドバイスをしていました。

中学生とは言え子どもですから、いくら「時間管理」と言ったところで、なかなか伝わらないのはわかっていますし、無理強いもしていないのですが、先日は、周りの人が時間を使って協力してくれたことに対して、ぞんざいな態度を取っていたことに我慢できず、思わず怒りの声をあげてしまいました。

私は、そもそも全く怒らない性格で、むしろ「無感情」くらいに思われることが多かったのですが、結婚して子どもができてからは、様々な事情で割と感情が表に出るようになり、今では人並みくらいに(?)怒ったりはするようになりました。

もっとも、それが良いことかと言えば、私自身にとっては、あまり良いことではないようで、やはり怒るのは良くないと思い、その日以降「怒らない」と子どもに宣言しました。

感情自体を無理やり押し殺す必要もありませんし、正当な理由があれば、怒りたい時に怒り、泣きたい時に泣けば良いと思いますが、やはり感情的になると、判断力が低下し、冷静に考えることができなくなります。

例えば、サッカーなどでは、気持ちを熱くして自身を盛り上げていくことが必要である一方、相手にファウルを取られて過剰に熱くなってしまったり、逆に、自チームのミスや失点の連続で気持ちが下がってしまえば、焦りがつのって思考停止してしまい、目の前のことしか考えられなくなります。

私は、子どもの試合がある日は毎回観戦していますが、負ける日は、序盤に押されて焦らされるか、早々に失点して落胆したまま終了するパターンがほとんどです。

時々話題にするFXなどのトレードでも、大きく負けてしまうのは、含み損が増えて気持ちが焦り、正しい判断ができず、「早く取り返そう」とルールを破って大損を出してしまう場合です。

日常生活では、感情的になって損をするということは多くありませんが、仕事の場合、険悪なムードでクライアントとの関係が悪化するということもあり得ますし、あるいは、様々なストレスでイライラがつのり手元の仕事に集中できない、といったことがあるかもしれません。

偉そうなことを言っている私自身も、仕事が立て込んで作業が進まない時などは焦ってしまうことがありますが、感情的になったり、思考がぶれてしまうような時には、一旦、心を落ち着けるために、視点を変えるようにしています。

人は、感情が高ぶったり、焦りが募っている際、目の前のことにしか考えが及ばない状態に陥ります。

ですので、私の場合は、何か気持ちが焦ったり、感情が大きく変化するような時には、目の前のモノやコトから目を話すべく、マインドを「神の視点」へとズームアウトします。

神がいるかどうかという話はさておき、仮に宇宙を想像したのが神で、その宇宙をどこかから俯瞰しているのが神だとすれば、その神の視点のように、遠くの場所から自分自身のことを考えるようにします。

有名な家具デザイナーであるイームズ夫妻によって制作された「Powers of Ten」という映画では、公園で寝そべる人を、今で言えばドローンで撮影しているかのような視点から徐々にズームアウトし、最後には宇宙の果てまで離れていくという、深遠な映像が映し出されていきますが、その「Powers of Ten」のように、宇宙レベルで自分を俯瞰してみると(そのように想像してみると)、いかに自分がちっぽけなことに右往左往しているか気付かされます。

又、外に出る余裕がある時には、リフレッシュするために外出し、空を眺めながら歩いてみることをオススメします。

空を仰ぎ見ているので、「Powers of Ten」とは逆方向ですが、広い空を見ていると、自分の存在の小ささを感じて、怒っていたりイラだっていたことが、どうでもよく感じるようになるでしょう。

そのように普段から、自分自身を別の視点で、つまり、客観的な視点から観察するようにしていると、いざという時にエモーションコントロールが自然に機能し、判断すべき局面であれば、適切に対処できるようになります。

「普段イライラがち」「感情が不安定で失敗することが多い」という方は、この「神の視点」を頭にイメージし、宇宙レベルで自分を眺めてみましょう。

感情を上手にコントロールし、冷静な判断を即座に行えるよう日々鍛錬してゆけば、様々な局面でアドバンテージを得て、成功へのチャンスも見逃さないスキルが身につくことでしょう!


この「神の視点でエモーションコントロール!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

年の瀬も近づき、学生は定期試験の時期に差し掛かり、私の子どもも、例に漏れず追い込みの試験勉強をしています。

毎度、試験の時期に子どもの話をしているような気もしますが、今回も「準備をしておいたほうがいいよ」と毎日アドバイスし続けるものの、本格的にスタートし始めたのはおよそ一週間前で、またもやギリギリのタイミングで「試験モード」となっている様子です。

私は、勉強の出来不出来が全てでは無いと思いますし、基本的には、色々と経験しながら、自分がやりたいと思えることを選択すれば良いと思っていますが、本人は、特に勉強が嫌いというわけではなく、どちらかというと学ぶことは好きなほうですので、「いかに学業と遊びを両立するか」を理解してもらおうと、毎日、子どもに助言し続けています。

ところで、私の好きなママモデルさんに、ファッション雑誌やブランド広告で活躍する、クリス・ウェブ・佳子さんという方がいらっしゃいます。

二人の子どもを育てながらモデル業をこなす彼女の座右の銘は「一番忙しい人間が、一番たくさんの時間を持つ」という言葉だそうですが、この言葉は「忙しいほど物事に集中し、無駄な時間を過ごさない」、つまり、「忙しい人ほど、多くの時間を有効に使うことができる」ということを意味しています。

この言葉は、スイスの心理学者であるアレクサンドル・ピネの言葉からの引用ですが、多くの人が抱える「時間が無い」という悩みは、このピネさんの一節をマイルールとして徹底すれば、あっと言う間に解決されるはずです。

しかし、ほとんどの人は、なんとなく頭でわかっていても、それを実行することができません。

その理由は、大きく二つあり、一つは、「何もゴールを設定していない」ということです。

ゴールが無ければ、当然、どこに向かうかも不明確ですし、そもそも、達成する必要性が自身にありませんので、自分を動かす原動力になりません。

もう一つは、今やるべきことに「意味を見出せない」ということです。

例えば、小中学校は義務教育となっていますので、誰もが、社会や数学といった教科を勉強することになりますが、そもそも、日本史の知識や数学の方程式のようなものは、日常生活で応用される場面も少なく、勉強そのものになかなか意味を見出せないため、「なんのために勉強するの?」と思ってしまう生徒がほとんどです。

もっとも、そのように思わせてしまう学校や教師にも問題はありますが、多くの学生は、なんとなく机に向かっているため、せいぜい定期試験のような小さなゴールが目の間にやってきたときにしか、頑張ることができません。

やがて大人になり、「あの時、数学を勉強しておけばよかった」と後悔したり、「これは化学で勉強した物質の変化だ」などと知識の断片を思い出す、といった経験が皆さんにもあるかもしれません。

そう思えるようになるのは、様々な経験を積み、「何故それが必要なのか?」ということに気づいたからですが、もしも、「あの時、〇〇を勉強していたら」と後悔することが事前に分かっていて、学生時代から真剣に勉強をしていれば、将来、その勉強を活かした分野で活躍することができます。

「そんなの初めから分かるわけない」と一蹴されてしまいそうですが、逆に考えれば、「そんなの初めから分かるわけない」から「事前に準備をしておく」とも考えられます。

つまり、知識というものは、どこで役にたつかわからないことの方が多いですが、その知識のストックがあればあるほど、やがてやってくる「未来の何か」に役立つチャンスが増えるのです。

投資の世界には「複利」という考え方があります。

「複利」とは、何かに投資した元金(元となる資金)から生じた利子を、さらに次の投資の元金にプラスすることで、さらに利子が増加し、それを繰り返すことで、雪だるま式に増えていく利子のことを言います。

知識や経験も同様に、吸収した知識や経験が増えることで、カテゴリーの違う知識同士、経験同士が横軸にも縦軸にもつながり、増えれば増えるほど、より多くのことが理解できるようになり、自分がカバーできる範囲が広がっていきます。

例えば、プログラミングなどは良い例ですが、プログラミングの場合、まず、国語と英語の知識が必要になります。

「数学じゃないの?」と思われるかもしれませんが、ロケット開発のような高等な計算が必要なプログラミングでもない限り、基本的には、論理的な考え方と知識だけで学ぶことができます。

英語が必要なのは、プログラムが基本的に英語で構成されていて、資料が英語であることが多いからです。

国語や英語の知識を使ってプログラミングを習得し、次に、物理計算や高度な演算が必要な開発したい、と思うことがあれば、物理や数学を学ぶことで、さらに明るい未来が待っているでしょう。

又、昨今は、音楽制作環境が完全にPCベースとなったこともあり、プログラマー出身のミュージシャンやDJも増えています。

ですので、「子どもの頃にピアノをならっていた」という人が、将来、プログラミングの仕事をしていたならば、ミュージシャンやDJといった道も選択できるわけです。

そのように、「知識の複利」を増やすことで、自分の選択肢は飛躍的に増え続け、多くのチャンスを獲得する機会が次々にやってきます。

学生の頃「なんの役にたつんだ」と疑問を感じていた勉強も、「初めから分かるわけない」未来の選択肢を増やすため、と考えれば、より意味のあるものに感じられるはずです。

昔から「学ぶのに遅すぎるということはない」と言うように、大人になった皆さんも、まだまだ、この「知識の複利」によって、自分の可能性を広げることができます。

「これは自分には関係ないかな?」と思うことも、貪欲に興味を持ち、沢山の知識を吸収していくことができれば、やがて大きな雪だるまのように膨らんだ「知識の複利」が、成功へのチャンスへと導いてくれるでしょう!


この「「知識の複利」でつかむ成功へのチャンス!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

先日、子どもの学校で配られた「保健だより」的なプリントを見ていたら、紙面の半分を使って、「マインドフルネス」についての記事が書かれていました。

「マインドフルネス」は、1970年代から臨床心理学などを中心に研究されてきた考え方ですが、ここ数年、ヨガや瞑想などと併せて、欧米を中心に流行し、書店の棚にもマインドフルネス関連の書籍が多く並べられています。

その意味では、「流行り言葉」として使い古された印象があったため、(本質はさておき)あまり良い印象を持っていなかったのですが、改めて「マインドフルネス」について確認してみると、日常生活だけでなく、それ以外の場面でも、とても役立つ考え方であるとわかります。

「マインドフルネス」とは、「たった今起きている事柄に注意を向ける」という、文字にすると簡単に聞こえる、実は難しい行動ですが、そもそも「マインドフルネス」とは、仏教における悟りに近づくための方法の一つです。

つまり、今の瞬間に集中して目を向けることで、過去の失敗に囚われたり未来を不安に思う気持ちから解放され、自信を集中させモチベーションを高める、といった行動様式で、仏教的に言えば「煩悩から解放され悟りを開く」ための行動と言えます。

「マインドフルネス」のような考え方が、中学の保健だよりに紹介されるのは好ましいことですが、そのような紙面にまで「マインドフルネス」という言葉を目にするようになったのは、それほど、この言葉が大衆化〜流行化したためだとと考えると、少し陳腐に感じられ、微妙な気持ちになってしまいます、笑

ところで、このところ周りの人から、「来月仕事で〇〇があって憂鬱だ」とか「去年〇〇で失敗しているから不安でしょうがない」といったことを、よく耳にします。

そもそも、ネガティブオーラを出して愚痴ばかり言う人とは距離を置くようにしていますが、割と親しい間柄だと、あまりスルーしすぎるのもよくありませんので、多少は耳を傾けるようにしている中、「こういう人たちこそマインドフルネスじゃないかなあ」などと、ぼんやり思った次第です。

「マインドフルネス」の目的の一つとして、「心の中の反芻(はんすう)から起こる悩み苦しみを避ける」という役割がありますが、多くの人の悩みは、前述のセリフのように、過去の出来事に囚われている状態や、これから起こる出来事への心配から生み出されます。

過去の経験から学習し、次のステップのために活用することは将来の糧になりますが、「過去の失敗が、次の失敗の原因になる」ということはありませんので、そもそも、過去に囚われる言うこと自体が無駄なことです。

中国の故事である「人間万事塞翁が馬」のように、多くの人は、何か失敗した後に次の行いが上手くいくと、「あの失敗があったから、この成功がある」と過去の失敗を美化し、失敗の後に失敗が続くと「あの失敗のせいで、今回も上手くいかなかった」と過去の失敗をネガティブに捉えます。

過去の経験に因果関係を見出そうとするのは、あくまでも人間の心であり、「バットにボールが当たったから逆方向に飛んだ」といった物理的な作用でも無い限り、そこに因果関係はありません。

もっとも、「大切な人を亡くした」「事故で人を傷つけてしまった」などの理由で、トラウマやPTSDを抱えているということなら事情は変わってきますが、「面接で緊張して話せなかった」とか「営業の得意先でミスを犯してしまった」といったことであれば、次に起こる出来事との因果関係は無く、結果的に起きた失敗は、自分自身が引き起こした結果に過ぎません。

又、これから起きることに対しての心配は、偉そうに話している私自身ですら時々あることですが、全く予測のつかないことならばまだしも、ほぼ確実に到来する未来(例えば学校の定期試験や、仕事のプレゼンなど)であれば、心配からポジティブなことが生まれることは無いでしょう。

もちろん、リスク管理という面で、失敗した時のことを予測し、リスクを回避・軽減するというならば、有益な結果を生み出すことはできます。

しかし、いずれにせよやってくる未来ならば、その間、心配して過ごすよりも、楽しく過ごした方が有意義であることは間違いなく、不安に思って過ごせば、パフォーマンスが低下し、健康面でもマイナスになるなど、何一ついいことがありません。

そこで、この散々流行した「マインドフルネス」の登場です。

「たった今起きている事柄に注意を向ける」というと、なんだか漠然としていますが、噛み砕いて言えば、眼の前で起きている事をなんの迷いもなくストレートに認識し、淡々と対応していく、といった感じです。

敬虔な仏教徒のような「悟りを開く」といったレベルでなくとも、不安や心配に左右されず、ただ目の前に起きたことをこなしていくことができれば、ありがちな「先延ばし」や「モチベーション低下」と言ったことも事前に回避でき、どんなことも達成できるようになります。

とは言え、始めてみると、マインドフルネスの実践はそう容易くはありませんので、その補助ツールとして近年流行っているのが、瞑想やヨガです。

その「瞑想」ですが、以前の記事でお話ししたように「目をつぶって集中して光が見えてきて…」のような、よくあるイメージだけが先行して「よくわからないもの」と考えられていることがほとんどです。

実際、瞑想は「よくわからないもの」ですが、気負わず実践してみると、「なんとなく自分に集中している」状態を感じることがあります。

私の場合は、「料理瞑想」「模様替え瞑想」など、少し変わった方法で瞑想を楽しんでいますが、私のオススメは、お風呂と水の音です。

お風呂はパーソナルな場ですし、なにより落ち着きます。

湯船に浸かって、水を細く流しながら、水滴の音を聞いて目を閉じると、不思議と集中することができます。

その時の「自分自身に集中している感じ」がわかったならば、それを、日常生活に応用してみると、やがて、「マインドフルネスな状態」を自ら作り出せるようになるでしょう。

マインドフルネス関連の書籍も、もはや出尽くした感はありますが、今だからこそ(?)この「マインドフルネス」で最強のメンタルを構築し、ぶれない自分でゴールを達成していきましょう!


この「マインドフルネス(死後?)で磨く最強マインド!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

「錬金術」という言葉がありますが、特に日本だと、悪徳商法の代名詞のように使われることもあり、あまり錬金術そのものに関心が無かった頃の私は、あまりいいイメージを持っていませんでした。

元々「錬金術」とは、主に、鉄や銅などの卑金属から金や白金といった貴金属を作り出すことを指しますが、その歴史は長く、また、国や文化によって幅広く行われてきた、言わば一種の研究のようなものです。

錬金術の始まりは3世紀ごろにまで遡り、その後、アラブ、インド、中国、そして、ヨーロッパなどで同様のことが試みられ、やがて、現代化学の基礎にまで発展することになります。

その過程で生まれた錬金術の思想は、完全なる人間、不老不死、さらには宇宙にまで及び、宗教的な思想を経て、ある意味、人間の夢のように扱われてきたとも言えます。

私が、この「錬金術」に共感を覚えたポイントは、「瑣末(さまつ)なもの」から「物凄いもの」を作り出そうという点です。

冒頭で触れた、日本での悪徳商法的な意味の「錬金術」は、言葉の使われ方こそ良くないものの、根本的な考え方は、無に近いようなものから、より大きなものを生み出そうというところであり、私は、この「錬金術的思想」を、悪徳商法的な向きでなくとも、あらゆることに適用できるのではないかと考えています。

卑金属から貴金属を生み出そうとする錬金術は、科学的/科学的に不可能であることは証明されていますが、この錬金術的思想/思考は、人間のアイデアを具現化するための基本的なプロセスであると言うことができます。

私は、ブログを更新したり、会報に寄稿したりと、定期的に文章を書いていますが、時間的な制約はさておき、「ネタは無尽蔵に湧いてきて、いくらでも書ける」と思いながら毎回執筆していています、笑(「お前のは大した文章じゃない」という批判はあるかもしれませんが)

それは、何故かと言えば、この「錬金術的思考」がベースにあるからです。

そもそも、文章はフィクションにせよノンフィクションにせよ、書く人の主観的創作ですから、いくらでも自由に書けるわけですが、実際書いてみるとわかるように、文の構成を考えながら、つらつらと自分の考えを言葉にしていくのは、慣れていないと難しいものです。

連載している場合ならば、そのネタを生み出し続けるのは、なかなか厳しいでしょう。

しかし、「錬金術」の元々の考え方が「卑金属から貴金属を作ること」だったように、私たちの目の前に広がる世界には、その「卑金属」となるアイデアが無数に存在しています。

それは、道路の標識、道を行き交う人、あるいは、空に浮かぶ雲や、道端の花など、普段大して気に留めなかったことも、捉え方によっては、貴金属へと変えることが可能になります。

「錬金術」についての英語の文献を見てみると、「transmutation」という言葉が書かれています。

「transmutation」とは「trans=別の状態に」「mutaiton=変容する」という意味の単語ですが、道路標識や空に浮かぶ雲も、「transmutation」することが可能なのです。

「錬金術」には「エリクサー」と呼ばれる霊薬があり、これを用いることで、貴金属を生み出したり、病気を直すことが可能であると考えられていました。

もちろん、そのようなものは存在しませんが、前述の話において、この「エリクサー」に値するものが、「知識」と「経験」です。

例えば、道路標識にしても、ちょっとした標識の知識があれば、「転回禁止という標識がありますが…」とか、「時間や距離を制限する補助標識が…」などという切り口で文章もかけるでしょうし、そうしたトリヴィア的なことに基づく自身の経験(例えば交通違反の話など)があれば、あっという間に、文章のひとネタは出来上がってしまいます。

もっとも、これは極身近で簡単な例ですが、例えば、ビジネスにおいても、何かを変えたり、何かを生み出そうとする行為には、その元となる「卑金属」と「エリクサー」があれば、その解決の糸口が容易に生まれてくると言うわけです。

その「卑金属」と「エリクサー」は、前述のように「知識」と「経験」です。

前回や、それ以前の記事で「思考の抽象度」という考え方をお話しましたが、「情報を取りまとめる概念の度合い」である「抽象度」が高くなると、物事をより俯瞰することができるように、「知識」と「経験」を深めることで、「エリクサー」はより機能し、世の些細な物事「卑金属」も「貴金属」に変換することができます。

「エリクサー」である「知識」と「経験」は、一朝一夕には身に付けることができませんが、この「錬金術的思考」を元に、身の回りの物事を「卑金属」と意識することで、自らの「エリクサー」が機能し、「貴金属」を生み出す「錬金術」を身に付けることができるでしょう!


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皆さん、こんにちは。

私は、昔からガジェット(PCやスマートフォンのような機械)が好きで、IT系という仕事柄からも、常に最新のものに買い換えてきましたが、スマートフォン(iPhone)については、しばらくをアップデートしていません。

理由は、単純で「買い換えたい」というモチベーションが全く湧かないからです。

ここ最近のスマートフォンは進化がめざましく、CPUも高速化され、メモリも潤沢に積まれて、おまけに、カメラ性能もひと昔の一眼カメラよりも高性能になっています。

もちろん、買い換えれば、さらに綺麗な写真が撮れて、アプリの切り替えなども高速になるのですが、私が現在使っているiPhone7でも、操作速度になんらストレスも無く、カメラ性能にもなんら不満がないため、買い換えていません。

そして、見た目(デザイン)も大して進化していませんので、買い換える理由が見当たらないのです。

とは言え、私も気まぐれですので、その内、iPhone XSあたりに買い換えるかもしれません。

ところで、そのスマートフォンですが、アプリを開いたり切り替えたり、ボリュームを上げたり、電源を消したり、といった操作は、「OS=Operating System」と呼ばれるプログラムによって制御されています。

コンピューターなどに詳しく無い方でも、iOSやAndroidといった単語を耳にすることがあるかと思いますが、それらは、総じて「OS」と呼ばれる、スマートフォン全体を制御するための基本プログラムです。

スマートフォンを操作する際、その裏側で実行されていることは全く表にでてこないため、OSの実体は使っている人に見えないのですが、例えば、電源を落とすにしても「shutdown -h now」のようなコマンドが裏で呼び出され、その命令によって、知らない人が見たら意味不明な、文字だらけのプログラムが次々と実行されているのです。

パソコンの場合は、スマートフォンに比べてもっと複雑なことができるため、裏で実行されているプログラムは、更に多岐にわたるのですが、いずれにせよ、ユーザーにそういった複雑なことを意識させず便利に利用できるよう洗練されたOSが、iOSやAndroid、パソコンであればmacOSやWindowsといったOSなわけです。

そのような「裏で実行されている」ことを全く意識せず使えるのが良いOSですから、OSについての知識は本来不要なのですが、その「裏で実行されている」ことを知ることができると、視点が一気に広がり、そのもの自体を深く知ることができます。

例えば、私は、昔からプログラミングや、OSなどのシステムについて勉強してきましたので、パソコンやスマートフォンが調子悪くなったり、不具合が起こると、大抵その原因がすぐにわかり、解決方法を見つけることができます。

「そんなの詳しいんだから当たり前じゃん」と言われてしまいそうですが、私がお伝えしたいのは、何かを知ろうとする時、その上のレイヤー(層)にある事柄を知ることで、それらを知らない場合に比べて、理解度はもちろんのこと、習熟度が圧倒的に変わるということです。

それは、自己啓発的に言えば「抽象度を高める」と言うことができます。

「抽象度」については、以前の記事でもお話していますが、簡単に説明すると「情報を取りまとめる概念の度合い」です。

具体的な情報を知り、更に、それらを包摂(ほうせつ)する上位の概念を知ると、より物事を俯瞰(ふかん)的に捉えられるように、情報を取りまとめる概念が高次になるほど「抽象度が高い」ということになります。

言葉に表すと少し難しく聞こえてしまいますが、前述の「OS」の話のように、アプリが下位の概念だとすれば、その上位の概念である「OS」を理解することで、スマートフォンのソフトウェア的な仕組み全体が俯瞰できるようになるのです。

これは、OSの話に限らず、全ての事柄に適用することができます。

知識はもちろんのこと、経験についても、「抽象度」が高くなればなるほど、思考の広さと深さが高められます。

学生の頃、「数学なんて何の役に立つんだ」と言って、数学を勉強することに意義を見出せなかった人は沢山いるかと思いますが、例えば「建築家になりたい!」と思った時に、せいぜい算数程度の計算ができれば建築デザインはできるかもしれませんが、奇抜な建築デザイン、あるいは、より精度の高い建築を設計するためには、構造建築を勉強する必要があり、そのためには、数学や物理の知識が必要になります。

一見「役に立たない」と思われることや、自分に不要と思われる事柄も、その上位のレイヤーにある知識を知ることで、その重要性に気づくことができ、それらの知識は横軸にも縦軸にも繋がり、下位の概念を網羅することができるようになります。

知らない単語だらけの難しい本を読んでも、内容が全く頭に入ってこないように、何かにチャレンジした時、それが初めてのことであれば、わけもわからずつまづいてしまいます。

しかし、この「抽象度」という考え方で、より「抽象度の高い」視点から物事を学習し、目の前の事象を眺めることができれば、問題解決までの時間は短縮し、成功への道筋は自ずと開かれていくことでしょう!

この「思考の抽象度を高めよう!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

私は、普段から読書をしていますが、ある小さな会の会報に書評を寄稿していることもあって、毎月、必ず本を読んでいます。

書評とは別にコラムも書いているのですが、今回は「人間」というテーマでしたので、良いタイミングだと、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」を読むことにしました。

ユヴァル・ノア・ハラリと言えば、2016年に出版された「サピエンス全史」で一躍有名になりましたが、近著である「ホモ・デウス」は、その続編的内容です。

前作「サピエンス全史」は、そのタイトル通り、我々人類、つまり、ホモ・サピエンスが生まれ、現代に到るまでの道程について書かれています。

しかし、単なる歴史書ではなく、文化、社会、経済、政治、地理、宗教など、あらゆる側面から人類の成り立ちが考察されており、その仔細な分析と見解で、世界中の読者に衝撃を与えました。

そして「ホモ・デウス」と冠された本作は、地球上で頂点に立ち、世界を征服する力を得たホモ・サピエンスが、高度に発達したテクノロジーを獲得して「ホモ・デウス(デウス=神)」になるという話を、現在、そして、近く起こりうる未来に到るまで、あらゆる側面から描いた作品です。

その「ホモ・デウス」の下巻では、「アルゴリズム」という言葉をキーワードに、「データ至上主義」となる現代人類社会において、「我々はコンピューター上のデータの一部に過ぎない」ということが書かれているのですが、その終盤の一節では、そのデータの一部でしかない人間の「価値」について触れられています。

「データ至上主義」とは、才能ある個人を神聖視する「人間至上主義」に対し、集積されたデータ処理システムが全知全能で、その一部となることが意味を成す思想・社会を指します。

そして「データ至上主義」では、個々の「経験」は、動物の経験となんら価値は変わらず、それをデータに変換しシェアすることで初めて価値となり「生き延びる」ことができると、著者は語っています。

この下りだけを取り出すと、やや陳腐な見解に聞こえてしまいますが、現代人類とその社会についてシニカルに描き、人類の未来について警鐘を鳴らす作品となっていますので、ぜひ手にとって読んでみることをオススメします。

話を戻しますが、つまり、ハラリさんの言う「データ至上主義」は、私たちが生きる現代社会をストレートに表現していますので、それが人類にとって良いかどうかという議論はさておき、自身の「価値」を高めるには、「経験」をデータに変換し、それをシェアする必要があります。

どんなに情報がデータ化されたとしても、リアルな経験・体験に勝ることはありませんが、それが価値を生み出すのは、何かしらの形、前述の話で言えば「データ」に変換されて、ようやくその経験に「価値」を付加することができます。

世の中には、世に知られていない才能を持った人が沢山いますが、多くは誰にも評価されず、認められることなく死んでいきます。

死後、運良く自分の作品や功績が認められるという可能性もありますが、それに何百億円という価値が付いたとしても、死んでしまえば本人にとって何の意味もありません。

色々な人とお会いしていると、面白いことをやっているのに、ただの自己満足で完結して、どこにも発表していなければ、誰かの目にさらされることもしていない、という人が時々います。

私が「本にしてみたら?」とか「ネットに出してみるといいよ」などと提案すると、「色々めんどくさそうだしねえ」「新しいことするの苦手で」などと言ったリアクションで、暖簾(のれん)に腕押しなこともしばしばです。

もちろん、ストレス発散になっていたり、充足感を得ているならば、それは自身のためになっているので無駄ということはありませんが、少なからず「何かを成し遂げたい」「それを皆に認められたい」と思っているならば、それを変換し意味を持たせることが必要です。

そのシェアの場は、必ずしもインターネットである必要あはりませんが、大多数が注目するツールやインフラは、大いに使うべきでしょう。

今がハラリさんの言う「データ至上主義」の過渡期なのであれば、「まだ誰も変換していない価値」を見つけるチャンスは、まだまだ転がっています。

又、その「価値」は、いつ、どのタイミングで高く評価されるかわかりません。

ある時にやってくる「価値の高騰」の波に乗ることができるのは、自身のスキルや経験を「価値」に変換し、押し寄せる波を待っている人だけです。

アイデアや経験のストックがあるにも関わらず、それを死蔵し続けているならば、今すぐ、それを変換・シェアし、この「データ至上主義」の波に乗り、生き延びる術を獲得しましょう!

この「自分の価値を高めよう!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

今時は、子どもの習い事が充実していて、学習塾はもちろんこと、サッカーや水泳、バレエにチアリーディング、はては、プログラミングまで、安価に色々な選択肢があります。

私の子どもも、英会話、サッカー、通信教育などで一週間のほとんどが埋まってしまうくらい忙しくしていますが、私が中学生の頃と言えば、部活動以外の時間は、近くの川に釣りに出かけたり、古書店巡りやサバイバルゲーム、(最近で言うPS4とかの)ビデオゲームにハマったりと、時間があればひたすら遊んでいたように思います(もっとも、学校の成績は良かったのですが)

その中でも、なかなか共感されないであろう遊びが「知らない街に自転車で行くこと」です。

知らない街と言っても、行ける範囲は限られていますので、地名くらいは知っている場所ですが、ある程度目標となる地点を決め自転車をこぎ、ひたすら知らない道を進んでいきます。

当時は、スマートフォンはおろか、携帯電話すらありませんでしたので、頼るのは標識と土地勘と太陽の位置だけです。

地図も持っていませんので、当然、道に迷うことがあります。

しかしながら、それも楽しみの一つでしたので、道に迷いながら知らない道を知り、知っている場所へ戻ると言うことを、毎回楽しんでいました。

そのような“おかしな”遊びに興じていたこともあり、その後、どこかに出かけると、同じルートへ戻るのが嫌な体質になってしまい、時間に余裕があれば、必ず違うルートで帰るようにしています、笑

そのような奇癖(きへき)は、私自身の音楽の聴き方にも影響しています。

20年近くDJをしていた、というのは以前の記事でもお話しましたが、私がDJに魅せられた理由の一つに、世に知られていない隠れた良曲をプレイする、ということがあります。

現在は、デジタル世代ゆえ、誰もが同じ曲を手に入れることができますが、アナログレコードの時代、クラブミュージックはレコードを購入する必要があり、中にはプレス枚数の少ないものも多かったため、「知らない曲を探してプレイする」ということがDJの優位性でもありました。

私は、そんなマニアックな側面に魅かれてDJを始めたため、選曲もマニア路線になってしまったのですが、「人と同じ曲をプレイしない」というポリシーだけでなく、「その日、一度聴いた曲は二度聴かない」というポリシーも持っていましたので、DJプレイだけでなく街に流れているBGMを聴いていても、「これさっきもかかったよ」と心の中でつっこみを入れるようになってしまう特異な体質へと変わってしまいました、笑

いずれも、私の「同じことを繰り返したくない」症候群な話なのですが、それは後に「人と違うことをやっている」という自分自身の付加価値へとつながりました。

拙著やブログなどでもお話していますが、私がフリーランス時代を長く生き延びてきたのは、「たまたま人と違うことをしていた」ことや「色々なことをに手をつけていた」ことが大きな理由です。

又、やり方にしても、基本的なことはさておき、「知らない街に自転車で行く」遊びの時のように、人と同じやり方を辿るのが嫌な性格でもありましたので、結果的に、新しいやり方や速いやり方を見つけることもでき、それが自身の武器であり価値へと変換されていきました。

もちろん、地道に同じことを繰り返し、先人の築いてきた定石を辿ることで、大きな実力を得る場合もあります。

しかし、皆さんが、競合の多い業種・業界で活躍するフリーランスや独立起業家の方であれば、同じやり方を辿るだけでは、やがて流れが変わった時に切り捨てられ、時代の波に取り残されることになるでしょう。

私の子どもの頃のように、知らない街に迷子になりにいく、という奇癖は必要ありませんが、「いつもと違った道」「誰も試していないやり方」へ寄り道をしてみることが、新たな気づきへの第一歩となります。

自己啓発界隈には「スコトーマ」という言葉がありますが、これは、脳の視覚野にある盲点を意味する言葉が転じて、私たち人間の「心理的盲点」を表す言葉として使われています。

この「スコトーマ=心理的盲点」は、私たちが当たり前のように見えている風景にも適用できることで、自分が「知っている」と思っている情報にも、「心理的盲点」に隠れた情報が沢山存在しています。

普段の情景から気づきを得るトレーニングとして、知らない道に迷い込むことや、同じことを繰り返さないことを意識していると、自然と神経が鋭敏になり、今までに気づかなかったこと〜多くの人が気づいていない情報にセンサーが働くようになります。

「今やっていることがマンネリ化してきた」「新たなアイデアがなかなか思い浮かばない」と、現状に行き詰まっていることがあれば、何気ない寄り道から「成功へのヒント」を得るべく、時にはいつもと違った道へと足を踏み入れてみましょう!

以前にも紹介した、アレクサンダー・グラハム・ベルの言葉を再び紹介しておきます。

「Leave the beaten track occasionally and dive into the woods. Every time you do, you will be certain to find something you have never seen before.」(時々、踏み固められた道から離れて、森に飛び込んでみよう。そうすれば、今まで見たことのない何かを発見することができるだろう)

この「寄り道をして気づく成功へのヒント!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

皆さんは、買い物にでかけた際、店に並んでいる商品を見て「これなら自分で作れる」などとつぶやいているのを耳にしたことはありませんか?

あるいは、皆さん自身が思わずそのようにつぶやいた経験があるかもしれません。

そうつぶやいた本人は、確かに手先が器用で、その商品を自作するくらいのスキルがあるかもしれません。

しかし、大抵そう思った人のほとんどは、それを自分で作ろうとはしません。

人が何を言おうと自由ですから、そのつぶやきを実行したかどうかは大した問題ではありませんが、ある商品を目の前に色々と御託(ごたく)を並べたとしても、結果的にそれを商品として制作し、店先に並ぶまでの努力した人には到底かなうことは無いでしょう。

ところで、「ふわっち」という動画配信サービスがありますが、その配信者の一人に「フルフリ」という人がいます。

FXなどをやっている人は見聞きしたことがあるかもしれませんが、彼は、FXやBO(バイナリーオプション)で爆損し、それを動画配信で晒して有名になった配信者です。

最近も、微損で助かる場面で損切りせず、数百万円を強制ロスカット(強制的に清算)されるという、はたから見ればただのバカな行動を取っていたのですが、私は、そんな彼に一つだけ「すごいなあ」と思う点があります。

FXやBOでは爆損しまくりで、視聴者からは「バカな養分トレーダー」と思われてきたわけですが、懲りずに続けてきた結果、資産は一千万円を超え、現在は、仕事も退職して自称専業トレーダーとして活動しています。

とは言え、専業一日目から爆損しているあたり、専業トレーダーと名乗るのには疑問符が付くのですが、彼はトレーダーと言うよりも、ある種のエンターテイナーであり、配信者として小さな成功を収めているのです。

フルフリ氏は、フォロワー数がそれなりに多いこともあり、視聴者からもらえるアイテムを換金することで、サラリーマンの月給くらいの収入を得ているそうです。

つまり、彼のことを「養分トレーダー」とバカにしながら見ていた視聴者は、いつしか、爆損トレード配信をしているフルフリのファンとなり、彼の養分となっていたわけです。

私は彼のファンではありませんし、彼の配信スタイルは全く好きではありませんが、バカにされてもめげず、むしろそれを燃料として継続してきた結果、トレーダーとしてだけでなく、動画配信者として立派にお金を得ることのできる「プロ」になったその努力を、素直に「すごいなあ」と思った次第です。

その彼から学べることは、「何もやらないよりまし」ということです。

多くの人は、他人の小さな努力や成果を評価せず、その裏で積み重ねられている「価値」に気づくことはありませんが、どんなことも「行動が全て」であり、何もやらず文句を言ったり御託をならべるよりも、黙って地道に行動した人は先へと進み、やがて一定の成果を生み出すことができるのです。

理想はよく語っているけれど、何も実現できないと嘆いている人達は、「何もせず」ラッキーが舞い込んでこないかと期待し、ただ同じ場所に留まり続けている人がほとんどです。

もちろん、行動を起こし、どんなに努力を続けたとしても、運悪く失敗続きということもあるでしょう。

しかし、結果が伴わなかったとしても、何もしていない人より前進しているのは確かです。

又、チャンスはいつやってくるかわかりません。

目の前にチャンスが到来した時、それを掴む資格が与えられているのは、それまでに準備し努力してきた人のみなのです。

誰もが「自分でも作れる」と思う商品も、それを形にし、流通させた人だけが成功のチャンスを掴むことができます。

「あいつはバカな配信者だ」と笑い者にされても、それをめげずに配信し続けた人だけが成功のチャンスを掴むことができます。

皆さんの中で、何かをやっているけれど成果が出ないという方、あるいは、何かをやろうとしているけれど踏ん切りが付かないという方がいれば、悩み止まり難しく考えたりせず、どんなことも「やらないよりまし」という単純な発想に切り替え実行に移し、地道にやり続けましょう。

それはやがて「自身の価値」へと転換し、積み重ねられた強固な礎(いしずえ)の上に、大きな成功が築かれるはずです!

 

この「「やらないよりまし」で積み重ねる成功への礎!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

先日、PCに音を取り込み終えたアナログレコードを売却した話をしましたが、勢いづいて取り込み作業の億劫さが減ってきたので、引き続き、全てのレコードを処分すべく作業を続けています。

売るといっても、買値がつかないようなレコードもありますので、できるだけ一つのジャンルを終わらせて、まとめて出すようにしていたのですが、少しでも部屋のスペースをクリアにしていきたく、現在は一箱(50〜60舞程度)ずつ買い取りに出しています。

その際、ふと気になったのが、部屋のものが少なくなったにもかかわらず、やけに落ち着かない雰囲気になったということでした。

私は潔癖症ではありませんが、周りのモノのバランスがおかしいとやたら気になり、本の高さが揃うよう並べ直したり、部屋のモノの配置を変えたくなったりという「模様替え体質」があります(以前に「模様替え瞑想」なるものについても、お話ししました)

多くの人は机の上が片付いている方がスッキリしますが、逆に、「ある程度散らかっている方が集中できる」という人もいます。

それは何故だろうと思っていたのですが、今回レコードを一箱だけ減らした際に感じた違和感と共通しているのではないか、と思いました。

そこで思いついたのが「フィボナッチ数列」です。

私自身、数学は全く得意ではありませんが、この「フィボナッチ数列」とは、「1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34」のように、次の数字と足した数字が、さらにその次の数字になる数列のことを言います。

株やFXをやっている方は、「フィボナッチリトレースメント」というツールで「フィボナッチ」という言葉を耳にしたことがあるかもしれません。

又、フィボナッチ数列を用いた正方形の面積の合計がフィボナッチ数の積(掛け算した数)となる性質を用いて、長方形を作図していくと、そこに含まれる正方形が黄金比になる…、などと説明をすると難しい話になるため、詳しい内容は省略しますが、この「フィボナッチ数列」には、「黄金比」と呼ばれる、美しいバランスを生み出す数字が隠されています。

株やFXのチャートに、先の「フィボナッチリトレースメント」というツールで線を引くと、市場参加者が最も意識するラインを見つけることができます。

このツールにマッチしたラインは、皆が「この辺りがちょうど良い」と思う価格帯なのですが、それは「フィボナッチ数列」による「黄金比」によって導かれると考えられています。

チャートに限らず、前述のフィボナッチ数列による面積の話から作られた正方形の集まりを、自然界にあるもの、例えばカタツムリや巻貝の殻などと重ねると、不思議なことに、その形が一致していることを発見することができます。

私は、ちらかった机にも、周りの人が気づかないだけで、その状態を「心地よい」と感じている人自身だけに見える「黄金比」が隠されているのでは無いかと思っています、笑

実際に計測したわけではありませんが、きっと、私のレコードの箱が減った話も、部屋の中の「黄金比」が崩れたことによって発生した「違和感」だったに違いありません。

ところで、どんな人にも、何かしらの「心地よい」と感じる状態がありますが、それを自己啓発界隈では「コンフォートゾーン」と呼ぶことがあります。

過去の記事でも散々話題にしている「コンフォートゾーン」ですが、このコンフォートゾーンは、私たち人間の持つ「ホメオスタシス=恒常性維持機能」と深いつながりがあると言われています。

「汚い机」の話で言えば、机を綺麗にした瞬間、脳が「コンフォートゾーンを外れた」と認識して違和感を感じ、「ホメオスタシス」によって、急いで元の状態に戻そうと(机を汚そうと)するのです。

しかし、机が汚いくらいであれば問題はありませんが、いわゆる「ゴミ屋敷」のような状態までいくのは、人間的な生活として良い状態とはいえません。

「ゴミ屋敷」の主が、なぜ平気で住めるのかと言えば、ゴミだらけの状態が、その人のコンフォートゾーンになってしまっているからです。

「ゴミだらけなのに、コンフォート(心地よい)わけない」と思われるかもしれませんが、人間の脳は「ホメオスタシス」のように、自分の状態や安全を守ろうとする有能な機能がある一方、「適応」能力も備えているため、「ゴミ屋敷」が自分にとっての「当たり前」になった瞬間、脳は適応し、それが「コンフォートゾーン」へと変わってしまうのです。

つまり、私たちの備える「ホメオスタシス」が「コンフォートゾーン」に止(とど)めようとするわけですから、「ゴミ屋敷」から脱するためには、その人にとっての「コンフォートゾーン」を「綺麗な家」に書き換えてあげる必要があります。

しかし、人が堕落した状態になるのは簡単ですが、より良い状態になるには一定のパワーが必要です。

私自身を含む多くの人は、何か大きな目標を実現しようとすると、その目標が大きければ大きいほど、くじけてしまい、元の自分の状態(ゴールを達成している自分でなく、現状のままの自分)に戻ろうとします。

皆さんも、その大小はさておき、これまでに、なにかしらの目標を達成したことがあるはずです。

その「何か」を達成した際、これまでに見えなかったことが一気に実感できるようになり、心の中で「しっくり」きた気持ちになったことはないでしょうか。

それは言い換えれば「充足感」のようなものかもしれあませんが、その気持ちを実感したとき、自身の「コンフォートゾーン」は、それまで目指していたゴールの状態に置き換えられているのです。

その道中には、挫折や失敗などの困難もあるでしょう。

それでも、ゴールに到達した際に見える「しっくり」という表現、先の話で言えば、自分にとっての「黄金比」を見つける喜びを実感することができれば、更なるゴールへのモチベーションも高まるはずです。

「その「しっくり」きた感じがわからない」という方は、日常の些細なことから探してみると良いでしょう。

私のオススメは「模様替え」ですが、模様替えでなくとも、日々の生活の中で「これは自分に合っている」とぼんやり感じていることについて立ち止まって考察してみると、自分に合ったなにかしらの「黄金比」を見つけることができるはずです。

その小さな積み重ねは、いつしか「黄金比」のメジャーアップデートにつながり、自信を高みに引き寄せる強力なコンフォートゾーンへと変わることでしょう!

 

この「黄金比で作り出すコンフォートゾーン!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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皆さん、こんにちは。

私は、自身の著書やブログ、メルマガなどを、自分の知人友人には積極的に宣伝していません。

理由はいくつかありますが、起業やワークスタイル、自己啓発的なことに関することについては、今まで関わりのなかった人をターゲットに発信したいと思っているからです。

そのような向きで毎週ブログやメルマガを更新しているわけですが、先日、ある友人にブログを見つけられてしまい(笑)、「実は本を出したり…」などと話したところ、意外にも肯定的なリアクションでお褒めの言葉をいただいき、非常に嬉しい気持ちになりました。

ブログ読者の「いいね」や、その他のリアクションも、もちろん嬉しいのですが、知っている人からいい反応をもらえると、やはり嬉しいものです。

ところで、私は一番多感な中学生の時期、自分の感情を抑え込む傾向がありました。

先生や生徒も含め、私の通っていた中学を好きになれなかったということもありますが、皆が右へ倣えで行動していることに違和感を感じるようになり、皆が笑っていることに対しては断固として笑わなかったり、先生や他の生徒が自分に対して期待している感情を一切表に出さなかったりと、側(はた)から見れば、非常にひねくれた中学生でした、笑

そのようにして培われた性格も、その後、良い面もあれば、悪い面もあったわけですが、殊(こと)「褒める」という点に関しては、自分が褒められることを絶対に期待せず、逆に、他人に対してもなかなか褒めることをしない性格になってしまいました。

幸いにも、良い知人や友人に恵まれたため、たまに何かに対して「褒める」と、それが「お世辞ではない」と受け取ってもらえるのですが、人の親になった現在、子どもに対してまで、その態度を貫くことはできません。

先日、子どもの写真を撮って褒める「ほめ写」という活動についてのニュースを見かけましたが、子どもの自信を向上させるために、このような自己肯定の機会を作ることは、子どもの成長にとって非常に良いことです。

私の子どもは、時々私のところにやってきて、学校やサッカーチームでの出来事を話してくれるのですが、「忙しい」という言い訳とともに、昔からの性格もあって、軽い返事をかえしてしまうことがあり、しばしば反省しています。

承認欲求云々はさておき、成長過程にある子どもは、認められることによって自身の存在意識につながり、自信が醸成されていきます。

それは、大人とて同じでことですが、社会人になると社交辞令をよく聞くことはあっても、真に褒めたり、褒められたりする機会は、それほど多くありません。

私たちは、知識や経験を蓄積することで俯瞰的な視点を持つことができる一方、自ら視野を狭めてしまい、新しい価値観や考え方などを肯定することが難しくなっていきます。

他人に迎合したり、無理やり価値観を共有する必要はありませんが、貯め込んだ知識や経験を柔軟性や許容力に変換し、それを「褒める」という形で発信することができれば、それはいつしか「褒められる」という形で自分の元へ戻ってくるはずです。

「褒める」という行為には、お互いに発生する喜びの気持ち以外にも、客観視した相手の価値観を「褒める」ことで相手に発信し、「褒められる」側が自己肯定へと変換する共感行為が、結果として発生します。

「褒める」「褒められる」という一連の何気ない動作は、豊かな心を育て、又、人の行為の本質を見抜く力を鍛えます。

世知辛いニュースや、社会のストレスにさらされがちな昨今、この「褒める」「褒められる」というシンプルな行動により、多くの価値観や考え方、そして社会の潮流を見極められるマインドが築かれれば、より俯瞰的な思考を獲得することができるでしょう!

この「褒める心、褒められる心!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。

 

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