おもえば花*Singapore days -29ページ目

おもえば花*Singapore days

2013年にシンガポールに移住してきました!現地採用の妻としておそるおそるローカル生活を過ごしています♪
思えばそこが花になるという言葉を信じて、
写真と一緒に日々の生活をゆるーく綴っていきます(^v^)
ゆるゆる~っとお友達になってくださ~いヽ(^v^)ノ

こんにちは。


さて。
リークアンユー元首相の国葬が執り行われた本日、
最後のお見送りをするために、
たくさんのシンガポール人の方たちが、
一時間以上前からじっと傘を差して並んでいらっしゃいました。
久しぶりの豪雨。
雨を操作できるという噂のあるシンガポールですが、
もしそうだとしても、
関係なくただじっと傘をさして全身をびしょ濡れにさせながら立っている姿に、
改めてリークアンユー元首相の存在の大きさを感じました。


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思い返せば、
私がシンガポールという国家を初めて意識したのは高校の地理の時間だと思います。
当時は、
マレーシアは力をつけてきた華人たちが政権に進出するのを恐れ、
マレー人優遇政策(ブミプトラ政策)という、
政治も学業も職業も、マレー人を優先するという政策を制定し、
それに反対した華人たちが分離独立してできたのがシンガポール。
と習ったように記憶していたのです。


そうすると、
リークアンユー元首相の涙。
というのは、
もうすっかり完全に、
マレー人優勢の国家支配から独立できた喜びの涙、
だと思っていたのです。


しかし今、リークアンユー元首相の死去を機に、
ようやくゆっくりと調べてみれば全くそんなことはなかったわけで、
日本による占領、
そして戦後イギリス植民地から独立した後、
資源も軍隊も資本もなく、周りを多くの国に囲まれた危うい状況からこの地域を守るために、
マレーシアの州の一部としてシンガポールを存続させていきたかったリークアンユー元首相は、
なんとかマレーシアの一州としてマレーシア連邦と融和しようと画策したようです。
しかしブミプトラ政策に反発して起こった暴動や、
華人の政権進出を危惧したマレーシア政府によって、
切り捨てられて独立を余儀なくされたのでした。


資源のない、小さな国の未来を、
ひとりで背負った時に流したリークアンユー元首相の涙を思うと、
いまのシンガポールという国家の繁栄は信じられないほどのもので、
リークアンユー元首相の優れた先見の明と、
その背負った責任の重さに、言葉もありません。

独裁政治、明るい北朝鮮と揶揄されながらも、
そうでなければ異文化・異民族の共存する国をここまで平和に繁栄させることはできなかったのだろうなと、
しみじみと感じています。


そんなことをぼんやりと考えつつ、
ありがたいことにお友達に誘っていただき、
金曜日に国会議事堂まで弔問させていただく機会を得ることができました。

常夏の国、10時間待ちの表示の中、
絶え間なく増えていく人数に、
並ぶシンガポール人。

普段は明るい服装も、
みんな黒や落ち着いた色の服ばかり。

軍隊やボランティアの人たちが、
長く蛇行してどこまでも続く人の列に向かって、
絶え間なくドリンクやビスケットを手渡してくれる中、
この全ての人たちが、
たった一人の人に最後の感謝を述べるためだけにこの状況が整備され、
助け合っている目の前の光景に、
リークアンユー元首相がシンガポールを築きあげ、
それを国民も間違いなく感じていたのだなぁと、とても心を動かされました。


シンガポールの国語はマレー語です。
そして英語、マンダリン、タミル語、この四つが公用語とされています。
なぜ国民の圧倒的多数を占めるマンダリンが国語ではないのか、
少し疑問に思いましたが、
リークアンユー元首相の独立時の映像の中に、
これまでの人生ずっと、マレーシアの一州として融和していく未来だけを考えていた、
と話す部分があります。
今ではマレーシアよりも発展し、
東南アジア随一の繁栄を見せるシンガポールですが、
独立当時はマレーシアを頼り、
マレーシアありきのシンガポールという考えだったのだろうなと、
当時の、小さな国の心許なさが垣間見えるように思えます。

宗教もまた、それぞれに容認され、
その中で多民族の住む一つの国家として繁栄を築くのはどんなに難しいことだったのだろうと、
シンガポールが歩んできた歴史がとても興味深いです。
世界中で宗教上の対立で争いが起こっている現状の中、
シンガポールは不思議なくらい、
そういったことを感じることがありません。
それこそが細やかな規律で支配された現状であり、
だからこそ維持されている平和なのだろうと思います。


独裁政治と揶揄される部分ももちろん理解できますし、
やりすぎなのではないかと思うくらい、
政権の持つ絶対的な力の大きさを実生活で感じることもありますが、
今後、
また50年経ち、シンガポールが今日のこの日を振り返る時、
リークアンユー氏が人生をかけてつくりあげたこの国が、
悪い部分は改善され、
しわが寄った部分は話し合われ、
素晴らしい部分はより広がり、
より自然なかたちで民族が融和された一つの国家として、
穏やかに繁栄を続けていてほしいなと感じました。



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外国人でありつつも、
日本食や日本文化を日々感じつつ、
差別されることもなく、
安全に、
どこの国よりも快適に過ごさせてもらえていることを感謝して、
リークアンユー元首相がゆっくりと休まれますよう、
手を合わせることができて、本当によかったです。


誘ってくれた友達に、
一緒に並んでくれた友達にも感謝です!








愛妻家としても有名なリークアンユーさんが、
奥様と一緒にゆっくりと休まれますように。






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