こんばんは!こういちです!
今回は、人はどういったときに 『虚無感が消えるのか』についてお伝えします。
あなたも、 自分自信にどことない虚無感を感じる ことってありませんか?
『周りの人たちは楽しそうに生きている。でも自分は満たされない』
『そもそも自分は何が原因で満たされないのかがわからない』
『どうなりたいかは思い描けないけど、現状を打開したい』
考えはそれぞれですけど、『今の自分をなんとかしたい』『虚無感を消したい』
って思うことはきっとあなたもあると思うのです。
今回は、そういった『虚無感』を消すために不可欠なことをお話しします。
自分が、虚無感を一番強く感じたのは大学一年生の秋でした。
本当に辛かった高校生活から脱出し、自分のセルフイメージを極限まで上げて、辛い…という状態を脱出したときに自分に訪れた『虚無感』
当時の自分は、もとからまじめだったのもあり、勉強系のサークルに入り、そこで友人を作ったり、沢山の人と会話できるようになり…
と、比較的社会復帰ができてきたなぁと自分でも思い始めていました。
しかし、ここで大きな事件が起きます
それは、大学の先輩との意見の噛み合わなさによる『衝突』
当時、自分は勉強系のサークルにいて、人数がそれなりに多いために班ごとに分かれて勉強するのですが、
各期間ごとに勉強の成果を確かめるために大会がサークル内で開かれ、
班内での優秀な班を決めるのはもちろん、成果によっては賞が個人もらえる、という催しがありました。
自分は、サークルに入ってから何回か賞をもらっていたので、
自分の『成功体験の一つ』として、賞の獲得を一つの目標として頑張っていました。
しかし、今回の自分が所属することとなった班の班長としては、『楽しみたい』
ということをスタンスとして班を運営したいらしく
自分みたいに、多少辛くても賞を取ったり、成長をしたい
という考えとは、真逆でした。
勉強会中に遊んだり、音楽を流したり。。。
自分は勉強をしに大学に来ているわけだし、確かに交友を深めるために何回か飲みに一緒にいくのはわからなくもないのですが、
『でも勉強中にやんなくてもよくない?』
とだんだん不満が募ってきました。
先輩が勉強会終了間近の時間に遅刻してくる、なんてこともありました。
そのせいで、だんだん自分自身にモチベーションも下がっていき、適当にやるようになってきた時です。
先輩に切れられました
内容はいろいろと言ってましたが、簡潔に言うと、『ほかの人はもっと頑張っているのに自分はどうなの?』っと言われたんです
『いやいやいや、お前に言われたくねーよ』
『ていうか、ただ単に頑張ってるって言われてた人も勉強会に来てるだけで何も生み出してないだろ?』
自分としては、確かに熱意は冷めていましたが、自分なりに提案をしたり、意見を出したりはしていたつもりではいました。
最終的に、自分は先輩のいうことを聞いて勉強をしてたのですが、どうしてもこれをやる意味が見いだせない。
だから、辞めようと思って先輩に直訴しました。
そこで先輩に言われたことに対して、人生で初めて人に手を出そうかと思うくらいに自分は苛立ちました。
それは、『辞めてもいいけど、これからの別の活動もあるし、自分が原因で組織を辞めるみたいなことはしないでほしい』
当時を今振り返ってみると、先輩としては自分に続けてほしいという考えがあったのかもしれません。
ですが、これを聞いた時の自分は、あまりにも無責任すぎて、成人してから初めて涙を流します
『あっ…俺いらないんだ…』
『あ~……。俺、、なんのために今まで頑張ってきたんだろう・・・』
そのあとしばらく放置してたのですが、途中で組織を抜けたことに対して関係各位に謝罪しろと怒られ、人間としてなってないと切れられました。
なんというか、ここまで来ると、本気で怒ってた怒りも収まり、ただいうことを聞いて、黙々と謝罪のメールを打っていた記憶があります。
何人かよくしてくださった先輩方も組織の中にはいて、話がしたいとメールしてきてくれたのですが、自分としては
『もう疲れた。もう関わりたくない…』
という人生の最高レベルの虚無感を感じて、そこにいた組織の方と、親しい同期の友人を除いて、全関係を断ちました
人間関係がうまく行き始めて、高校時代と違って真面目に勉強もしている。
『俺は間違ってたのか?自分でもわからない・・・・』
そういったもやもやを抱えながら生きていました。
しかし、ここで転機が訪れます
それは、学科内の中でも、入るのが難しいといわれるゼミの選抜に合格したこと
ここに所属して、今度はここで勉強することになりました。
ここでの活動では、レジュメを切ったり、プレゼンをやったり、といった活動をしたり、国際系のゼミなので英語の論文を読んだりするのですが、
たまたま、自分はプレゼンのやり方、論の組み立て方、語学学習を外部のビジネススクールで行っていたため、 『すごく頼りにされたんですよね』
『ここがわからないんだけどどう思う?』
『この場所を教えてほしい』
と、結構いろいろな人と一緒に頑張っていたのを覚えています。
勉強をしていた…という点では前と変わらないのに、 『この充実感はなんなんだろう?』
それについて、考えながら勉強したり、ゼミ内の友人の話を聞いたりしてしばらく過ごしていたのですが、ある時ふと
自分が充実しているのは『役割』を持っているからだ
と気付きます。
これについて話すために、小さいころの自分と母親との会話を話します
8歳くらいで自分自身にある程度しっかりとした自我が芽生え始めたときに、ちょっと疑問に思ったことがあります。
それは『なんでこの人たち(両親)は自分に尽くしてくれるのだろう』
ということです。それを聞いた自分に母は
『周りの兄弟がみんな結婚して家を出て行ったときに、家族から誰にも必要とされなくなったのを感じて、自分自身に居場所を感じなくなった。
だから、自分自身の居場所がほしかったんだよねぇ。それで、『誰かに頼りにされたい』と思ってあんたを生んだんだ。』
と、言われました。
この会話自体は聞いてしばらく記憶の隅に追いやられるのですが
ふと、周りから頼りにされて『虚無感』が消え去った時に思い出します。
あぁ、あの時の母さんは、 『母親という役割』を持つことで、 『虚無感』 から脱出したんだろう
と。
『母親』 という仕事について自分自身が語れることは正直あまりないのですが
『母親には子供を育てる』という役割があります
子供のため家事をしたり、時には怒ったり…
いろいろ大変ですが『やることははっきりしている』のです
今回の自分の場合では『英語』『論文の構成の仕方』『プレゼン』
と自分にできる 『役割』 がはっきりしており、それを全うしていた。
でも、前にいた組織では、勉強自体はするものの、別にこれを自分がやる必要は無いし、別の人でも代わりが効く
つまり、自分自身の『役割がなかった』のです。
あなたも、自分自身の才能やできることはたくさんあると思います。
それは『優しさ』であったり、『努力家』なところであったり、、
そういった能力を周りの人と分かち合うこと。そのために
『自分自身に役割を持たせること』
を意識してください。
これは、案外身近なことかも始められます。
家に家族がいるなら、『家族のためにできる家事を何か一つ自分がやる』
という役割であったり、役割自体はたくさんあります。確かに家事自体は誰にでもできることですが
『これをやるのは自分が一番うまくいく』
という状態まで持っていけば、自然と家族から頼られるはずです。
そういった『役割を持つ充実感』を少しずつ思い出していくことが、虚無感の払拭につながるはずです。
『虚無』の対義語は『充実』になると思うのですが、それをひっくり返すキーワードは『役割』
それを、頭の隅に少しでも入れていただければな、と思います。