今、アマゾンで彗星のごとく現れて、
1位を続けている本があります。

これです。
「サイン」 (龍&アニキ著)


普通の常識ある大人であれば
???となる内容かも知れませんが
私はこちらの元となるブログ


はよく拝見させていただいていて、
読んでいて気持ちがよいので好きです。

特に、質問への受け答えの気持ちの使い方や
相手を思っての言い回しなどは相談業務でも日常でも
とても参考になります。

でも、かなり???の内容ですよ。
このブログから飛ぶかたは覚悟して行ってくださいね。

私自身、人の生き死にや、心などに関心があるので
この仕事を選んでいるところがあり
仕事以外では伝統的な仏教の方での
宗派を超えて出来ることはあるか?という活動をしていますが
今の時代に合った信仰とは何かについてよく考えます。

葬儀、その後の法要、儀式・・・。
儀式を行う意味は?

決められているから、だけではなく
コミュニケーションや癒しや道徳、生活の知恵
時には政治的な役割まで秘めています。

癒しや生きることの道しるべは?

今までの宗教でいいのか、この本のような考え
「宗教によらないで神とつながる自分を見つめる」
というスピリチュアルに進むのか。

大切なかたを亡くして悲しんでいる方へよりよいのはどの道なのか?

考えさせられる1冊、そしてこの売れ行きです。

kiyomi☆


前に広告関係の仕事をしていた時期があるので
歩いていて、ポスターや街頭広告にはつい目がいくのですが
とくに、「命」を扱うものは凝視してしまいます。

先日、駅前の壁面に大きく流れていたCMが目に入りました。
途中からでしたが、公共広告のようで
子供をやるせない事故から守ろう、というもの。

駐車場の置き去りで車中で子供が亡くなったり、
親が誤って自分の車で子供をひいてしまう事故がある
というような内容だったと思います。

けっこうストレートな内容だな、と思って見ながら
急いでいたので歩きすぎようとしたら、
最後のほうに(語句が違ったら申し訳ないですが)

「子供は大切に」

と、出たような気がしました。
「子供を」だったかも知れませんが「!?」と思ったので
「子供は」ではないかと・・・。

作ったかたの意図はわかりませんが、
「公共物は大切に」とか「資源は大切に」なら分かりますが
子供・・・!?

こんなことを文章にしないといけないくらい、
世の中がおかしいのでしょうか。
「○○は大切に」というと(○○を、でも)
それを大切にしないとけない、と分かっていない人に対しての
気付かせるための文と受け取ってしまいました。

前職でメールで相談業務をしていた時
「て・に・を・は」ひとつで相手に届くこころが変わる恐ろしさを
よく感じていました。(失敗ばかりでした。)

この広告を見て、寒々しく感じるのは私の考えすぎでしょうか。
子供は、人は、誰に言われなくても大切です。

kiyomi☆

一緒にボランティアをしている僧侶の方々と、
池上本門寺関係の方のご案内で
初体験、池上本門寺のお会式に行ってまいりました。

お会式とは、日蓮聖人のご逝去の日(10月13日)に際しての
盛大な法要兼、感謝を表すお祭りのような感じです。
クリスマスイブのように、前夜が盛大な祭りで、
大きな万灯(まんとう)が行列をなし、練り歩きます。

万灯 ↓

メモリアルのブログ ~大切な人を亡くした方のお手伝い~-万灯

偶然にもみんな初体験!
なにせ、浄土宗や浄土真宗、曹洞宗の方々ですから
こんな派手なお祭り騒ぎは、みなさまにも目からウロコだったようです。

みなさん、うわー。寺の境内で人が踊ってるー、騒いでるー、
うちの宗派はこういうのないなー、すごいねー。と
新鮮だったようです。

僧侶の案内ならではで、裏道を抜け、ちゃんと日蓮聖人や
池上兄弟さんのお墓参りもでき、
お墓の前の露店でくつろいで帰ってきました。

このボランティア団体は、宗派を超えて、仏教を必要なかたの
手に届くように、と活動する団体です。
宗派を超える、ということはあまり機会がないようで
僧侶ご自身もとても刺激になり、よい会になっています。
(私は一般人参加者です)

垣根がなくなるということは、とてもよいことが多いと思います。
「民族」「国家」ほど大きな垣根でなくても、
縦割りや、権威や、過去の事例、常識と思われているもの、などの
「垣根」は私たちの身の回りにたくさんあります。

なんとなくですが、
これから今までにない大きな時代の変化の到来を感じていますが
その時に、垣根を取っ払うことができないと
苦しむ時代がくるような気がしています。

あ、根拠はありません。なんとなくです。
でも、女性の勘は鋭いのです。

kiyomi☆

団地の高齢化で常に話題になる戸山団地を
少しでも元気にしよう、という
第1回目の物産イベントに出店参加してきました。

なんで出ることになったかというと、
新宿の葬儀社さんが、戸山団地の自治会やNPOのかたと懇意で
そのイベントを企画なさったのですが、
たまたま営業の男性と私が葬儀社さんに伺った時に
「イベントやるんだよ」と聞いて
「なにか、手伝いましょうか?」と言った一言から
会社をあげてのボランティアとなりました。

参加団体全員がボランティアで、販売価格は自由ですが
うちはもちろん、赤字設定です。(他も大抵そんな感じです)
良いものを安くしないと喜んでもらえないですね。

メモリアルのブログ ~大切な人を亡くした方のお手伝い~

個人的に戸山団地には関心がありました。
知り合いのお坊さんが戸山団地での身寄りのない方の葬儀に
無償でお経をあげる活動などもなさっており
団地の窮状は前々から聞いていたからです。

派手な宣伝をしなかったので、来る方は団地内のかたがほどんどで
確かにご高齢の方ばかりでした。
でも、実際は体がきつくて出てこられない方のほうが多く
あのたくさんの窓の向こうにいらっしゃるのだから
巨大な団地を前にはこれだけのイベントも、
ほんのかがり火なのか、とも感じました。

でも、ボランティアって、たいていかがり火ですよね。
全体を一気に解決できる問題なら、問題ではない。

自分は、地球が滅びる前日まで木を植え続けたほうがよい
と思っているタイプなので、かがり火も続けれは
温まる人が必ずいると思っています。

主催のかたが、来年も行うようなことをおっしゃっていました。
もし、そうであればきっと
より、工夫と充実されたイベントになると思います。

kiyomi☆


全国青少年教化協議会主催のシンポジウムに行ってまいりました。

寺院に対する意識調査で
一般の人たちの多くが、自分が死に直面した時に
「宗教をもつことにそれなりの意味がある」と答えながらも
では、実際に死に際して僧侶を頼るかというと
ほぼ、「頼らない」という結果が
今の仏教の現状を示しています。

正木 晃(まさき あきら)さんという宗教学者のかたの
現状のお寺をバッサリと切りながらも
とてもわかりやすく、たっぷりと提案のある内容が面白かったです。

宗教者は聖人の部分が必要で、それを外にも見せなければいけない。
普通のひとが頭を剃って衣を着ていて
お坊さんでございます、ではダメなんだ、という
「宗教者としての人格」をそなえることや

スピリチュアルブームさえ抱合しながら、時代に合った方法で
人の心に入ることなど
素人の私からみたら、喝采でもあり、
当たり前にも感じられることでしたが
たぶん
僧侶の中には苦々しく思うかたもいたのかな、と思います。

公共性とはなんぞやというパネルディスカッションは
「祈りこそ公共性がある」という僧侶の考えや、
法的な「公共性」の意味を把握していないと、法人としての方向が
わかりづらくなる、という意見や
一般のひとが「役に立つ、良いもの」と認めてこそ公共性ではという意見で
予定通り?まとまりませんでした。

発案して、議論することが目的であったようで
あとはみんなで考えて、それぞれが生かす、ということなのでしょう。

僧侶の方々を外から見ていて思うのは
大きな組織で育っている伝統的な宗派の方々に
今のままではどうなんだ、という問題意識を浸透させることは
かなり難しいとうことです。
もちろん、若い僧侶や一部の僧侶には向き合っている人もいるし
地道にできることで努力している人も多いのでしょうが
絶対数が少ないからこそ、意識調査の結果となるのでしょう。

それで帰りに、
問題に向き合っている僧侶の人たちとミニ懇親会です。
全員が、命についてのメールや手紙のやりとりを
普段から一般のひとや、檀家さんとしている方々です。

私から見たら、かなり「聖人」でもあり、「人格者」でもある方々ですが
そういう人ほど「宗教者としての人格かあ」としみじみ口にするさまが
ほほえましく見えました。

だからさ、自分たちがやればいいんだよね。
という話にまとまり、私もできることはお手伝いしながら
少しずつ進んでいくことになっています。

楽しみです。

kiyomi☆