「私なり」ではない愛し方 | Everyday is a new day!

Everyday is a new day!

「本当の自分」と出会いたい
そして、あたたかくて、優しい毎日を
すっきりと幸せに生きたいと思い
学んだことを実践した記録です

 

こんばんは

memrera(メムレラ)です

 

私たちと一緒に過ごしてくれる

犬や猫などのペットたちは

私たちに愛されることが

魂の向上になると教えていただいてから

 

目の前のいのちに

めいっぱいの愛情を

注いでいこうと心に決めました

 

そして実際に

私なりに愛していきました

 

 

ある時

我が家の猫2匹を連れて

私の実家に帰った時

 

1匹の猫が

神棚にお供えをしていた

お水を飲んでしまいました

 

すぐに注意をして

それからは

神棚に登りそうになったら

注意をして過ごしたのですが

 

実家の母から

そのにゃんこは

出禁にされそうになりました

(実際はならなかったのですが)

 

そのお話をたまたま

「こんなことがあったんですよ」と

友人に話したところ

 

「どうしてしつけないの?」

 

と聞かれました

 

その時の私は

猫はしつけられないと思っていたので

 

「猫はなかなか難しいんですよね」と

思ったまま伝えました

 

すると友人は

 

「そっかぁ

 でもそれじゃぁ

 嫌がられちゃうよね

 みんなから好かれた方が

 いいんじゃない?」と

 

話してくれました

 

その時の会話は

そこで終わったのですが

 

私のこころに

この会話の何かが

引っかかっていました

 

 

その数日後

 

にゃんこが食事中に

ダイニングテーブルに上がって

通り過ぎていくのを見て

 

あ!

 

と気がつきました

 

私はテーブルの上を

歩くにゃんこを見て

 

あぁ! もう!

テーブルにさえ上がらなければ

いい子なのになぁと

思っていたんです

 

にゃんこがテーブルに乗るたびに

私はその子を嫌だなぁと思う

 

つまり

その子が100%

好きではなかったんです

 

 

めいっぱい愛情を注いでいたはずなのに

大好きなはずなのに

なんか条件みたいなのがついてて

どうしてこんなことになったんだろう?

 

これではめいっぱいの愛じゃない!

 

そう思って

よくよく振り返ってみると

 

にゃんこにしつけは無理だからと

これはもうしょうがないと

好きにさせてあげるのが愛情だと

 

にゃんこの好きなようにさせることが

私の愛することだと思っていたので

いろいろされても

私さえ我慢すればいいと思っていました

 

そして

私のその愛し方は

はっきりと間違っていたことに

気がつきました


 

じゃぁ

どうすることが

本当に愛するということかなと

感じていくと

 

 

私も気持ちいい

にゃんこも気持ちいい

 

お互いの気持ちと

スペースを大切にして

みんな幸せで心地いい暮らし

 

そこにあるんだと

気づくことができました

 

そして

にゃんこと私の関係を

そうすることは

 

他の誰かの家に行っても

他の誰かが我が家に来ても

 

この子がみんなに愛されることに

つながっていくことなんだと

気づきました

 

 

そこから

にゃんこには

して欲しくないことは

嫌だと伝えて

 

やって欲しくないことは

止めてと伝えるようにしました

 

もちろん

それまで自由に暮らしていたのに

急にできる訳ではありませんでしたが

 

そうされたらいやなんだよ

そうするのは止めて欲しいな

 

毎回ちゃんと

そう伝えるようになると

 

にゃんこ達も

私たちの言うことに

耳を傾けてくれるようになり

 

いつしか

ダイニングの上には

上がらなくなりました

 

猫はできない

だからしょうがないと

勝手にあきらめて

 

にゃんこのせいにして

私が楽をしていただけでした

 

ちゃんと向き合えば

通じ合えるようになりました

 

 

 

友人の一言と

にゃんことの暮らしの中で

 

しょうがないとあきらめて

自分が楽をするのではなく

 

私が思う

私のできる範囲の

私なりのものではなく

 

そのいのちを

本当に愛するということについて

 

そのいのちが幸せで

その魂が喜ぶ愛し方があることを

教えていただきました