復活日: イエスの弟子は、空の墓に入った。彼は、見て、信じた。 (ヨハネ 20:1-9)

主のご復活おめでとうございます❗


イースター、復活日です。
娘の誕生記念に市からもらったドウダンツツジが、今年は花を増やしてくれました。
もらってから7年間、一度も花をつけてくれなかったドウダンツツジが、初めて2ヵ所で花を見せてくれたのは昨年のこと。十字架で死なれて、3日目の朝に墓の中から復活されたイエスを思い起こします。
花をつけないと思っていたのに咲いてくれた。死んでいたのに復活された。

何も仕事をしてはいけないとされる安息日を過ぎて、改めてイエスのご遺体に油を塗って差し上げようと向かった墓が、もぬけの殻であったのを見た女性たちには、最初は驚きや恐れしかなかったことでしょう。そこに天使が復活の証しをしてくださった。
主は生きておられる。
イエスは復活なさった。
恐ろしくて震え上がっていた彼女たちが、最初の復活の証人になりました。
さてヨハネによる福音書には、最初にマグダラのマリアが墓に行ったことだけを伝えています。彼女は空の墓を見て、誰かがイエスのご遺体を勝手に運び出してしまったものと思い込んで泣き崩れていました。そんな中で彼女はイエスに出会いました。初めこそ悲しみのあまり園の番人と思ってしまったマリアでしたが、イエスが名前を呼んでくださったことで気がついたのです。
それからぺトロともう一人の弟子が、
マリアの話を聞いて墓に向かいますが、墓にはご遺体をくるんでいた布しか見当たりません。
ぺトロはそれを見て、信じたと聖書にはありますが、彼らはいったい何を信じたのでしょうか。イエスが死者の中から復活するという聖書の言葉をまだ理解していなかったといいます。
ただわかるのは、死んで墓に納めたはずのイエスが墓からいなくなったということだけです。
復活はまだ理解できなかった。けれども、墓からいなくなったということは信じた。そういうことではないだろうかと思います。
それから夕方の食卓に、イエスが現れました。
悲しみや恐れは喜びや希望に変えられました。

絶体絶命のピンチにもなお、希望と命を与えてくださる主の復活のできごとは、復活を信じた弟子たちによって力強く伝えられ、現代に至っています。