実は、その日、挨拶が終わって病室を出るやいなや、
ログさんに、
「お母さんになるのが怖くなりました」
とメールをしたほどショッキングな気分でした。
私の年齢になると、もう周りには子供がいる同級生や友人がいて、彼女達の赤ちゃんに会いに行くときは、もちろん明るく幸せな空間に包まれ、元気も分けてもらいます。
私もそれが普通と思い込んでいました。
だけど、今回、ナディアとジェンソンのところへ行くと、窓越しに「入るよー」と笑顔でアイコンタクトしたのに、ドアまで迎えに来てもらえず(文化の違いか。)、自分で、そそそ...と入室したのですが、
ちょうど、ナディアとジェンソンの口論していて、まさかの、ただならぬ雰囲気。
明るく、「おめでとうー!」と言ったものの、「...でとうー」のところで自粛してボリュームダウンをしたまで。
どうやら、出産後の赤ちゃんの占いで、SGD80を支払ったのにも関わらず出産時間や体重を書き間違えていて、訂正など面倒が生じたとの事。
ナディアはもちろん動けないので、ジェンソンが訂正に行くのですが、「どうして確かめなかった」など、強い口調で話していました。
きっと、ナディアも赤ちゃんが産まれたことだけで胸がいっぱいだったんだと思います。
ジェンソンだって、普段はそんな些細なことで声を荒げるような人ではないと信じてます。
だけど、ジェンソンが「行ってくる!」と言い放ち、病室を出たとき、ナディアの目から涙が溢れてきました。
彼女の隣には、産まれたばかりの女の子がすやすやと寝ていて、本来はその赤ちゃんとナディアの幸せな笑顔を見えるはずだったのに、彼女は泣き顔です。
病室には、ナディア親子の他に、彼女の同僚が一人いたので、その場をどうにか明るく持って行くことができましたが、ナディアの様子を見ると胸が痛くなるばかり。
彼女の同僚はモナと言って、彼女も5週間前にお母さんになったとのこと。
彼女は、ナディアをなだめるというか、「赤ちゃんはお母さんの情緒を感じとるんだからね。気をつけてねー。」と赤ちゃんをあやしながら話をそらす感じ。
ナディアは気の強い女の子だから、涙を流すなんて、どれほど切ないことなんだろう。
それもそのはず。
3人で話していると、その涙には、さっきの口論以外に、ジェンソンへの複雑な思いも含まれていたことを知りました。
ジェンソンは、カリスマ性もあるとても魅力的な人で、私から見ても、ナディアのことを心から愛し、普段からとても労っていました。
だけど、赤ちゃんが産まれると、彼にとっても、初めてのことがいっぱいで、赤ちゃんが泣いたり、おむつをかえたり、色々なことが一度にやってきて、全てを受け入れらなかったそうです。
泣く赤ちゃんには、動けないナディアの傍で「すぐ泣き止むから」と言い、放っておいたこともあったようです。
ナディアは、「お腹がすいてるか、巻いてる布をきつくするか、おむつ変えてほしいかのどれかだから、チェックしてほしい」と思ってはいるのですが、ジェンソンのイライラが怖くて口に出せなかったと言います。
その時、ジェンソンはおむつを変えてくれたようですが、それから幾度か泣く我が子に「なんで、僕の子がこんなにも融通がきかないんだ」と言われ、ナディアは辛くて仕方がなかったと言います。
二人の赤ちゃんに対する意識には大きな差がありました。
流れる涙に、私はオロオロするばかり。
親になることは初めてだから、お互いストレスを感じられずにはいられないんだろうと思いましたが、経験のない私がアドバイスなんか出来なくて、ずっと話を聞いていました。
そんな時、モナの存在はとても心強かった。
「二人の子供なんだから、ジェンソンとよく話をして、協力して」とナディアの肩をなでました。
なんか、お母さんになっていない私にはない、言葉の重みを感じました。
彼女がいてくれて良かった...。
そうすると、突然、赤ちゃんが大きな声で泣き始めました。
ナディアは赤い目をして、「なんだろう。どうしたんだろう。」と困惑。
モナが慣れた様子で、おむつをチェック。
そして、赤ちゃんを抱きかかえ、「お腹すいてるのかな。」と、ナディアを見ました。
ここからが、ショッキングだった出来事。(長文になるけど。)
授乳にチャレンジするナディア。
その時に、モナの旦那さんも来ていて、彼がカーテン越しで待機しに行ったところ、「私も一緒に待機。」と思ったけど、
なんだか、やっぱり、女同士なんでしょうか、
その場でいて、ナディアを助けなくちゃと強く思いました。
何度も書くけど、本当にモナがいてくれて助かった。
モナは、赤ちゃんをナディアの膝の上に置き、適当な高さにもっていくべく、私に「枕をとって」と言いました。
ナディアは、服を脱いでおっぱいを赤ちゃんの口に向けました。
実は、私、ママのおっぱいを見るのは初めて。
それ以前に、友だちと旅行とかで、一緒にお風呂に入る時ですら、緊張して(笑)見たことないんだけど、この時、ナディアのおっぱいを見て、
私、パニック。
何をどう助けていいか、まったく分かんなくて。
とにかく、恥ずかしいことじゃないんだと自分に言い聞かせてました。
理不尽な思いでなく、素直に。
それから、モナが赤ちゃんの位置を調整したり、赤ちゃんが授乳時に呼吸ができるように、ナディアのおっぱいを支えたりしていました。
だけど、赤ちゃんがナディアのおっぱいを吸わなくて、泣くばかり。
私は「ナディア、大丈夫?どうしたらいい?」と隣で言ってましたが、ナディアは目をはらしたままで、じっと赤ちゃんの顔を見てます。
一生懸命なナディア。
モナも懸命に、赤ちゃんにナディアの匂いを嗅がせたり、ミルクを飲むように、「good girl , good girl」とあやしていました。
ようやく、その右のおっぱいに口を付けた赤ちゃん。
だけど、それでもすぐに口を離しては、何度も泣きます。
「どうして私の赤ちゃんはおっぱい飲んでくれないの。」
と、ナディアの弱い声が聞こえます。
本当に心が痛くなりました。
自分がお母さんで、その子供を腕に抱いているのに、お母さんのおっぱいを飲まない。
その子のお母さんはたった一人、ナディアだけなのに、そのナディアが赤ちゃんに認められていないみたいで、
そうナディアも同じ事を思っているようで、
彼女の立場になって考えるといたたまれなくなってきました。
モナは「プレッシャー持ちすぎないようにしてね。赤ちゃんもお母さんも生徒同士。ナディアは年上だからって、赤ちゃんの先生じゃないんだから。生徒同士協力するのよ。」と言っていました。
モナの言葉がナディアの心を少しでもほぐしてくれればいい。
赤ちゃんはほんの少しだけ、おっぱいを飲み、モナに布に包まれました。
その時、ジェンソンが病室に戻ってきて、「占いの件、修正してきたから」とナディアに用紙を投げる...。
ジェンソン...、頼むよ

だけど、旦那さんが戻ってきて、ナディアはホッとした様子。
カーテンを開けて出てきたモナの旦那さんが、「ほら、もんらが米酒を持ってきてくれたみたいだよ。これ、半分くらいは、ジェンソンがリラックスするために飲んでって。」と冗談で和ましてくれました。
そんなほんわかな時間もつかの間、
赤ちゃんがまた泣き出して、時間をチェックしながら、ナディアが左の方のおっぱいで授乳を試みてました。
そういえば、右の方で授乳してた時、左の方にはシミが出来ていて、
無知な私は、「赤ちゃんに触れたのかな」としか思ってませんでしたが、
無意識にも本能でかおっぱいが出ていたんですね...。
同じくお母さんになったばかりのモナが「ああぁ!赤ちゃんの鳴き声を聞いてると、私もおっぱいが出てきそう!(笑)」と言ってとお手洗いに行ってました。
その傍ら、ナディアの隣に行き、授乳を手伝ってあげるジェンソン。
モナの旦那さんはまたカーテンの裏に。
赤ちゃん、なかなか、おっぱいを飲まなくて、ナディアが一生懸命におっぱいをマッサージしてた。
泣いてる赤ちゃんを胸の近くに置いて、「マッサージ、マッサージ」と懸命な彼女を見てると、またさっきの思いがよみがえってきて、心が痛くなりました。
モナは席を外したけど、ジェンソンがナディアの傍にいるので、私も頃合いを見て、二人と赤ちゃん、そしてモナ夫婦に挨拶をして病室を離れることに。
「来てくれてありがとう。」とその際は二人して明るく送り出してくれました。
もう、最終的に二人の笑顔を見れて良かったよー。


病室を出て、ログさんにメールをして、帰りのMRTの中で思いにふけってました。
soraちゃんという同級生は、「添い乳」とか言って寝ながら授乳をしているらしい。
娘さんももう1歳近くなる。
カーコちゃんの息子さんのハルちゃんも2歳くらいになるのかな。元気に歩いてるのをSkypeで見たな。
そうやって、大きくなる友だちのお子さん。
だけど、それまでにも、お母さんはどれほど苦悩を重ねて来たんだろうなって思う。
「子供を育てる事が人生で一番有意義な時間よ」と叔母に言われたけれど、
その幸せの裏では、子供の成長のためにお母さんは自分の人生を惜しげもなく費やしている。
片や、進学や仕事をしようとしている私、
子供がいる喜びを知らない私にすれば、その時間は”犠牲”と言ってもいい。
近々、私も...とは望むけど、
子供がいない時に、それまでのやり残しがないようにと欲張って。
後に「子供のせいで」と授かってから子供に文句を言わないようにと、
今の自分の時間を第一に考えてる。
きっと母性が気持ちを変えるのだろうけど、
おっぱいを飲まずに泣いてる赤ちゃんを抱いて、困惑してるナディアを見てると、もっと不安になってきました。
世のお母さんには敬服する。
子供を産み、育てる。
私にはまだ、経験のないことだけど、不安や苦難を乗り越えて、子供と一緒にどんどん成長する。
ナディアもまた成長し始めたお母さんの一人。
私も、いつかそうなるのかな。
「おっぱい飲んでくれない」とか泣いたりするんだろうな。
っていうか、それ以前に、きちんとボディーチェックもしないといけないんだよね。
自宅に戻り、ログさんに一部始終話して、その日は自分一人でどんどん深刻に考えていました、一日過ぎると少し落ち着いてきました。
次の日のお昼にナディアに、「一人で抱え込まないでね。おっぱいあげれるようになったら、いつか私に教えて!」とメールしておきました。
頑張れー、ナディアー
