ガゼットの歌詞を読んでいると、感情を共有することもあるけれど、どちらかというと流鬼の描く歌詞の完成度の高さに驚かされる。
んー、作詞やってるけど、プロじゃないからさ…いくら言っても分かってもらえんかもしれんけど。
流鬼の描く歌詞は一つ一つが物語として出来上がってんだ。
でも、物語だけで終わってない作詞もある。
曲を聴いている人に投げかけている歌詞だってある。
最近本当顕著に思うのが、描き方変わったなって。
前~は本当に物語として、仮想話が多かったけど。
途中で歌詞の在り方が変わって。
僕は蝦蟇あたりからまた変わったと思うんやけどね。
それで、NILから、REGRETでの過程でもものすごく歌詞の変化を感じる。
去年になるけど、発売した10月、11月のシングルはほとんどが第3者の視点から描かれてる。
極端に「僕」「私」「俺」という一人称が減った。
それって客観的に見られるようになったってことなのかなと。
個人的に勝手に思ってるんだけど。
そして何よりもやっぱり、曲のイメージ、波長と歌詞が合わなきゃだめだってこと。
流鬼は「曲とは正反対の歌詞を描く」ということがあるみたいで。
それで歌詞と曲がマッチするってすごいことやと思う。
流鬼のことが好きだし、尊敬してるし、憧れる。