☆☆☆友人に捧げる言葉☆☆☆
『正しい人が一歩譲る心を持てばそこに平和が訪れる』
(福田純子さん)
友人が最愛のお父様を亡くしました。救急搬送されて2週間足らずの出来事でした。
お父様の遺志、お母様の希望で、葬儀は家族葬、親戚やご近所にも一切知らせることなく執り行ったそうです。
その友人が、お父様を失った悲しみとは別に味わった悲しみがあると話してくれました。(友人の了解の元、紹介させていただきます。)
葬儀が終わってからの日々の方が忙しく、様々な手続きや事後処理に、ほとんど寝ることもなく走り回ったり、書類や資料を揃えたりしていました。お母様お体が不自由で、一人息子の友人が孤軍奮闘しなければいけない事情も、彼への負担を増大させていました。
当然、会社も休まなければいけません。忌引をとっていましたが、お母様からも、
「いつまでも職場の人に迷惑をかけていてはいけない。私ができることは何とかやるから、仕事に復帰しなさい。」
と言われ、部下の一人に、
「ご迷惑をおかけしました。明日から復帰します。よろしくお願いします。」
とラインを送ったところ、
「どうしてもっと早く連絡をくれないんですか?『報告・連絡・相談』は当たり前でしょ?みんな困っているんです!」
と、怒りの返事だけが返ってきました。
彼は、上司に相談し、休みをとりました。毎日はできませんでしたが、
「まだ数日は事後処理がかかりそうです。」
「〇日までには復帰できるようにがんばってみます。」
などと上司に報告はしていました。
しかし、慣れない手続きや書類作成、また他の市町村まで出かけて書類をもらってこなければいけない、お母様のこともやらなければいけない...などもあり、心身ともに極限状態でした。連絡などできる状況ではありませんでした。
部下は彼に対し、
「グループラインがあるのだから、そこに状況を説明してもらわないと困るります。」
とも言ってきました。
彼は、親の死去に関する話はプライベートなものであり、中にはプライバシーにも触れることでもあったので、必要なことは上司に相談して動いていました。
そのことを部下に伝えたのですが、部下は、
「私たちは困っているんです!」
の一点張りでした。
彼は、今まで必死に踏ん張っていた心の糸が部下の言動でプッツンと切れてしまい、復帰予定の日の朝、眩暈と吐き気に襲われ、出社できませんでした…
「部下の言っていることは正しいと思うよ。上司には報告していたけれど、部下には直接報告していなかったのだから、自分にも反省点はある。でも、最愛の親を亡くした気持ちを踏みにじられたに思えて仕方がないんだ… 親を亡くしたことに対する言葉は一言もないのだから…」
彼は涙ながらに話していました。
友人が休みをとったことで、職場も上手く機能せず、職場の人たちにも過重な負担がかかっていたと思います。
そんな精神的にも肉体的にも限界にあった部下の気持ちもよくわかります。直属上司である友人からの連絡を待っていた気持ちもわかりますし、部下の人が友人に送ったメッセージの内容も正しいと思います。
しかし、友人も最愛の親を亡くしたショックに打ちひしがれながらも、お母様に無理はさせたくない、一日も早く職場にも戻りたいという思いで、折れそうな心を必死に自分自身で支えながら、がんばっていたのです。
江戸時代、「村八分」という決まりがありました。その人を村から排斥し、相手にしない、無視するというルールです。
しかし、そんな非人道的な決まりであっても、「火事」と「お葬式」には関わったと言います。
だから、「村十分」ではなく、「村八分」なのです。
正しいことを主張して実行していくことは素晴らしいと思います。
しかし、その前に私たちは「人」であり「人間」です。
人として大切にしなければいけないものがあるのではないでしょうか…
正しい人が一歩譲る…
「あなたのしたことは正しいことではないけれど、あなたの悲しみは少しはわかります… 大変でしたね…」
相手の苦しみや悲しみを受け止める心も大切なのではないでしょうか…