”私は在る”に至るまでの軌跡 -2ページ目

第7回 他者貢献について

 こんにちは。無名です。


 ここ数回の記事をまとめますと、第3回では自分の課題と他者の課題を整理し、第4回で、自分の今の状況を受け入れること、第5回は他者との関係を整理し、いたずらに自分を卑下することを止める必要性について説明してきました。第6回では会社以外での自分の居場所を見つけることについてお話しました。


 今回は他者貢献についてお話します。

 対人恐怖を持っている場合は、私もそうでしたが、ごく限られた知人・友人・家族以外の回りが全員敵に見えてしまいます。


 他人は自分より優秀で、自我も確立していて、であるからこそ自分を馬鹿にしたり、上から目線で注意したりしてくるんだという風に思っていました。


 このような状況は、今の自分を受け入れ、自分にできることと他人ができることを整理することで、ある程度解消しますが、さらにもう一歩踏み込むことが必要です。


 それが他者貢献になります。他者貢献と言っても自己犠牲をせよということではありません。


 テキスト(第5夜「仕事の本質は、他者への貢献」)にはこう書いてあります。


 「他者貢献が意味するところは、自己犠牲ではありません。むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしているくらいです。」


 「そして思い出してください。われわれは、自分の存在や行動が共同体にとって有益だと思えたときにだけ、つまりは「私は誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる。」


 「もっともわかりやすい他者貢献は仕事でしょう。」


 「われわれは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、「わたしは誰かの役に立っている」ことを実感して、ひいては、自らの存在価値を受け入れているのです。」


 あなたは、社会人でしょうか、学生でしょうか。


 社会人であれば、自らの仕事が誰の役に立っているのか、ノートやPCに書き出してみてください。


 学生であれば、あなたが学習していることが将来どのようなことに役立つのか、あるいは、バイトをしていれば、その仕事が誰の役に立っているのかをノートやPCに書き出してみてください。


 この他者貢献のよい具体例についてテキスト(第5夜「若者は大人よりも前を歩いている」)に書いてありますので、ぜひ見てみてください。全部を引用すると長いので、要約しておきます。


「例えばあなたが主婦で、子どもや夫は食器の片付けを誰も手伝ってくれないし、感謝もされない。もし、イライラしながら食器を洗っていたら、自分も不快だし、家族も近づきたいとは思わないだろう。一方で、楽しそうに食器を洗っていたらどうだろうか。手伝ってくれないにしても雰囲気はよい状態になる。これができるのは家族を「仲間」だと思っているからだ。」


 好きな人のためには何でもできると思います。そこまで行かなくても、仲間であるという意識があれば、「それは私がやっておくよ」とか言えると思います。


 しかし、これは自己犠牲ではありません。テキストにはこうあります。


「他者貢献が意味することは、自己犠牲ではありません。むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしているくらいです。」


 自己犠牲をしないで他者貢献をするにはどうすればよいのか。難しいですよね。これについては、次回お話したいと思います。


 次回は20日(木)18:30分に更新します。

第6回 共同体感覚について

 こんにちは。無名です。


 ここ数回の記事をまとめますと、第3回では自分の課題と他者の課題を整理し、第4回で、自分の今の状況を受け入れること、第5回は他者との関係を整理し、いたずらに自分を卑下することを止める必要性について説明してきました。


 本日は、あなたと他者はどのような次元にいるのか、アドラー心理学でいう「共同体感覚」についてお話します。


 テキストの第四夜「対人関係のゴールは「共同体感覚」」の部分になります。

 共同体感覚というのは、テキストでは「他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること」であると記述されています。


 さて、あなたにとって、恐怖の対象となっている人を仲間だとすることは、あなたにできますでしょうか?


 これはとっても高いハードルだと思います。


 男性であれば、メンズブラをしながら健康診断を受けに行くくらいハードルが高いと思います。


 女性であれば、すね毛ともも毛をあしらった痴漢防止用ストッキングを履いて、しかもミニスカでお洒落な街に出かけていくくらいハードルが高いと思います。


 共同体とはなにか。この最小単位はテキストでは「「わたしとあなた」です。ふたりの人間がいたら、そこに社会が生まれ共同体が生まれる。」とあります。


 そしてそれを起点として、「自己への執着を、他者への関心に切り替えていく」ことという記述があります。


 他者を恐怖の対象としてしまっている人は(私も含めてですが)、自己中心的な世界に住んでいるのです。しかし、テキストでは「あなたは共同体の一部であって、中心ではない」といいます。


 そして、「もしもあなたが「世界の中心」なのだとしたら、あなたは共同体へのコミットなど露ほども考えないでしょう。あらゆる他者は「わたしのためになにかをしてくれる人」であり、自分から動く必要などないのですから。」ともいいます。


 私自身も、他者への恐怖に怯えているだけで、社会へのコミットという感覚が全くありませんでした。今でも、そんなにコミットしてはいないのでしょうが、ようやく、このブログでお伝えすることも再開し、社会へのコミットを始めることができました。


 ブログでもいいのです。なんらか、自分の経験を社会に伝えること。そこからでも一歩として十分に相応しいと思います。


 対人恐怖症を解消するためには、まずは、
 自分と他者の課題を整理すること
 他者の課題については、自分にはコントロールできないので、気にしないこと
 自分の課題については、地道に解消する努力をすること
 自分が世界の中心だと考えることをやめ、社会にコミットすること


 ただ、これだけだと、対人恐怖症の対象である他者とも仲良くしないといけないのかと思われるかと思いますが、そうではありません。


 「関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方」「目の前の小さな共同体に固執することはありません。」


 会社や学校だけの共同体に固執する必要はありません。現代では気軽に、ブログやSNSで自分の趣味やライフスタイルなど共有していくだけで、新たなコミュニティに一歩踏み出したことになります。


 では、次回はより、以上の点を腑に落としていけるよう、他者貢献についてもう少し説明します。


 次回は、17日(月)18:30に更新します。

第5回 他者との関係について

 さて、自己受容はできましたでしょうか?これはHowToというよりは、現状であることを認識し、それに対して善悪を判断したり、拒否したりしない姿勢になります。


 では、現状の自分を受け入れることができたら、次は他者との関係をみていきましょう。

 

 対人恐怖症といった時に、相手との関係ではいくつかの類型ができるかもしれません。


 例えば、ざっくりといえば次のようにわけられるでしょうか。


 1.他人から注意されることや叱られることの恐怖

 2.他人から馬鹿にされることの恐怖

 3.自分自身の劣等感からくる恐怖(どもったり、赤面したり)


 綺麗に場合分けはできていなくて、2と3が組み合わさることもあるでしょう。その他に具体的な状況があればコメントなどいただければと思います。


 最初に1番ですが、これは、第3回 でお話した 課題の分離をすることができます。


 他人(上司)から注意された場合は、何かしらの理由があることが多いです。叱る事自体は上司の課題なので、あなたにはどうしようもありません。叱られる理由を、感情が落ち着いた時に整理してみましょう。そして、あなたにはそれを改善していくことだけが可能なことです。


 理由なく、ただ怒りたいから怒ってくるような人は、自分にはどうしようもないので、気にする必要は一切ありません。


 2番目と3番目ですが、これは原因は同じで、他人と比較したところの自分の位置が低いと考えているときに生じます。


 仕事や学力などで、一定以上のレベルが必要で、あなたにそれが足りていないのであれば、そこを上げられるようにスキルアップを目指しましょう。このブログでも勉強法についても書いていくつもりです。


 それ以外であれば、他人と自分を比較する必要はありません。ここはテキストの第2夜「劣等感は、主観的な思い込み」と第3夜の「承認欲求は不自由を強いる」を読んでみてください。


 仕事を普通にするに足るスキルがあるのであれば、他人との比較は無意味だけでなく有害なので早めに、やめましょう。これも、止めると意識するだけです。


 意識をどのように習慣化するかが難しいところですが、これは、繰り返し脳にインプットしていく必要がありますので、常に身につけているようなもの、例えば、スケジュール帳やあるいはスマホのメモ帳にでも書いて意識するようにしましょう。


 そのときは、「他人と比較することをやめる」ではなく「自分の能力は十分にある」「自分は他人と同じだけのスキルがある」など肯定形の文章となるようにしてください。


 否定形だと脳はそこまで意識できないので、無意識的に他人と比較することが印象づけられてしまいます。


 最後に、ここ数回の記事をまとめますと、第3回では自分の課題と他者の課題を整理し、第4回で、自分の今の状況を受け入れること、そして、今日は他者との関係を整理し、いたずらに自分を卑下することを止める必要性について説明してきました。


 ここまで読んでも、どうしても対人恐怖症がクリアになったという感じはしないかもしれません。次回は、あなたと他者はどのような次元にいるのか、アドラー心理学でいう「共同体感覚」についてお話します。

 

 では、次回は、15日(土)18:30に更新します。