みなさん こんばんは
memrera(メムレラ)です
*memrera(メムレラ)がブログを始めたきっかけは
先日
だんなさんが
ガス台の種火用の
電池を交換してくれました
でも私はそのことに
だんなさんに言われるまで
気がつきませんでした
「なんとなく火がつきにくくなってたから
電池を交換しておいたんだよ」
そう言われて
「そうなの? ありがとう」
そう口にしながら
そういえば
いつもよりも
ガスを点火するときの音が
大きくなったなと
昨夜と今朝
火を使った時に
思ったことを思い出しました
でも
ふと感じたその違和感に
私は気をとめませんでした
そうか
音が大きくなってたのは
電池を交換してもらって
ガス台が元気になってたからなんだな
そのことに気がつきました
一瞬
このことをだんなさんに
伝えようかなと思った時
「さっきお礼も伝えたし まぁいっか」
と思った自分に気がつきました
そしてそのあと
モヤモヤとすっきりしなかったので
「そういえば
昨日今日と音の違いがあった!
電池交換してくれてたんだね
気がつかなかったよ ごめんね
ありがとうね」
ともう1回 伝えました
もちろん
だんなさんは
お礼を言われたかったわけでも
気づかない私に何か思っていたわけでも
なかったんです
ただ私が
お礼を言うとか言わないとか
そのことがどうということではなくて
「まぁ いっか」という想いから
何かをするとか
何をしないとかを決めている
自分のこころに気がついて
気がついたらそのままには
しておけなかったんです
私からお願いしたわけでもないのに
まだ点火できなくなったわけでもないのに
いつもキッチンに立つ私が
いつかこの先困らないようにと
だんなさんが
電池を交換してくれたそのことに
例えば
お礼を言っても
何も言わないでやり過ごしても
「まあ いっか」という気持ちからでは
それは私が大事にしたい
「あたたかい愛の生き方」ではないよね
そして
思い返せば今までこの気持ちの使い方
いろんなところでしてきて
感情の解放を知ってから
まぁ いっか
まぁ いいや
この気持ちを感じて
今まで何度も解放してきたけれど
繰り返すということはもう一歩
その奥のこころのクセがあるかもな
そもそも
私はなんで
まぁ いっか
まぁ いいや って思うのかな?
私がそう思う時は
たいてい誰か相手がいる時で
質問が生まれた時
思うところがあった時
お礼を言う時
あやまる時など
そんな時に
波風を立たせたくないとか
しつこいと思われたくないとか
面倒はごめんだとか
どうせ変わらないとか思ってて
それはなぜかというと
私が何かしてもしなくても
どうせなにも変わらないでしょ
よくなることなんかないでしょ?
じゃぁ いいじゃない!
無駄なことはやめようよ!
そんな
自分の「なにかしたい」という
気持ちに気づいてるのに
何もしないで放っておいて
むしろ居直るような
そんな冷たくて圧のある自分でした
私は
この自分と向き合いたくなくて
この自分がいると面倒なので
いつだって
表面はものわかりのいいように
まぁ いっか
まぁ いいや
といろんなことを抑え込んで
穏やかな感じでまとめただけなんだな
ましてや
自分が謝るべき時にこれを使って
「謝るかな まぁいっか」なんて
ずいぶんとずるいよなぁ
お礼を言うとか
謝るとか
何かするとか
何もしないとか
自分がそうすることを
選ぶ時には
やっぱり
あったかい気持ちで
幸せや楽しさを感じて
謝る時は
しっかり「申し訳ない」と感じて
届けていきたい
この自分に気づいて
面倒だからとか
怖いからとか
どうせとか
そんな気持ちから
選ぶことをやめていくんだな
そう思いました
そして何より
自分が何かしても
何も変わらないって
自分が自分のことを思っている
そのことを
感じて受け止めました
結果はわからない
結論は変わらないかもしれない
だからと言って
なにもしない理由にして
なにもしない選択はしたくないな
大切なのは
自分のこころを感じて受け止めて
「あったかくなるように」
「あったかいこころのまん中から」
いつもここに戻って
そして
またここからはじめることを
していこうと思います
