病気の経緯 | こころはロンリー 気持ちは・・・日々色々日記

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つい吐き出してしまうひとり言を書こうかな~と言う日記・・・

病名は 「副睾丸炎」 でした。


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きっかけは7月中旬


精液が血だらけで真っ赤だった事に驚いて、その後数回試してみると血しか出てこない。


ネットで調べて個人的見解で「副睾丸炎」か・・・と認識して


自宅にいる時はずっとアイスノンで患部を冷やしてたけど


徐々に患部が大きく腫れあがってきてそれこそソフトボール大の大きさになった。



8月1日になってさすがに患部が痛いしヤバいと思って泌尿器科に行って診察してもらうと


「副睾丸炎」と診断された。


疲れやストレス、寝不足などからくる免疫力低下で


細菌が睾丸に入り込んだ病気との事。


残念ながら(?)彼女がいない俺は性的な行為による病気じゃなく


何だかの理由で細菌が患部に入り込んだらしいけど理由が全くわからへん。




結局、点滴を処方され、抗生物質の薬と熱冷ましの座薬をもらって仕事に戻った。


するとその日の夕方


家事援助と身体介護の仕事で利用者宅に訪問している時に体が動かなくなってしまった。


どうにもこうにもチカラが入らないので体温計を借りて熱を計ったら


40.0℃の数字が出た。


何とか根性で仕事を終わらせてバイクで帰宅した。


家につくなり、近所に住んでいる母親に「40℃の熱出てるから来て」とお願いして


すぐに布団に入って眠ってた。


目が覚めたら母親が来てくれていてアイスノンを頭や脇に差し込んでくれていた。


経緯を話しつつもう一度体温を計ったらやっぱり40℃・・・


一応次の日から2日間仕事をキャンセルして眠った。


次の日の朝、熱が37.8℃だったので薬が効いたのかな~と楽観してたら


昼の2時過ぎくらいから40℃に跳ね上がって寝こんでた。





3日金曜日、朝から熱があがっていたのでタクシーで病院に行って


点滴を施してもらってたけど状態が全く改善せえへん。


家に戻っても熱は40℃で睾丸は腫れあがってとうとう陰茎も腫れだした。


おしっこするのも大変な状態になった。




4日土曜日は朝と夕方の仕事がどーしても外せないので


朝の仕事は座薬を投入して熱下げて仕事に行った。


意外と対応出来たので少し安心してたら昼過ぎに病院から電話・・・


まつおさんの事例についてカンファレンスした結果


今すぐ入院しないと危ないので今すぐ病院に来て欲しいとの事。


夕方に仕事もあったし、何よりも入院はお金かかるし仕事入れないから


月曜日にまた診察で行きますと返事した。


昼過ぎに座薬を入れて夕方の仕事をこなして帰宅したら


また熱が出てきて40℃の高熱・・・


日曜は仕事をキャンセルしたので一日中家で眠ってた。





6日月曜日、朝から一軒仕事を終わらせて病院に行った。


すると泌尿器科の医者が3人揃っていて


エコー検査、CTスキャン、それぞれの触診を受診した。


3人の医者が言うには


この症状が続くと生死にかかわるような大きい病気になるから


今すぐ入院しないと危ないと・・・


俺が仕事があるから入院したくない!と言うと


じゃあ他の泌尿器科紹介するから改めて診察してもらいなさい


そこで同じように入院しろと言われて仕事があるからと断ってたら


どんどん症状が悪化して本当に生死の病気になるよ。


それでもいいのなら病院紹介する。


それくらいまつおさんの症状は検査結果からしても我々の見解でも悪いから入院しなさい。



そこまで言われると次は仕事のキャンセルが長引く事を説明する事と


入院費をどうするか・・・


生活が苦しくて生命保険未加入なので高額医療保険の申請をしても


数万円の支払いが発生する。。。



一度家に帰って考えさせて欲しいと答えて仕事先の事務所に電話。


病気なら仕方がないと言う返事をもらった。


でも実際は俺の仕事の穴埋めに困ってるやろうなーと思った。


そしてお金の面は市役所での「緊急つなぎ融資」という制度を利用してまかなう事にした。


この時点で患部は大きいグレープフルーツくらいの大きさになっていた。


試しに体重計で患部を計ってみたら1.03kgもあった。。。。。




7日火曜日、通っていた病院の紹介で


俺の家の近くにある大学病院に入院した。


初見の医者が検診して言うには1週間から10日の入院が必要ですね。と。


ここまで大きく腫らして痛かったでしょ?


でも残念ながらこの病気の影響で95%以上の確率で無精子症になるかと思います。


もちろん、精密検査をしないとわかりませんが一応覚悟はしておいて下さいと言われた。。。


ネットで事前に調べてたけど


まさか俺はそんな症状になる訳ない!


そう思ってたからすっごくショックやった。


夕方に母親が世話をしに来てくれた時


「お母ちゃん、俺な、もう子供作られへんねんて。孫の顔見せられへんようになったわ」


と伝えたら


少し間を置いて「いいよ、弟に子供いてるから」


と答えた。


母親が帰ってから涙が止まらへんかった。。。





入院してから24時間の点滴と抗生物質の点滴3回をこなしてたけど


熱が38~9℃を維持してた。


とにかくしんどいのでずっと眠ってた。


患部は相変わらず腫れあがって重くて痛くて。。。


トイレに行くのが辛くてしびんを用意して貰った。




10日金曜日に血液検査。


医者いわく、炎症反応の数値が通常0.3以下のところ、俺は入院時17.6もあったらしい。


それが最低でも1くらいまでに下がらないと退院出来ないとの事。


朝に採血して、昼過ぎに医者が病室に来た。


血液検査の用紙を持って説明し始めた。


炎症反応の数値が7.6になってると。


このペースで行けば来週にも退院出来ると思うので安静にしてて下さいと言われた。


しかし、ずっとベットの上でじーっとしてるせいか


体中がかゆくなってきてた。


その事を看護師さんに伝えると上着を脱いでくれませんか?と言われた。


すると体中に発疹が出てた。


いわゆる薬負けして発疹が出たらしい。


医者もやってきて当分抗生物質の点滴は止めます。と言われた。


その日の夜中


オリンピックの閉会式を見ながら


来週には退院したい!


そう思った。




翌週13日月曜日


再び血液検査。


ここで数値が1台なら退院。


患部の腫れも少し治まっていたし、前日の日曜日から平熱に下がっていたので


ひょっとしたら退院?と若干浮かれてた。


体調が良かったので採血室まで降りて採血してもらった。


昼過ぎ、医者が病室に来て言うには


数値が6.5・・・


あんまり下がってない。


やはり発疹の影響で抗生物質を止めたからだと思いますとの事。


違う点滴を処方するのでそれで様子を見ましょう


次の血液検査は木曜日です・・・と言われた。




すでに退院するような気持ちになっていたので


感情が少しあらぶってしまった。


普段は気にしない廊下で雑談してる60代のおっさん2人に


「お前らうるさいんじゃー!!!!!!!!!!」


と叫んでやろうかとのど元まで来てた。


そんな時に今日の担当ですーと挨拶してくれた初心者マークのバッチをつけた


新人看護師さんの素直さにめっちゃ心が落ち着いた^^




15日水曜日


いつものように夕方に母親が世話をしにやってきた。


明日の検査次第では退院するから帰ったらこうするあーするとか話してた。


すると母親が一言・・・


「で、結局誰かお見舞いにきたんか?」と。


誰も来てない。


そう言うと仕事で忙しいんとちゃうか?とか言って一生懸命なだめてくれたけど


入院しても母親しか来ない俺自身の人望のなさとかめっちゃ凹んだ。



16日木曜日


朝から血液検査で採血室へ。


熱も数日平熱やし、患部の腫れもだいぶ小さくなったので


それこそ期待して採血しに行ったのに


採血する看護師が下手くそで下手くそで!!!


針入れてから「血管どこかな~」とか言ってグリグリするねん!!






昼過ぎに医者がやってきて


炎症反応の数値が1.375になったので


明日の朝、点滴を終えてから退院しましょうと言われた。




翌日17日金曜日


朝の点滴を終えて退院した。


やっと退院で嬉しかった。


高額医療申請をしたけど、88,000円の請求・・・


仕事してない上にこの金額。。。。。


ものすごく現実に戻された。




病院を出ると考えられへんくらいの暑さ。


入院前よりも5kg減った体重と筋力が衰えた状態もあって


フラついてしまった。


家についてもずっと寝てた。



そして今・・・


ガイドヘルパーとしての知的障害者とのお出かけや車いすの方の通院介助など


歩いてどこかに行く仕事は


右側の睾丸がまだ大きくて(副睾丸炎の後遺症)パンツにこすれて炎症を起こしやすいので


当分断ってる。


自宅に訪問しての入浴介助、家事援助、身体介護の仕事は復帰した。



でもぶっちゃけ言うと


入院以前にしてた仕事は


すでに新しいヘルパーさんが入ったので仕事がないと言われた。


しょせんヘルパーは病気も事故もしたらアカンねん。


使い物にならへんようになったら新しい人が入るねん。


これが現実。


病気してた俺よりも風邪ひいたヘルパーの方が可哀想と思われるねん。


目に見えへん病気はヘルパーの不摂生としかとらえられへんねん。





2月と5月に交通事故にあって


8月に突発的な病気にかかって・・・


次は11月か??


厄年終わってるのに・・・(´・ω・`)