振り子ってご存知でしょうか? ていうか知ってますよね。左右に振れるやつです。



物事は万事が振り子だと私は思っています。



右に振れた分だけ同じように右に振れます。そして、また左に振れた分だけ右に振れます。



一番右に行ったとき、振り子は一瞬止まります。そして、反対方向に進みます。



で、一番下に来た時に、運動エネルギーが最高になります。



そして、その勢いで反対の左側に来ます。で一番左にきたら一瞬止まります。で、また、反対に動き出す。



右でも左でもいいんですが、一瞬止まったとき、そして、一番下に来たとき。


エネルギーの質が変わっています。一瞬止まったとき、位置エネルギーが最高になっています。運動エネルギーはゼロです。一番下に来たときに運動エネルギーが最高になっていますが、位置エネルギーはゼロです。



振り子が振れることで、エネルギーの質が変わっている。ただ、エネルギー量そのものは変わっていないですね。(空気抵抗などが無ければ)


理科の授業みたいですね(笑)



で、人はえてして左右に触れた振り子に解釈をつけたがります。その解釈は善と悪だったり、ポジティブとネガティブだったり、幸運と不幸だったり、成功と失敗だったり。



振り子はただ左右に振れているだけで、振り子自体は変わっていないのです。



要するに、良いも悪いも無いのです。ただエネルギーがあるという事実が存在しているだけです。



感情を例にしますと、ネガティブもポジティブも無いんです。事実があるんです。それを勝手に一人一人が解釈している。自分にとっていいのか悪いのか。



よく考えてみると、過去の嫌な出来事も時間が経つと、それなりに良い思い出だったり、今を決定づけている出来事だったりします。



また、ボロボロになった出来事ほど、力強く自分を支えてくれている場合もあります。ただ、その当事者の時にはそうは思えないのが普通です。



嫌な出来事もその瞬間によい出来事だと思えたら、苦痛ではなくなるはずです。苦痛だと解釈しなければいいんです。



実際に振り子が自分が思うところの嫌な方向に振れたと思い込んでいるだけです。エネルギーの質は変わったけど、振り子自体は変わってない。ただ、自分が「負」の解釈をしたという事実があるだけです。



意識が自動操縦されて、物事の良し悪しを判断しています。自動操縦は自分の過去の経験や価値観、今まで受けてきた教育やしつけに由来します。



その自動操縦された解釈の仕方が、自分にとって好都合ならいつでも幸せなわけです。不都合だと嫌悪感を感じたり、ストレスを感じたりします。嫌悪感を感じたり、ストレスを感じて幸せなら、というか自分が心底それでいいと納得できるならそのままでも構いません。



もし、不本意だと感じるなら自分が思うところの「負」の解釈が自分のメンタリティーにそぐわないということです。



まずは、今の自分のもごとの解釈の仕方が自分のメンタリティーにそくしたものかを客観的に判断する必要があります。



気をつけないといけないのが、解釈は無意識に自動操縦されるわけですから、気がつきにくいということ。



ただ、意識すれば簡単に気付きます。それは「ストレス」と「嫌悪感」。あと体の不調で出ることもあります。胃痛だったり腰痛だったり。体の不調はネガティブな感情がたまった場合に出るので、瞬時に反応する「感情」に意識した方がいいと思います。



「イラっ!」としたとき、ただ、振り子が振れてる場面をイメージしてみます。



「あー私、勝手に悪い方に解釈しちゃった」と心でつぶやいてみる。



それでも落ちつかければ、「だからよかった!」と取り合えず言ってみる。すると、自動操縦でこう無意識が反論してきます。



「何が?」って。



「何がって、そりゃ・・・」と続けるとポジティブな無意識が答えを瞬時に見つけ出します。答えが見つかると「じゃ、いいか」と思える。



それでもイライラが収まらなければ・・・








怒っちゃえばいいじゃん。






周りの雰囲気や他人の意見に必要以上に敏感になってしまうことがあります。



常に敏感であり続けるというのは、常に緊張し続けているため、とても疲労してしまいます。



危険を感じているから、その危険を早めに察知しようという心の動きです。さらに人の何気ない言葉で深く考えすぎたり、必要以上に落ち込んだりします。



安心できないというのは、無意識の部分にしみこんだ記憶が無条件に反応している場合があります。



子供の頃に混乱した状況で過ごすと、大人になっても幼児期に経験した同じような状況になると、無意識に反応してしまう。(過去は変えられませんね。でも今は変えられます。変えたいと思えば。後、方法を知ってれば。)



ある意味、自分を守ってきてくれた価値観です。一方で、神経をすり切らしてしまうものでもあります。



全てのストレスは相反する感情や価値観が互いに反発しているために生まれます。



「緊張してるなー」とまずは気付くことです。緊張しててもいいのならそのままその感じを楽しめばいいですし、緊張したくないなぁと思ったら、緊張しない方法を探します。



その方法は・・・自分にあった方法を自分で探すしかないです。



いつまでも緊張するということは、緊張する出来事、危険を感じさせる場面、発言があるかもしれないと思っている。だから、身構えるということだと思います。



不安を呼び起こす事象が意識の前に出てきて張り付いたままになっているから、ずっと緊張しぱなっしになる。



健常な人は、不安を感じる場面と安心できる場面が交互に入れ替わります。ずっと片方によっていると極めて心配性か極めて楽天的かのどちらかになります。でも、人がどっちだろうと私には関係ありません。どっちよりでもその人が幸せなら何の問題も無いと考えます。



なので、自分が一番心地いいバランスを探すことです。どのポイント心地いいかなんて自分以外の誰にも分かりません。



不安を呼び起こす事象が意識に張り付いているので、意識からはがす努力が必要です。要するに意識をそらす作業が必要です。その方法はいくつかあると思いますが、以前「気持ちを切り替える」の記事で紹介した方法が簡単。不安に色をつけてその色に変化を与える方法です。



それ以外にもありますが、また別の機会にお伝えします。

「気持ちを切り替える」

「気持ちを切り替える2」

「気持ちを切り替える3」


とりあえず、この3つは復習して使いこなせると便利です。


ブログ更新をかなりサボっていましたが、久々に更新します。


今までのように毎日更新できないですが、ポツリポツリと更新していこうと思います。


更新していない間、メッセージを下さったり、読者登録してくださった皆様、ありがとうございます。


ご相談があれば、メッセージにてお伝えいただければ、お手伝いできる範囲内でお話お伺いします。



さて、今日の記事ですが、悩みの渦中にいる人に向けてです。


どうしても苦しみの渦中にいると前向きな考え方ができないものです。


以前、記事の中で「なぜ」という質問はアイデンティティーを傷つけてしまうので「なぜ」⇒「何を・どのように」と質問をしなおすことをお伝えしました。


今回はあえて、「なぜ」を考えてみたいと思います。


なぜ、今苦しみの渦中にいるのか?


ただ苦しむためにつらい思いをしているわけではないはずです。何かの意味が秘められています。


何を学ぶために、今苦しい思いをしているのか?


それは、この苦しみを乗り越えてみないと分からない部分もあると思います。


しかし、どの苦しみにも当てはまるのが「今までのパターンでは自己矛盾がある」ということではないでしょうか?


何に矛盾を感じているのかを知るのが課題であり、どのように自己矛盾に折り合いをつけるのかが解決の糸口だと思います。


自己矛盾を解決することで、本当の自分が見えてきます。そうすると自分のポジティブな面もネガティブな面もそのまま受け入れられるようになります。


受け入れられない自分や現実を受け入れられないということになりえない状態。


ありのままに受け入れるのが心地よい状態とも言えると思います。


そうなると自分が自分でいいのだと受け入れられる。


以前、書いた「恥中毒」から脱却し、自由に振舞うことができます。


今までは恥ずかしいという理由で本当の自分の思いや姿にブレーキをかけてきた。それはコンプレックスとも言えます。


結局は他人の評価や判断が怖くて、恐る恐る自分の行動をごまかしごまかし生きて生きた自分が、「もう嫌だ」となったときに「うつ」という症状になるのだと思います。


これは今までの自分を殺して、他人基準を優先させてきた生き方に対して、うつを感じているということだと私は考えます。


本当は自分らしく生きたいのに、他人の目線や評価やありもしない常識に沿って生きることを強要してきたわけだから、その生き方に絶望を感じたり、失望するのは当たり前です。


つらい思いをしているのであれば、それは気付きのタイミングでもあります。それは自分の基準ということです。


逆の言い方をすると他人への依存を断ち切るという決断の時を迎えていると言うことです。


一人一人、みんな個性があります。一人一人それぞれに違う価値観があり、違う夢があります。


あなたの幸せのあり方はあなたにしかわかませんし、あなた以外の人に聞いても答えはありません。答えは自分で作りだすしかありません。


一度、自分の価値観やルールをリセットする必要があると思います。常識というのも厄介で、正しいか悪いかも分からずに、そういうものだと思い込んでいる場合が多々あります。


全ての考え方や感じ方をゼロに戻して、本当は自分は何が正しくて、何が欲しくて、何を心地よいと感じているのかを洗いなおすことが大切です。


何が自分にとって正しいのかの基準を持つために、自分との対話を頻繁に行って下さい。