こんにちは
memrera(メムレラ)です。
*私が動物との記事を書くことの
はじまりはこの記事からです。
「私にとっての動物と生きること」
昨日もお話しましたが、
近頃、私は、
私の日常にあふれていた
「期待」に気づいて、
そして解放しています。
例えば。
私のだんなさんな、
キャンプや登山、
ジョギングやジムなど、
身体を動かすのが好きで、
一方私は、
それが外でもカフェでも、
ゆっくり本を読んだり、
映画をみたり、
何か書き物をしたりするのが好き。
ということで、
お休みの日は、
別々で過ごすことが多くあります。
お休みにでかけるというのは、
日々がんばっているだんなさんの
一番楽しみにしていることなので、
私は気持ちよく送り出していました。
その「つもり」でした。
アウトドア派のだんなさんが、
お休みに出かけると、
家のことのさまざまを
私がすることになります。
それもわかったうえで、
私はOKを出していた「つもり」でした。
でもある日。
その日私はたまたま、
通信販売で届いてきていた
たくさんの段ボールを
片付けていました。
その時、私の爪が2枚、
折れて割れて痛み、
その瞬間、
なんだかカァっと
怒りがわいてきました。
もうっ!!
そんな瞬間的な
イライラした怒りでした。
そして、
自分自身、改めて、
ああ、私は怒ってるんだ。
何かにどうしようもなく、
イラついていたんだ。
そのことに気づいたので、
手をとめて、
自分のイラつきの源にある
私のこころを見つめました。
見つめてみるとそれは、
案外すぐにわかりました。
私のこころは、
いいなぁ、楽しそうで。
と言っていました。
私は、
いつもだんなさんが
自分の好きなことを
こころから楽しんでいるように見えて
うらやましかったんですね。
あぁ、そうだったんだ。
私は誰かをうらやましいと思うほど、
自分で自分を満たしていなかったんだ。
わかっている「つもり」だったけれど。
こころを感じている「つもり」だったけれど。
満たしている「つもり」だったけれど。
それは「つもり」で、
実際はできていなかった
ということに気がつきました。
そこから、
私自身もう一度、
「こうするのが好きだった」
「こうしたら気持ちいいはず」
という、
今までの思い込みや固定観念をはずして、
まっさらな気持ちで、
こころを感じて、
こころの声に耳をすませて、
その声を基に、
自分自身の行動に
こころを込めていきました。
そうすることで、
私の中の一部にあった
「そうじゃない」
「これじゃない」
という不一致感からくる
心地悪さや居心地悪さがなくなり、
こころが穏やかに満たされ、
安らぎを感じられるようになりました。
以前の私は、
怒りやイラ立ちを感じることは、
なんだかそれを感じること自体が
ダメなことのような気がして、
イラ立ちを見なかったことにしたり、
怒りを力いっぱい抑え込んで、
平気なふりをしていました。
でも。
怒りの奥には
大切なメッセージがあると
教えていただいてから、
私は「怒り」を感じたことから
逃げずに、目をそらさずに、
大切にするようにしています。
目の前の現実は、
それを私に伝えたくて起こったこと。
こったことに対処するのではなく、
起こったことの原因を追究するのではなく、
怒りの奥に必ずある、
そこじゃない。
これじゃない。
そうじゃない。
ちがうんだよ。
ちょっとズレてるんだよ。
そんな、
私が私に伝えたい、
こころの叫びに
私自身が耳を傾けてあげたい。
私はイラ立ちや怒りに出会うたびに、
私が私を愛するチャンスが届いてきたことに
こころから感謝しながら、
こころの声を受けとっています。
