こんにちは



今日は私の師匠のブログのシェアです。




29歳の時に、親友のお母さんでもある、宝 喜美子さんの家に、藁にもすがる思いで、カウンセリングを受けに行きました。



男性依存が激しかった私は、22歳〜30歳くらいまでは本当に本当に苦しい恋愛をしていました。




どうしたら抜け出せるのかを考える余裕もないくらい、男性に引っ付き回って、干渉しまくって、束縛して、、彼がいないと涙が止まらない、息もできない、そのうちに仕事も辞めてしまい、ずっと彼のうちにいる、みたいな生活をしていました。



自分のことが全く出来なくて、本当に辛かった。



実家に戻りたいのに、戻ったら彼が消えてしまう、どこかへ行ってしまう、浮気されてしまう、その恐怖で、毎日毎日、いつ帰ってきてもいいように彼の家にスタンバイしていました。



もちろん仕事は出来なくなっていき、お金も無くなって、親に貰う日々。



友達にこの状態を打ち明けたら心配されるからとほとんどの人に言わず、でも誘われて断るのも辛いからと、出来るだけ音信不通にしていました。



本当に辛い日々、今思い出すと、どれだけ自分のことをほったらかしにしたのかと、切なくなります。



29歳で宝 喜美子さんのところへ行き、大好きな彼にふられて、しかも引っ越してしまい、ブロックされてしまい、もうどうしたらいいか分からない、と泣きながら話して、どんどん話していくと、なぜか、昔の小学校の思い出にたどり着きました。



いじめがひどかったこと。

それがきっかけで学校に行けなくなったこと。

学校の先生からも締め出されて転校させられたこと。



今でもまだ、日本のレールから小学生の時点でドロップアウトした自分を、認めることが出来ない時があります。



宝 喜美子さんに会って、喜美子さんに




「そんな学校、本当にひどいよ。被害者なの!学校や先生やいじめてきた子の事を、かばわなくていいんだよ。ひどいことされた!って怒っていいんだよ!」



て言われて、初めて、あぁ、私はこんなにひどい事をされたのに、まだ、あの人たちは悪くなくて、自分が悪いと思っていたんだって


思ったんです。



なんで、彼氏に依存してしまうのか、色んなことが繋がり始めた日



あの日から、沢山、カウンセリングを受けて、カウンセラーになるための勉強や講座も出て、




母との共依存に気がつき、それが分かった時に



今の夫と出会い、今に至る。



それでもまだまだヤキモチやきだけど、普通に付き合えたなって感じたのは2人目だった。

(1人目は19歳に付き合った日本人の男の子)




人生は不思議。




宝 喜美子さんに出会ってなければ、きっと苦しくて、もう生きてるのも辛くて、母が病気になった事も、受け入れられず、自ら命を経っていてもおかしくなかったなって思う。


それくらい、凄く辛かった




今、遠くまで来て、ドイツに住んで



ここではここでの悩みがあって


結婚したかった私は、今の夫との結婚後を見ていなくて、結婚 すればいいという考えだったと


結婚してから気がつくけど


きっと、結婚は始まりって本当のこと。


心の勉強は一生やっていくんだと、思います。


宝 喜美子さんのブログです。