明けましておめでとうございます。
 
 
 
年も明けて、グッと冷え込んで来ていますね。
 
 
体を温めてることは、免疫的にも、心理的にも、よい方向に働くので、いつもより意識してみるといいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
免疫といえば、アポトーシス、という言葉を知っていますか?
 
 
身体の細胞が、全体がより良くなるための「積極的な死」を選ぶことです。
 
 
人間しゅんすけさんの肉体もいつ、どうやって、果てるのかわりません。
 
 
けれども、病死であれ、事故死であれ、寿命であれ「死」という現象そのものが、全体のために起こります。
 
 
 
人間しゅんすけさんに縁ある人、家族、地球全体にとって、最も最適なタイミングで、最も最適なカタチで起こるものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「積極的な死」といえば、内観をして、潜在意識を言語化していくと、自我(エゴ)も死にします。
 
 
「AかBか」と悩んでいるとき、内観して、潜在意識にある本音を言語化します。
 
 
そうすると
 
Aがいいと思っていた自分、と
Bがいいと思っていた自分、が
 
統合されて、本音の自分、だけが残ります。
 
 
 
この時、ある種の比喩表現として、
 
Aがいいと思っていた自分、と
Bがいいと思っていた自分、が
 
死ぬ、と言ったりします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
細胞が「積極的な死」を向かえるように
 
Aの自分、と、Bの自分、が本音を採用すれば
 
「Aでもなく、Bでもなかった」または
「Aでもあり、Bでもあった」という
 
認識になり、その存在理由がなくなり
 
自らの死を選択するのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
過ぎたるは及ばざるが如し。
 
 
例えば、人だけに感染するウィルスがあったとして、人類全体が死んでしまえば、宿主がなくなり、生存できなくなります。
 
 
だから、ある閾値を越えて、ある個体は、全体のために、積極的な死を選択します。
 
 
 
ウィルスも、人間も、程度の差こそあれ、増えすぎると死ぬ必要性があります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人口問題や、食料問題も、同じです。
 
 
だから、長生きすればいいとは限らない。
 
 
与えられた命を精一杯生きることが大事です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
話を戻します。
 
 
 
本音がみつかり、Aの自分、と、Bの自分、が積極的な死を迎えるとき、どうなると思いますか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
落ち葉が枯れ落ちて、次の命の養分になるように
 
エゴが死ぬと、あなたは強くなります。
 
 
 
エゴか死ぬ時、あなたは泣くかもしれないけれど、強くなります。
 
 
より、本音を大切にしよう、となります。
 
 
まさに、涙の数だけ強くなれるよ、なんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家族の死
 
大切なペットの死
 
すべては
 
死に縁したあなたの学びです。
 
 
 
 
大切であればあるほど
 
張り裂けそうなショックを受け
 
心が抉れるような想いをするだろうし
 
泣くし、何もしたくなくなります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それは、涙の数だけ強くなれるよ、の変容です。
 
 
何もしたくない、というのは、心が生まれ変わるまでに必要な休息期間です。
 
 
大切なものの死、というのは、そういうプロセスを経て、心の栄養となり、強くなっていきます。
 
 
だから、ありがとう、なんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人類史上にある、無数と生と死は、人類全体が「あるべき姿」に至るための礎となります。
 
 
いつかは、誰もが、その礎の役割を担うときがきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
生命全体が向かっている姿とは、すべての人が本質を知ることです。
 
 
すべての人が、あなたとわたし、を分離しているエゴを統合して、距離を取り払うこと。
(もともと一つ、だと知ることです)
 
 
 
 
距離を取り払う
 
差をとる
 
サトリ、悟り、です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたはわたし、という境地に至れば、
 
相手を憎む必要はなくなります。
 
 
人間的な感覚でいえば、おそらく、距離をとる、だけになると思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
家族だから、恋人だから…と、離れがたい、という執着に似た想いは生まれるかもしれませんが
 
 
エゴや自分を優先した見方、捉え方よりも
 
生命全体としての見方、捉え方の方が、優先したくなります。
 
 
 
 
ただ、距離を調節するだけです。
 
 
 
 
近づいたら、離れるだけ。
 
離れすぎなら、近づくだけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
生きてるうちが華です。
 
 
生きてるからこそ、悟ることができます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
海の中にある一滴の水は、流れに無抵抗なように、
 
 
魂だけでは、抵抗や矛盾、悩みや葛藤はありません。
 
 
だから悟れません。
 
 
差をとる、ための「差」がそもそも生じないからです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エゴは、神なる力を与えられた自分です。
 
 
自分(エゴ)は神と同等の力を持ちます。
 
 
だから、神なる本質から分離して「差」を創ることができます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
生きるとは、神の戯れ、とも言います。
 
 
エゴの自由にさせてあげて、敢えて「差」をつくり
 
 
一体感を味わうことで、「小さな悟り」を体験できるからです。
 
 
 
会話でも、合唱でも、握手でも、チームプレーでも、チームワークでも、恋愛やセックスでも、他者と関わることは、楽しいのです。
 
 
一体感、「小さな悟り」をすることで、本質的な悦び、楽しみ、至福を味わうことができるからです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
肝心なのは、本音で生きることです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それは、人間が人間らしく生きることに相当します。
 
 
それは、神あなたが神らしく世界を楽しむことに相当します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたが本音で人と関われば、相手も本音になります。
 
 
そこに一体感が生まれます。
 
 
 
あなたが本気になれば、チームも本気で関わってくれます。
 
 
組織で、ピラミッド構造に陥らず、依存なく、人と関わっていく唯一の方法は本音です。
 
 
本音の元に平等。
 
 
それが依存ではなく、共存への道です。
 
 
あなたがエゴをみせて、本音を偽れば、組織はそこから瓦解していきます。
 
 
あなたが本音で関われば、組織はより大きなウネリとなって、力をもちます。
(然るべきときは、ちゃんと調和的に解けていきます。)
 
 
 
 
 
家族でも同じことです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
真理はシンプル。
 
 
本音が一番。
 
 
どんな状況、場面であっても、それが最善です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家族関係も、恋人関係も、調和に向かいます。
 
 
だから、社会や、地球全体も調和に向かいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたが肉体をもって生きているなら、あなたにもちゃんと役割があります。
 
 
だから生きています。
 
 
本音で生きてください。
 
 
どんな困難な状況であっても、それが唯一の突破口になります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日の話はここまでにしたいと思います。
 
 
読んでいただきたき、ありがとうございました。