食べ物に関しても
“自分が食べた記憶”を失った弟は
未だに沢山の“食べたことのないもの”がある
この1ヶ月半、
私や母が、以前の弟が好きだったものを教えたり
弟自身が何となく惹かれるものを買って食べてみたりして
幾つかの好物が発見された
でも「美味しいけれどあんまり好きじゃない」とか
「好きではない。普通。必要があったら食べる」みたいなものをその後も結構食べていたりする
それを見て私は思う
「どうせなら好きなもの食べればいいのに」
そして再度聞いてみる
「好きなの?」
「そうでもない。普通」
頻繁に繰り返されたこの会話
でもある時、不意に気付いた
「私は食べてるもの全部好きだろうか?」
答えはノー
主食なんて最たるもので、お米やパンやコーンフレーク
本当に好きだから食べている人なんてどれほどいるだろう
おかずやお菓子も“好きだから”食べているものなんて極少数
「なんとなく」「習慣」「手近にあったから」
そんなところ
人間、好きなものだけで生きている訳でも生きていける訳でもなく
多くの“普通”に少しの“好き”が挟まってこその日常なのだなと思います
“自分が食べた記憶”を失った弟は
未だに沢山の“食べたことのないもの”がある
この1ヶ月半、
私や母が、以前の弟が好きだったものを教えたり
弟自身が何となく惹かれるものを買って食べてみたりして
幾つかの好物が発見された
でも「美味しいけれどあんまり好きじゃない」とか
「好きではない。普通。必要があったら食べる」みたいなものをその後も結構食べていたりする
それを見て私は思う
「どうせなら好きなもの食べればいいのに」
そして再度聞いてみる
「好きなの?」
「そうでもない。普通」
頻繁に繰り返されたこの会話
でもある時、不意に気付いた
「私は食べてるもの全部好きだろうか?」
答えはノー
主食なんて最たるもので、お米やパンやコーンフレーク
本当に好きだから食べている人なんてどれほどいるだろう
おかずやお菓子も“好きだから”食べているものなんて極少数
「なんとなく」「習慣」「手近にあったから」
そんなところ
人間、好きなものだけで生きている訳でも生きていける訳でもなく
多くの“普通”に少しの“好き”が挟まってこその日常なのだなと思います