今日は、2006年12月17日から2025年7月28日までの私のタイ移住を振り返って、総括してみたい。


先ずはタイに移住した理由から。


1.妻の連れ子の帰国

妻の連れ子を6歳の時に日本へ連れてきたが、「三つ子の魂百まで」なので日本の環境に全く適応出来ず、小5で登校拒否になってどうしようもなく、育てた祖父母の元に帰らせた。

この子だけがタイで暮らすのは可哀想なので、私達がタイへ移住して同居したかった。


2.花粉症

私が杉と檜の花粉症で、酷い時は仕事にならないほどの症状に困っており、妻や息子まで発症したので将来を悲観した。


3.50歳定年制

勤務先が50歳定年制を導入し、50歳になると退職金を貰って一度退職し、賃金を地場相場に合わせて半額くらいに大きく減らされて再雇用される事になったので、このまま仕事を続けても子供の教育もロクに出来ないと思った。


4.妻の帰りタイ病

特に冬になると寒くて家に閉じ籠り気味になり、タイに帰りたいと言うのに嫌気がさした。


5.日本の将来を悲観

バブル崩壊後に景気が回復しない日本の将来を悲観し、子供達をタイ人として育てた方が幸せだと思った。


そう思ってタイへ移住したが…


1.妻の連れ子

祖父母との生活は上手くいかず、妻の姉夫婦と暮らしていたので引き取って同居を始めたが、知り合いに頼んで集落の中高一貫校へ無試験で押し込もうとするとビビって行かないと言うので、無試験で入れる地域の幼稚園や小学校と併設の中学校へ入学。

大学くらいは行かせたいと思って毎日勉強させようとすると、「僕は中学を卒業したら働きたいので、勉強はしません。」と言うので「勉強しなければ仕事にも支障があるのに阿呆か?」と言ったが、妻から「この周りの常識はその程度」と言われて了承。

ところが中3になって職業校に進学したいと言い出して私が「勉強もしない奴が何をしに行く」と激怒。

叱っても当然行かせるつもりだったが、絶望したのか家出をして妻の姉の家に戻ってしまった。

姪に連れられて一旦帰宅し「伯母さんの家で暮らしたい」と言うので、「もう家に戻らないのなら行け」と突き放すと本当に行ってしまった。

後から判ったのだが、妻の姉の家は廃品回収業をしており、その作業員にさせたくて息子を甘い言葉で呼び寄せたらしい。

息子は約束の賃金も貰えず、1年もせずに伯母から逃亡。

そこから酷い苦労を重ねて頑張り、パートナーを連れて数年前に十数年ぶりに帰宅。

そこから起業してチョンブリ県で自動車整備業をしている。

先日はパートナーと共に日本へ遊びに来て、毎日酒を酌み交わした。本当に良い青年になった。


2.花粉症

帰国して再び花粉症で苦しむならタイへ戻るか沖縄へ移住しようと思っていたが、耳鼻科で処方された

・ビラスチン(一般名:Bilastine)

・フルチカゾンフランカルボン酸エステル点鼻薬(ステロイド)

・オロパタジン点眼液

の使用で、全く症状が出ない程の完全攻略。

日本の春を50年ぶりに楽しめた。


3.50歳定年制

50歳定年制は、私が退職した何年か後に廃止。

それなら退職しない方が得策だったかと言えば、平会社員な私一人の収入でタイでやった様な教育を子供にしてやるのは無理なので、止めて起業は正解だったと思う。

その代わりに私達夫婦の老後は経済的に不安定だが、まあそれは仕方無いかな?体が動く内は働くしかない。


4.妻の帰りタイ病

今回タイでの商売を止めて日本で暮らしたいと言い始めたのは妻。

家業を主に担う妻が止めたいと言えば従うしかないので帰国したが、その裏には私の母の暗躍があったらしく、後から聞いたのだが「家もやるし車も買ってやるからか帰国しろ」と言われたそうで、家業の将来性に不安があった妻がそれに乗っかった様子。

私は栽培品種の切り替えを進めており、バンコクの土地を売った金で農園を再整備して攻勢したかった所で断たれた。

妻は来日後もタイの友達と毎日SNSでのやりとりを楽しんでおり、日本でも観葉植物の苗を作って楽しそう。


5.日本の将来を悲観

日本の将来を悲観してタイへ行ってみれば、覚醒剤が蔓延しているし、金のためだったら何でもありな風潮に驚かされた。

日本と同様に少子化も進んでおり、タイの将来にも日本と同様の不安を感じる。

タイの大学へ通っている娘は、卒業後に日本へ来るかも?


タイでの19年間で一番良かったのは、主夫をやりながら子供達と多くの時間を過ごせたこと。

二番目に良かったのは、植物の栽培を通して私の好奇心を満たせたこと。

三番目に良かったのは、異文化の中で人の優しさに触れて、私の価値観に大きく影響を受けたこと。


ありがとう。

タイ・ウドンタニ、

私の第二の故郷だ。