こんにちは、しゅんすけです。


今日のお話は とある物語 です。






人間しゅんすけさんが師匠と出会った頃

本質とか、悟りとか、覚醒とか

わかっていませんでした。



あまり興味もありませんでした。




ただ、師匠が書いてるブログを読んだ時に

「【僕の感じている感覚】を話せる人がいた、見つけたーーー!」

と感動したのを覚えています。




当時、自分の感覚を対等に話できる人がいなくて、寂しさが募っていました。

だから、すごく嬉しかったし、感動したのです。





今にして思えば

【僕の感じている感覚】

は本質、悟り、覚醒と呼ばれてるものなのですが  

当時はそうだと知らず

ただ、話し相手を見つけた嬉しさがあっただけでした。




例えるならば

みんなは見向きもしない、美味しい食べ物を食べてる感じです。

自分がどれだけ「これ美味しいよ」と伝えても、多くの人はわからない。



人に伝わらない

美味しいという人もいない

でも、自分は美味しいと感じる

誰とも共有できない寂しさが募る

そんな期間を経て

共感してくれる相手を見つけた感じです。








師匠とは約10ヶ月くらい関わりました。



そのうち6ヶ月くらいは

【僕の感じている感覚】=本質

だと自覚していませんでした。




ただ

【僕の感じている感覚】を話すと

本質を語っている師匠と話が合うので

寂しさが満たされたし、楽しかったのです。




幸せでした。








6ヶ月が過ぎる頃

いつもの通りに師匠とカフェをしていたら

【僕の感じている感覚】=本質

だと自覚しました。




そして

自分は本質に至りたい、悟りたい、覚醒したい

という気持ちが芽生えたのです。




その後、約4ヶ月で本質を自覚しました。








その後…

人間しゅんすけさんが取り組んできたことは

巷では【内観】とか【自己観察】と呼ばれているものだと知りました。




本質、悟り、覚醒もそうだし

内観、自己観察もそうなのですが

言葉を知る前に「体験」や「感覚」がありました。




例えるなら

名前を知らない美味しい食べ物を味わって

数年経った頃に

名前を教えてもらった… 

そんな感じです。








こうした流れは、何も特別なことではないと思います。



子供も、はじめは何も知らず「体験」や「感覚」があります。



手を、手だと知らず、動かします。

母乳を、母乳だと知らず、飲みます。




大人になると

「知識」や「言葉」に振り回されるけれど

本来は

「体験」や「感覚」に導かれていくのが自然なのかも知れません。








なんか湧いてきた

人間しゅんすけさんの物語

を書いてみました。








今日のお話はここまでにしたいと思います。


読んでいただき、ありがとうございました。





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